近年、過労死だとかブラック企業だとかパワハラだとか、労働に関する問題を現す言葉が次々に生み出されていますね。
言葉が生まれるということは、問題が新たに発生したのか、あるいは元々あった問題が顕在化したのか、そもそも問題ではなかったことがことさら問題視されるようになったのか、どれなんでしょうねぇ。
これらの言葉はそれぞれ別のようでいて、深い因果関係を持っているように思います。
ブラック企業に勤めてパワハラ被害を受けて過労死した、みたいに。
わが国には労働基準法をはじめとして、様々な労働関係の法律がありますが、それでは足りないと、一部の弁護士が過労死防止基本法なるものを制定するよう政治に働きかけているそうです。
労働基準法その他の法律で勤務時間などの定めがありますが、いわゆる36協定を労働組合もしくは過半数代表者と雇用主が結べば、18歳未満や妊婦の労働者、炭鉱労働者といった一部の労働者を除き、ほとんどいくらでも残業を命じることが出来てしまいます。
また、国家公務員にはそもそも労働関係の法律の適用が制限されており、ために人事院という内閣から独立した組織が公務員の労働条件や賃金の在り方を日々見直しているというわけで、36協定も何もありません。
霞が関の役人が連日長時間労働を強いられているのは、もはや常識と言ってよいでしょう。
ただし、財務省印刷局などの現業職員の勤務時間は、厳密に守られています。
やはり肉体を酷使するからでしょうねぇ。
印刷局に印刷物を発注すると、間に合わなそうだと言う場合、15時までに印刷局内でその日これこれの時間残業を命じる、という決裁を取らなければならず、発注者だった私はいちいち電話やメールでその日の行程を確認し、必要となれば午後の早い時間に残業の依頼をしなければなりませんでした。
民間の印刷業者なら、納期を設定しさえすれば、後はお任せで済むものを、国の機関が国の機関に発注して金を国庫のAという財布からBという財布に移すだけにしようという姑息な手段で、民業圧迫と言っても良いものです。
過労死防止基本法ですが、趣旨には賛同しますが、名前がよろしくありません。
仮にも基本法と名乗るのであれば、もっと大きな概念の言葉を使うべきでしょう。
基本法はある事柄について国としてこういう原理原則でやっていく、と宣言するもので、憲法に次ぐ重さがあります。
現在わが国には40もの基本法があります。
誰でも知っているのは、教育基本法。
そのほかに原子力基本法、障害者基本法など。
新しいところではスポーツ基本法があります。
また、自殺対策基本法というのもあり、過労死防止基本法とどう整合性を取るのか不明です。
過労死防止に特化した法律を、基本法と呼ぶのは違和感があります。
労働基準法を発展的に廃止して、労働基本法を制定し、過労死防止については個別の法律ないし厚生労働省令などで具体的かつ詳細に基準を定めるのがきれいなやり方だと思いますが、いかがでしょうか?
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