精神疾患というのはまことに厄介なもので、私がそれに苦しめられ、今も苦しんでいることはこのブログに繰り返し書きました。
このほど、長崎の爆心地から半径12キロ圏内に住み、被爆したか、あるいは被爆後の惨状を見たかした人々で肉体的には害が無かったとされる人々にアンケート調査を行ったそうです。
「いらいらして怒りっぽいか」「自分は役に立たないと考えたことはないか」といった質問への回答から、精神疾患の危険性が高い人は約75%に上ると判明。
原爆投下の5~15年後に同じ地域に移住してきた約280人では約40%だったそうです。
75%と40%では明らかに違いがあるといわざるを得ず、原爆投下から67年を経てなおこの数字ということは、被爆者たちが長い戦後をいかに苦闘して生きてきたか分かろうというものです。
私の母親は長崎市の出身で、4歳のときに被爆しています。
巨大な真っ黒い雨を浴びた話は、子どもの頃聞かされました。
幸い放射能には強い体質だったのか、72歳の今日、いたって健康です。
しかし、家族や友人はもちろん、本人さえ気づいていない原爆による精神的影響が今もなお残っているのだとしたら、とてつもなく怖ろしいことです。
人間の精神というもの、よほど脆弱に出来ているようです。
最近は職場でもメンタル・ヘルスということの重要性が叫ばれ、表向き精神障害者への差別は減ってきたように見えます。
しかしひとたび精神障害者が凶悪事件でも起こそうものなら、その差別意識は一気に噴出するでしょう。
私はリワーク・プログラムや自助グループで、うつ病、躁うつ病、統合失調症、社会不安障害など、多くの精神障害者と知り合いになりました。
そのほとんどは、まっとうに生きようともがいている善良な人々でした。
強制入院させられて何年も精神病院で過ごしているような知り合いはいませんので、差し引いて考えなければならないのかもしれませんが、精神障害者は概ね善良な心の持ち主です。
むしろその善良さゆえに、ストレスに弱かったりして、精神を病んでしまったと言っても良いかもしれません。
今は普通に働けている私も、24時間のうち22時間くらい眠って過ごしていた時期があります。
それでご飯だけはしっかり食っていたのですから、太る道理です。
精神障害発症後、20キロ太りましたもんねぇ。
どこまでいくんだろうと思っていたら、父が亡くなり、その精神的ショックなのか、5ヶ月で13キロ痩せました。
今度はどこまで痩せるんだろうと怖ろしいような気分です。
原爆投下から67年を経てなお普通に暮らしている被爆者に精神的な後遺症が見られるとは驚きです。
結局自分を守るのは自分しかいません。
自ら声を挙げなければ、誰もがおのれ可愛さで係わり合いになろうとはしません。
他人のことは放っておいて、わが身大事で生きなければ、命の危険にさらされます。
毎年3万人以上の自殺者がでますが、きっと死の直前は精神障害のような状態になっているのだと思います。
会社がストレスなら休むなり辞めるなりすれば良いのです。
学校がストレスなら休学すれば良いのです。
家庭がストレスなら別居すれば良いのです。
どうでも良いような責任感にとらわれて追い詰められ、死を思う気持ちは痛いほど理解できますが、生還してみて、なんだか働くということに白けちゃいました。
もしまた過重な仕事の負荷がかかったら、とっとと逃げ出そうと考えています。
午後はDVD鑑賞です。
閉所恐怖症に取りつかれた男の狂気を描いた「クロストロフォビア 閉所恐怖症」を鑑賞しました。
獣医を目指して勉強中の女子大生、エヴァ。
同時に女優への夢も捨てきれません。
ある時、エヴァは思い立って広いアパートに引っ越します。
そのアパートには研修医のアレックスが住んでいます。
酒を飲んだりして親しくなった2人。
しかしあるとき、エヴァは酔いつぶれて眠ってしまい、目が覚めると地下室に監禁されているのです。
地下室の隅には、リサという名前が書かれており、エヴァは前にも女が地下室に監禁されていたのではないかと疑います。
エヴァを監禁したアレックスは、手術の準備を進めます。
果たして何の手術なのか。
じつはアレックスは小学生時代、同級生のリサに悪戯で廃病院の遺体安置所に三日間閉じ込められた経験があり、そのトラウマがもとで閉所恐怖症と統合失調症を発症していたのです。
リサはどこにいるのか。
そしてエヴァは何の手術を受けるのか。
エヴァは何度も窮地を脱しようとして戦います。
そしてそれに気づいた家主、刑事はアレックスに殺されてしまいます。
狭い地下室に彼らの遺体とともに閉じ込められたエヴァの絶望はいかばかりであったでしょう。
そして悲劇的な結末へと突き進んでいきます。
テンポが良くて飽きさせません。
まずまずの佳作と観ました。
クロストロフォビア[閉所恐怖症] [DVD] | |
エズラ・レベルダ,ヨルダン・ストーン,ロバート・A・ヤンセン | |
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今日は振替休日。
土日月と出張したので、土日の分で2日、好きな日に休めます。
今日がその1日目。
今日は馬鹿に涼しく、風も心地よかったので、8時半から10時まで近所を散歩しました。
いつの間にか新しい家が建っていたり、お店が替わっていたり、わずかな間にも世の中は変化していることを実感させられます。
今日は11時から半年に1度の視野検査。
12年ほど前、あんまり目が疲れるので眼科にかかったら、思わぬことに緑内障の初期症状であることが判明しました。
以来、毎日2度、眼圧を下げる目薬を打って、緑内障の症状は12年前とほとんど変わらず、左目の一部に視野の欠損があるだけで、自覚的には全然わかりません。
緑内障で失った視野は戻ることがなく、現代医学では症状の進行を止めるもしくは遅らせることが治療の目的です。
私の場合、早期発見が幸いし、症状の進行はみられません。
視野検査、けっこう面倒なのですよねぇ。
片目ずつ半円形の白い器具に目をあて、一瞬光が見えたらボタンを押すのです。
しかも目は真ん中の黒い点を見つめたまま、四方で光る一瞬を見逃すまいと集中するのです。
目玉を一瞬の光に合わせてしまっては視野検査の意味が無いため、目玉を動かさないことに気をとられます。
初めて検査を受けたときはどうしても目玉を動かしてしまい、なかなか有意な結果を得られず、数回繰り返し、疲れ果ててしまいました。
今ではコツをつかんだのか、1回の検査で精確な結果を得られます。
12年進行していないので、多分今回も大丈夫だと思っています。
症状が進行していたら、薬が変わるか、あるいは点眼の回数を増やすことになるそうです。
どっちにしても痛みを伴う治療ではないので、気楽に考えています。
同じ年、突発性難聴というのをやりました。
突然右耳が聞こえなくなったと思ったら、今度は耳元でチェーンソーでも動かしているような激しい耳鳴りがして、慌てて病院に行き、三ヶ月程度ステロイド剤を大量投与し、完治はしませんでしたが著名回復ということで、今も検査をすると右耳に軽い難聴が残っていますが、日常生活に支障をきたすことはありません。
この病気、ストレス説やらウィルス説やらがありますが、原因不明のため、特定疾患に指定されており、発病後一週間以内にステロイド剤を投与しない場合、方耳の聴力を失うという怖ろしい病気です。
ステロイド剤のせいで顔が真ん丸くなるムーン・フェイスという副作用で恥ずかしい思いをしましたが、今となっては懐かしい思い出です。
突発性難聴にしても緑内障にしても、早期に治療を始めたおかげで、大過なく過ぎたことは良かったですねぇ。
現代医学に感謝です。