ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

過労死防止のために

2013年10月12日 | 仕事

 近年、過労死だとかブラック企業だとかパワハラだとか、労働に関する問題を現す言葉が次々に生み出されていますね。

 言葉が生まれるということは、問題が新たに発生したのか、あるいは元々あった問題が顕在化したのか、そもそも問題ではなかったことがことさら問題視されるようになったのか、どれなんでしょうねぇ。

 これらの言葉はそれぞれ別のようでいて、深い因果関係を持っているように思います。
 ブラック企業に勤めてパワハラ被害を受けて過労死した、みたいに。

 わが国には労働基準法をはじめとして、様々な労働関係の法律がありますが、それでは足りないと、一部の弁護士が過労死防止基本法なるものを制定するよう政治に働きかけているそうです。

 労働基準法その他の法律で勤務時間などの定めがありますが、いわゆる36協定を労働組合もしくは過半数代表者と雇用主が結べば、18歳未満や妊婦の労働者、炭鉱労働者といった一部の労働者を除き、ほとんどいくらでも残業を命じることが出来てしまいます。

 また、国家公務員にはそもそも労働関係の法律の適用が制限されており、ために人事院という内閣から独立した組織が公務員の労働条件や賃金の在り方を日々見直しているというわけで、36協定も何もありません。

 霞が関の役人が連日長時間労働を強いられているのは、もはや常識と言ってよいでしょう。

 ただし、財務省印刷局などの現業職員の勤務時間は、厳密に守られています。
 やはり肉体を酷使するからでしょうねぇ。

 印刷局に印刷物を発注すると、間に合わなそうだと言う場合、15時までに印刷局内でその日これこれの時間残業を命じる、という決裁を取らなければならず、発注者だった私はいちいち電話やメールでその日の行程を確認し、必要となれば午後の早い時間に残業の依頼をしなければなりませんでした。

 民間の印刷業者なら、納期を設定しさえすれば、後はお任せで済むものを、国の機関が国の機関に発注して金を国庫のAという財布からBという財布に移すだけにしようという姑息な手段で、民業圧迫と言っても良いものです。

 過労死防止基本法ですが、趣旨には賛同しますが、名前がよろしくありません。

 仮にも基本法と名乗るのであれば、もっと大きな概念の言葉を使うべきでしょう。

 基本法はある事柄について国としてこういう原理原則でやっていく、と宣言するもので、憲法に次ぐ重さがあります。

 現在わが国には40もの基本法があります。
 誰でも知っているのは、教育基本法
 そのほかに原子力基本法、障害者基本法など。
 新しいところではスポーツ基本法があります。

 また、自殺対策基本法というのもあり、過労死防止基本法とどう整合性を取るのか不明です。

 過労死防止に特化した法律を、基本法と呼ぶのは違和感があります。

 労働基準法を発展的に廃止して、労働基本法を制定し、過労死防止については個別の法律ないし厚生労働省令などで具体的かつ詳細に基準を定めるのがきれいなやり方だと思いますが、いかがでしょうか?

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日本教信者

2013年10月12日 | 文学

 昨夜、韓国で生まれ育ちながら日本教信者を自認し、日本に帰化した呉善花先生「私はいかにして日本信徒となったか」を読みました。

私は、いかにして「日本信徒」となったか (WAC BUNKO)
呉善花
ワック

 韓国の田舎で生まれ、都会に憧れてソウルの高校に入学し、ヨーロッパに憧れて当時西ドイツが多くの韓国人看護師を受け入れていると聞いて看護学校に進むも、西ドイツが政策を転換するや退学し、なぜか職業軍人になります。

 軍は4年ほどで辞め、今度は米国留学を夢見ますが、当時韓国人が米国のビザを取るのは至難の業であったため、とりあえず日本に留学し、それを足掛かりにして米国留学を目指そうと決意します。
 この時、もう27歳。
 しかも強い反日教育を受けた最初の世代とあって、日本といえば悪魔の国と答えるほど、ガチガチの反日意識を持ったまま、米国留学のための方便だと自分に言い訳しつつ、東京にやってきます。

 1980年代初頭のことです。

 当時すでに日本は経済成長をとげ、やがて来るバブルの予感に浮かれていたわけですが、韓国はまだ貧しく、初めての東京生活は驚きの連続だったそうです。

 風呂トイレが付いた1DKのアパートを借りて、まず驚きます。
 韓国では体を洗う習慣はあっても湯船につかるという習慣がなく、悪名高い日本統治時代にわずかに広まりますが、毎日風呂に入れるというのが驚きだったようです。

 また、白米だけのご飯を3食食べられるということに驚き、特に牛丼には驚きます。
 牛肉と白米という当時の韓国人にとって年に何度食べられるか、という夢の食い物を二つ一緒にして250円と言う値段に驚愕し、毎日牛丼を食います。

 韓国で生活レベルが著しく向上し、わが国と大差がなくなったのは、1988年のソウル・オリンピック以降のことだそうです。

 呉善花先生が何より驚いたのは、日本人が親切で街が清潔で、極めて快適であること。
 また、商店主などがぼったくったりおつりを誤魔化したりしないことにも驚いたとか。
 おつりを誤魔化すやつが韓国にはいるのかと、私はそっちが驚きでした。

 最初の一年は、反日教育の反動のように、日本に好印象を募らせていきますが、二年目に入ると、日本人に不信感を持つようになります。

 親友だと思っていた日本人が、ある程度親しくはなっても、それ以上は踏み込ませず、どこかよそよそしいとか、八百屋で「新鮮なのをください」と言ったら急に怒り出したとか。

 日本人は表面的には親切だけどやっぱり本心は冷たい悪魔のような人々なのか、と感じたようです。

 わが国では親しき仲にも礼儀あり、と言って暑苦しい人間関係を嫌いますからねぇ。
 また、わが国ではどんな職業の人でも誇りが高く、八百屋であれば、「新鮮なのください」なんて言われれば、「うちに新鮮じゃない野菜なんかねぇ」、と思って不快に思うであろうことは容易に想像がつきます。

 自分が思ったままを書いた処女作「スカートの風」がわが国でベストセラーとなるや、今度は韓国の人々から激しい非難を浴びることになってしまいます。

スカートの風 日本永住をめざす韓国の女たち (角川文庫)
呉善花
KADOKAWA / 角川書店

 悪魔の国を褒めて自国を貶す売国奴、というわけです。

 挙句の果てには日本人が書いたもので、呉善花というのは架空の人物だと言ってみたり。

 ついには韓国に帰れなくなり、日本に帰化。
 お母様のお葬式の時だけは入国を許可されたそうですが、お葬式が終わるなり強制退去。

 多くの韓国人にとって、呉善花先生は許しがたい人物になってしまいました。

 先般読んだ中国の石平先生と違い、インテリではない、普通の韓国女性が素直に書いたものだけに、分かりやすく、興味深い著作でしたねぇ。

 

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