ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

2014年01月07日 | 美術

 夢は見るものではなく、かなえるものだ、という言説を時折耳にします。

 私はこの言説に、ひどい違和感を覚えます。

 私がイメージする夢とは、日がな一日温泉に浸かって過ごしたいとか、毎日凧揚げをして暮らしたいとか、釣り三昧の毎日を送りたいとか、浮世離れしたものです。

 しかるに、多くの人が語る夢は、プロ野球選手になりたいだとか、流行歌手になりたいだとかいうものです。
 それは夢と呼ぶにはあんまり生臭過ぎはしませんか?

 それは夢と言うより、理想の職業とでも呼ぶしかないものでしょう。

 純粋さが感じられません。

 かつて私は小説家として売れて財を成したいと思っていました。
 それはやはり、夢というよりは野心、野心と呼ぶよりは野望、さらには欲望であろうと思います。

 私が今夢に描くのは、それこそ夢のように美しい耽美主義の絵画に接したり、この世ならぬ予感に満ちた小説や映画などの物語に耽溺したりして、浮世離れした美や恐怖に溺れながら、夢とも現ともつかぬ世界に浸り、現実を忘れて生きることに他なりません。

 

 かつては私自身がこの世ならぬ物語を作るのだと、野望に燃えていましたが、それはあんまり面倒くさいことです。

 この世には私が好む美と恐怖をモチーフにした物語や美術を創造する才能に恵まれたあまたの人々がいます。

 私はそれらの人々が紡ぎ出す物語や、描き出す美術に触れて、ただうっとりすれば良いのです。

 これ以上の快楽がありましょうや。

 また、何も現代を生きるクリエーターのみならず、過去、あまりにも多くの才能豊かな人々が、鋼のごとく美しく、色褪せることのない世界を作り出してくれました。
 私はそれら古典芸術を十分に堪能する時間が足りないと感じています。

 私が思うのは、夢というロマンティックな言葉を、野心や欲望と一緒にして欲しくないということです。

 この世も捨てたものではありません。
 美しいものや、まがいものの怖しい物事がごまんと溢れているのですから。

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生き生き

2014年01月07日 | 文学

 今日は忙しかったですねぇ。

 朝9時半から正午まで他機関の人々とテレビ会議。

 午後1時からまた会議。

 その後、明日から3日間に渡って続くイベント準備。

 へとへとになりました。

 それでも驚異的な集中力を発揮し、残業を忌避しました。
 残業を覚悟していたので、ほっとしました。

 今週は気が張っているせいか、なんとなく元気です。
 警備のおじさんにも、「肌つやが良いんじゃないですか?」と言われました。

 忙しくなって生き生きするというのは、精神障害発症以前には当たり前のことでしたが、精神障害を得て、忙しいと気分が沈むばかりでしたから、よくぞここまで回復したものだと、感慨深いものがあります。

 この調子でとりあえず3月末まで、今の席での仕事を乗り切りたいと思っています。

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七草粥あるいは父の誕生日

2014年01月07日 | その他

 今日は七草粥を食うべき日ですね。
 でも実家を出て以来、一度も七草粥を食したことがありません。
 晩飯にお粥なんて嫌ですから。

 そう言えば今日は亡き父の誕生日。

 「俺の誕生日はいつもお粥だ」、と文句を言いつつ、なぜか嬉しそうに粥を食していましたっけ。

 生きていれば73歳。

 世間的にはやや早い死であったと言わざるを得ません。

 しかし父は格好付け。
 老醜をさらしたくないという最後のダンディズムが、父をして死に急がせたものと想像します。

 最後まで、格好付けていましたから。

 もうあと二カ月足らずで3回忌を迎えるのですねぇ。
 私にはとてつもなく長い1年10カ月でした。

 その間仕事は担当替えになり、ほとんど異動したみたいに仕事内容が変ったり、食欲が落ちてみるみるうちに体重が落ちたり。

 内科医には高脂血症や糖尿、高血圧がきれいに治まって褒められました。

 精神科医も、父を亡くすという精神上の危機を乗り越え、無事に日々の仕事をこなし続けていることを褒められました。 

 先日、新年会で実家を訪れた際、最近まで濃密に漂っていた亡父の気配は大分薄まっていました。

 人はこうして、死者を忘れて行くのですねぇ。

 生きている以上、亡くなった者にいつまでも捉われているわけにはいきませんから。
 
 父が亡くなって1年間くらいは、酔っている時など、突然涙の発作に襲われ、号泣したりすることがありました。

 同居人は、22歳の時、18歳の妹を病気で亡くすという経験をしており、そんな私の姿を見て、「涙枯れるまで泣くがよろしい」と言って慰めてくれました。

 今はもう、亡父を思いだすこととて無くなりましたが、ふと、今日が亡父の誕生日であったと気付いて、父との間にあった悪友同士のような密かな関係性を思い出さずにはいられませんでした。

 高僧でもあった亡父のこと。
 私が冥福を祈るまでもありますまい。

 正義感が強く、戦闘的でもあった父のこと、極楽でのほほんと暮らすのは性に合いますまい。

 今頃地獄で亡者どもを率いて、鬼相手に、鬼以上の鬼の形相で、待遇改善運動でもやっているのではないかと思います。

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