そのⅡ―[倉田の依頼で、二美子は倉田が来ている喫茶店に麻美を誘う]―
2年半前の夏……。
倉田は、急性骨髄性白血病と診断され、治療次第で助かるかもしれないが、放っておけば余命半年と宣言を受けた。麻美との交際が始まって2年目の夏のことだった。
密かに結婚指輪も準備し、プロポーズしようと決めていた矢先のことだった。
この喫茶店では、過去に戻れるだけでなく、未来にも行けるということは、二美子から聞いてはいた。だが、いざ、自分の計画を実行するとなると、二美子から得た情報だけでは心もとない。そこで、倉田はこの喫茶店に出かけ、自分の考えた計画が実行可能か直接聞いてみることにした。
ここには、二美子に連れられて二度ほど来たことがあったので、(医師から余命半年の宣告を受けてすぐに)迷うことなく喫茶店を訪れた。
倉田は挨拶もそこそこに、すぐさま、数に自分の計画を話し始めた。
未来に行った場合のルールの説明を受けて、内容は理解できたが、ひとつだけ困ったことは、麻美は、この喫茶店を訪れたことがなかったのだ。しかし、訪れたことがある人が案内した場合は、この限りでないとのことで、二美子を案内の協力者に選んだ。
―中略―
倉田は、相談があると言って二美子を呼び出し、こう切り出した。
「僕はおそらく半年後にはこの世にいません」
驚く二美子に、倉田は診断書を見せ、医者からの見解診断を説明し、1週間後には入院することになる、と。そして、
「僕は、例の喫茶店へ2年後(2年も経てば麻美の心も落ち着いていることだろうとの倉田の計算だろう)の未来に行きます。2年後、僕が死んでいたら、麻美をそこに連れてきてもらえませんか」と告げた。
二美子は、倉田の「死んだら」という言葉を聞いて複雑な表情を見せた。
「ただし、麻美を呼ばなくてもいい場合の条件が二つあります。まず、僕が死ななかった場合は連れて来なくても結構です。それと、僕が死んだ後、麻美が結婚をして幸せになっている場合は、連れてこないでください」
「え? 言っている意味が分からないんだけど……」
「未来に行って、麻美に会えなければ、麻美が結婚して幸せになっているんだと判断して、戻ってきます。でも、もしそうでない場合には、麻美に伝えておきたいことがあるんです(流産した後に言った、麻美が幸せなることが僕の幸せにもなるという信条)……だから……」
倉田はどこまでも麻美の幸せを願っていた。
最後に、倉田は、「この計画を麻美に話すかどうかは、二美子の采配にお任せしたい」と告げて、深々とと頭を下げた。
倉田の死後、二美子は、どのタイミングで、どのように麻美にこの話をしていいのかを直前まで悩んでいた。
二美子が倉田から出された、麻美を連れて来なくてもいい条件は、
一、倉田が死ななかった場合
二、倉田が亡くなった後、麻美が結婚をして幸せになっている場合
この二つで、一の場合は当然のことと理解できるが、二の場合、二美子の解釈で言えば、
「倉田のことを引きずって、麻美が結婚できないでいる場合は連れてきてほしい」ということになる。しかし、麻美が倉田を忘れようと努力しているのに、結婚していないという理由だけで倉田に会わせるのは避けたい。
麻美はというと、倉田の死後、しばらくは悲しみに暮れていたが、半年も経った頃にはいつも通りの生活に戻っていた。二美子からは、倉田の死を引きずっているようには見えなかった。そけだけに、会わせない方がいいのではないかと、約束の日に麻美を連れて行くかどうか、判断が難しかった。
気がつけば、約束の日は1週間後に迫っていた。
二美子は悩みぬいた末、夫の五郎に相談した。五郎は、
「おそらく、これは君以上に彼女をよく知っている彼が、彼女のなんらかのトラウマから導き出した絶対条件なんだと思うよ。だからシステムエンジニアとして論理的に判断したらどうか」と言われた。
二美子は、「結婚していても幸せではないという場合もあるが、その場合は、条件を満たしていないから、連れて行くことになるのね」と了解した。
約束の日は、1週間後の12月25日(この日は、倉田が二美子に依頼した日から、2年と数か月後の未来になる)のクリスマス。19時。
もちろん、条件の話は内緒にして、その時間に倉田が過去からやってくると告げると、麻美は消え入るような声で「わかりました」と呟いた。
―中略―
倉田が来る当日、麻美は会社を無断欠勤していた。誰が連絡してもつながらない。
麻美自身も、会うか会わないかを悩んでいるのかもしれない。
二美子は、(今日、19時に例の喫茶店の前で待っているからね)とだけ、メールを打った。
―中略―
その日の夜。時刻は倉田との約束を少し過ぎたところだった。しかし、麻美は現れない。
二美子は、麻美に携帯を入れたがつながらない。
仕方なく、喫茶店で待っているだろう倉田に電話で現状を伝えた。
電話を切った後も、なんとなく後味の悪さを感じながら、帰ろうと思い足を一歩踏み出した。
そのときだった。
「先輩、倉田君、まだ、いますか」と麻美が息を切らせて立っていた。
二美子は腕時計を確かめた。19時ぴったりに来ていたとして、今は19時8分。
「行こう」と、二美子は麻美の背中を押して階段を駆け下りていた。
地下一階。麻美は喫茶店の扉の前まで来ると、二美子に、
「先輩の指輪を貸してもらえますか」と願い出た。去年貰ったばかりの大事な指輪である。
(訳は後から聞こう)、二美子は迷うことなく麻美に差し出した。
そのⅢ―[倉田が待つ喫茶店に麻美が現れる]―に続く