男ばかりの社会では、男同士の強い絆が見られることが多いですね。
軍隊とか、運動部とか、ある種の会社とか。
ここで男同士は絆を強めるために相手のために自己を犠牲にしてもよい、とまで考えます。
例えば、軍歌「同期の桜」。
貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため
貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 血肉分けたる仲ではないが なぜか気が合うて別れられぬ
貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く 仰いだ夕焼け南の空に 今だ還らぬ一番機
貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く あれほど誓ったその日も待たず なぜに散ったか死んだのか
貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう
旧制高校の寮歌、「嗚呼、玉杯に花うけて」。
嗚呼(ああ)玉杯に花うけて 緑酒(りょくしゅ)に月の影宿(やど)し 治安の夢に耽(ふけ)りたる 栄華(えいが)の巷(ちまた)低く見て 向ケ岡(むこうがおか)にそそり立つ 五寮の健児(けんじ)意気高し
どちらも男同士の世界を詠ったもので、そこには同性愛的な香りさえ漂います。
しかし同時に、男同士の絆を維持するための装置として、同性愛嫌悪を挙げなければならないでしょう。
異性愛者である男同士が、同性愛的にさえ見える強い絆で結ばれ、それでいて同性愛者を差別することで、よりいっそう男同士の絆を深める、という複雑な構造が、軍隊や旧制高校ではみられ、さらに現代の自衛隊や警察、武道クラブなどで見られます。
ここでは、女性は男の意のままになる従属物である、という根深い偏見が、今もなお生きているように思います。
そして決まって、強い絆で結ばれた男ばかりの集団に属する者は、女よりも男同士の絆を選ぶのです。
これはいったいどうした事態でしょうね。
古くはチームワークを発揮して狩りをしたこと、後には組織を作って敵と殺し合いをしたこと。
それら生きるか死ぬかの極限状態にあっては、その構成員である男同士が深い絆で結ばれているかどうかは死活的な意味を持ちます。
それが今も続いているということでしょうか。
あるいはまた、男には不可能な、生むという神秘的な行為を成し遂げる女性への畏怖が、男をして男同士で徒党を組ませ、腕力で女を支配する事態を生んだのでしょうか。
男は男同士の絆を強めることで男社会の維持を目論見、しかしそれはもはや不可能なほど、女性の社会進出は進んでいます。
今後さらに社会における男女の役割が対等に近づけば、男同士の絆は男にとってセピア色の思い出になってしまうでしょう。
そしてまた、男同士の絆の中心に性愛を置く同性愛者への差別はどのように克服されるのでしょうね。
私は昔から、体育会系の、いやらしいまでの男同士の絆を称揚する行為に、嫌悪とも敵対心ともいうべき心性を持っていたので、古式ゆかしい男同士の絆が崩壊し、男社会中心から脱皮した新しい秩序が生まれることを、心待ちにしているのです。
我が心の軍歌 ~同期の桜・麦と兵隊~ ベスト&ベスト KB-26 | |
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