ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

少年小説

2012年08月15日 | 文学

 私は一時期、「少女の友」という戦前の雑誌に興味を持ち、川端康成「乙女の港」などの少女小説を耽読したことがあります。
 それは誠に麗しい世界で、やや同性愛的でもありました。

 最近、同時期に書かれた少年小説で、最も有名な、佐藤紅緑「ああ玉杯に花うけて」という作品を読む機会に恵まれました。  

 タイトルは旧制第一高校の寮歌のようです。
 20数年前までは、毎年寮歌祭というのが開かれ、旧制高校出身のおじいちゃんたちが、学ランを着て暑苦しい歌を歌って喜ぶ姿がテレビで放送され、私は化け物でも見るような気分で眺めたものです。

 少女小説とは正反対で、こちらはまた、ずいぶんとむさ苦しい小説でしたねぇ。
 むやみと喧嘩をしたり、感激して涙ぐんだり、説教がましい言説が頻繁に登場したり。
 こんな暑苦しい少年なんてそうそうみかけません。
 それとも戦前はそういう少年が多かったんでしょうか。

 私は中年おやじですが、どうも少年小説の熱血ぶりにはついていけないようで、嘘くさくて麗しい少女小説のほうが趣味に合っているようです。

 もう一つ驚いたのは、当時映画(活動写真と記されていましたが)を観るのは、不良少年か社会の下層階級にある者で、活動写真を観るというのは低俗な趣味だとされていたことです。
 今では映画は健全な娯楽、あるいは芸術作品として高く評価されています。
 変れば変るものですねぇ。

 何歳くらいの読者を想定して書かれたのかよくわかりませんが、中高生が対象だとしたら、ずいぶんと幼稚な小説です。
 中学生くらいになったら、子ども向けに書かれた小説ではなく、大人向けの一般的な文学作品に親しむほうが良いと思います。
 分からないなりに、分からないまま、ただ読んで、十代の感性で感じばればよいのです。
 それは時に苦痛を伴うかもしれませんが、その頃読んだ文学作品の印象は、何十年たっても、鮮明に覚えているものです。

 でも、本当のところ、十代で文学作品にはまるのは考えものです。
 それよりもスポーツなどで肉体を鍛え、体育会系の理不尽な縦社会に慣れておいたほうが、社会に出たときに強いんじゃないかと思います。

 私は体育会系のノリを忌避してそういうものを遠ざけて学生時代を過ごしたせいか、社会に出てからちょっとした理不尽が我慢ならず、しかも気は小さいくせいに喧嘩っ早いところがあって、ずいぶんと損をしてきました。

 もしこのブログを愛読くださる十代の若い方がいるなら、本など読んでいる暇があったら体を鍛えることをお勧めします。

あ丶玉杯に花うけて (熱血少年文学館)
佐藤紅緑
国書刊行会

 

乙女の港 (実業之日本社文庫 - 少女の友コレクション)
中原 淳一
実業之日本社

 

『少女の友』創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション
実業之日本社,遠藤 寛子,遠藤 寛子,内田 静枝
実業之日本社


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心性

2012年08月15日 | 文学

 敗戦の玉音放送を、多くの日本人は茫然自失の状態で聞いたことでしょう。

 16年前79歳で亡くなった祖母は、敗戦時、20代後半。
 米軍が進駐してくれば、必ず暴行を受け、子どもらは殺害されると信じ、懐に短剣を帯びて、いつでも死ぬつもりだったと言っていました。
 それだけに連合軍の比較的穏健な統治に拍子抜けしたようです。
 しかし私の祖母がそのような覚悟を決めていたということは、多くの日本人が同じ気持ちであったろうと推測します。

 そして子を戦いで失った親達の嘆きはいかばかりであったでしょう。
 祖国の勝利を信じて散った兵士とその親は、敗戦という事態を受け止めることが困難であったことでしょう。

 たたかひは 永久(とわ)にやみぬと たたかひに 亡(う)せし子に告げ すべあらめやも

 たたかひに 果てし我が子の 目を盲(し)ひて 若し還り来ば かなしからまし

 釈迢空の和歌です。
 歌人、釈迢空としてより、国文学者にして民俗学者、折口信夫(おりくちしのぶ)としてのほうが有名かもしれません。
 彼は戦争末期、養子を戦場で失います。
 その呆然と、敗戦の衝撃が、彼を激しく動揺させ、上記のような歌が詠まれたものと推測します。

 わかりやすい歌ですが、上の歌は戦争が終わったことを亡き子に告げるが、もはや詮無いことだという嘆きが、下の歌は万が一子が帰ってきたとしても、光を失っていたら悲しいことだと、切ない願いが詠みこまれているように感じます。

 川端康成は敗戦に際し、「私はもう日本の美しか詠わない」と傷ついた祖国への愛情を誓いました。

 多くの文化人が戦争に協力したことに対する反省の弁を述べるなか、小林秀雄は毅然として「私は馬鹿だから反省などしない」と、戦後の日本人の豹変ぶりを嗤いました。

 勝負は時の運。
 
 わが国が敗れたことは誠に残念ですが、それ以上に残念なのは、多くの日本人が昨日まで八紘一宇の精神のもと、本土決戦も辞さぬ覚悟を決めていたのに、突如として平和だ反戦だと、空虚な美辞麗句を臆面も無く叫び出したことです。

 要するに天皇陛下万歳が真逆に振れて反核平和を言い出しただけのこと。
 その心性は全く同じものと言って良いでしょう。

 戦後67年を経て、ようやく世論は左右両翼のどちらでもない、常識的な線に落ち着いてきました。
 長かったですねぇ。

釈迢空歌集 (岩波文庫)
富岡 多惠子
岩波書店

 


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身はいかに

2012年08月15日 | 文学

  身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて

 今日は67回目の終戦記念日ですね。

 冒頭は、敗戦直後の昭和天皇の御製です。

 わが国と世界の繁栄を祈念いたします。

 


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