平成元年2月24日、昭和天皇の葬儀である大喪の礼が行われました。
あれから23年経つんですねぇ。
冷たい雨の降る寒い日でした。
あの時、日本国家としての葬儀である大喪の礼の前、会場となった新宿御苑には鳥居が建てられ、皇室の私的儀式である大喪儀が行われました。
その後大喪の礼に移行する際、宗教色をなくすため鳥居を白い布で隠すという馬鹿げたことをしていましたね。
時あたかもバブル絶頂で、わが国の偉容に恐れをなしたか、この儀式に参列した要人は、王国なら国王もしくは王子、共和国なら大統領、国家元首クラスの非常に多くの人々が昭和天皇の崩御を悼みました。
皇居内に殯宮(もがりのみや)と呼ばれる仮の御陵が定められ、昼夜を分かたず、崩御から一カ月以上、大喪の礼までの間、皇族や宮内庁職員など、誰か1人は殯宮で祈りを捧げ続けました。
あの時、私はどの程度神道の様式が取り入れられるのか興味を持ちましたが、驚くほど古式ゆかしいもので、しかもそれはほとんど公開されない、という神秘的なものでした。
世界は、ハイテクの国日本で、土俗的とも神秘的とも言うべき儀式が続けられていることに驚きを隠しませんでした。
また、大喪の礼当日が公休日とされ、官公庁や学校のみならず、商店やデパートなども軒並み休業したことにも。
折口信夫によれば、万世一系とは、何も血筋が一系につながっているということではなく、天皇という存在の核をなす、言わば天皇霊とでも言うべき魂が、歴代の天皇に乗り移ってきたことだ、とします。
つまり天皇と呼ばれる人物は、天皇霊をつなぐ入れ物のようなもので、それは必ずしも血に依拠するものではなく、男系だろうが女系だろうがどこぞの馬の骨だろうが、天皇霊とでも言うものを受け入れればよいということになります。
大正天皇の体喪儀を写した絵葉書です。
私がたびたびこのブログで、女系でも女帝でも構わない、あるいは選挙やくじ引きで新帝を決めても良い、と書いたのはこれに拠っています。
ただ、一つ勘違いしてはならないことがあります。
大喪儀は極めて古い伝統ではありますが、天皇家は奈良時代から江戸時代まで、仏式で葬儀を執り行っていたことです。
明治維新の時に、天皇は神道を代表する存在に戻りましたが、長く、天皇は仏教の庇護者でした。
聖徳太子の父帝の用明天皇は、「仏法を信じ、神道を尊う」と述べたと、「日本書紀」にあります。
現在の皇室は神道を敬うばかりで仏法を信じようとしません。
それは皇室の長い伝統に反することです。
この際皇室は、仏教もキリスト教もイスラム教もヒンズー教もユダヤ教も、ありとあらゆる宗教を敬うべく、八百万の神々に異教の神も加えちゃったらどうでしょうねぇ。
それが世界に広まれば、宗教戦争なんて無くなっちゃいますよ。
もっとも異教を信じる人々からは大非難でしょうけどねぇ。
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