そのⅢ―[倉田が待つ喫茶店に麻美が現れる]―
例の席に座っていた倉田は、麻美は現れなかったので、来ないのだろうと手元のカップを口元に近づけた、そのとき……
カランコロン。
カウベルの音が鳴り、駆け込むように入ってきたのはダッフルコートを着た森麻美だった。
真夏の過去からやってきた半そで姿の倉田、クリスマスに現れたコート姿の麻美が向かい合うという、季節感のちぐはぐな再会となった。
麻美は、倉田を怖い顔で睨みつけ、
「二美子先輩に全部聞いたわよ。何考えてるの。死んだ人間に会わなきゃならない、こっちの身にもなってよ」と、早口で吐き捨てた。
麻美の顔をじっと見つめていた倉田は、「ごめん」と、一言つぶやいた。
倉田はゆっくりと観察するように麻美を見つめていた。
「なに?」と、麻美が怪訝な顔で言うと、倉田は、
「……いやなんでもない。もう、戻らなきゃ」と呟いた。
麻美は倉田の前に歩み寄り左手をパッとかざして見せた。その左手の薬指にはっきりと光る指輪が輝いている。
「私はちゃんと結婚しているから」とはっきりと宣言した。そして、
「倉田君、亡くなってから、もう2年だよ。二美子先輩まで巻き込んで何考えてんの。心配過ぎるでしょ」
倉田は、嬉しそうに苦笑いした。麻美が何を思ってここに姿を見せたのか不明であるが、麻美が結婚しているということを聞いただけで倉田は満足した。
「俺、行くわ」
倉田は、過去に戻ると半年後にはこの世を去る。未来に来たところで、倉田が死ぬことは変わらない。麻美も「倉田は2年前に死んだ」とはっきり言っている。だが、倉田の表情に一切の曇りはない。晴れ晴れとした、幸せに満ちた笑顔である。
倉田は一気にコーヒーを飲みほした。その瞬間、ぐらりと目まいを感じると、倉田のまわりの景色がゆらゆらと揺れ始めた。カップをソーサーに戻すと、倉田の手が徐々に湯気に変わっていく。
カランコロン。
喫茶店に入ってきたのは冬の装いの二美子である。
二美子は、二人の話が終わるまで、扉を半開きにして、中の声に聞き耳を立てていたのだ。
倉田が消えた宙を見つめたまま、麻美を小さなため息をついた。
二美子は、「麻美ちゃん……」と、呟いた。
「私、倉田君のことを忘れませんでした……倉田君以外の人と結婚なんて無理だろうな、って」
麻美は震えながら言葉を絞り出した。
二美子は、そんな麻美を見つめながら、「うん」とだけ答えたが、麻美は、違うことを考えていた。
流産したときに、倉田から言われた、
(君が、これから幸せになれば、その子は君を幸せにするために70日という命を使ったことになるのだ。だから君は絶対に幸せにならないといけないんだ)
とのことを思い出していたのだ。
麻美は、倉田の言葉を呟いた後、続けて、
「だから、思ったんです。今は、まだ、結婚できないかもしれないけど、でも、絶対、幸せにならなきゃだめなんだって……。私の幸せが、彼の幸せになるなら……」
麻美は、そう言って、手からさっき借りた指輪を抜き、二美子の前に差し出した。
麻美は、自分がちゃんと結婚していると倉田に思わせるために、二美子に指輪を借りて嘘をついたのだった。
―中略―
「いつまでも、あさみがしあわせでありますように」
ふいに、ミキが倉田の残した短冊を読み上げた。
その短冊がどのような経緯で書かれたかは麻美の知るところではなかったが、それが倉田の言葉であることはすぐに分かったのだろう、その瞬間、麻美は大粒の涙を流し、その場に頽(くずお)れた。
終
第四話「夫婦」に続く