T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

素晴らしき秋空!!

2011-10-16 17:44:15 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                  

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 「マルナカ」スーパーから屋島を眺めた写真。

 雲一つない久し振りの素晴らしき秋空。

 昔、大いに利用されていたケーブルカーの跡と山上の駅舎も懐かしい風景?

数年後に完成が予定されている古城の城門が出来れば、場所が近くでもあるので、ケーブルカーの線路跡は登山道になるかもと想像される。

 晴天は歓迎だが、今日は夏が逆戻りしたほど暑い一日で半袖でも良いと思ったほどだ。もう少し気温が下がれば、少しずつ庭の剪定もしたいと思っている。

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十三夜の月は欠けていた?

2011-10-13 13:12:14 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                   

                                                                                                                        

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 栗名月とも言われる十三夜の月は、少し欠けていることを先日まで知らなかった。

 中秋の名月は満月だが、十三夜の月は旧暦の9月13日の月で月齢は12なので少し欠けているとのこと、確かに先日の10月9日の十三夜に写した月の写真は欠けていた。

 昨日10月12日の月が月齢14.7で満月だと知り写真を撮ってみた。確かに満月だ。

 満月でもないのに、何故、十三夜と言って名月として月見をする習慣が続いているのだろう。日本人は欠けているところにも趣があると感じるのだろう。そういえば曲線がある茶碗なんかもそうだな。

 人間の顔も全くの左右対称でなく、そんな人間はいない、左右対称でないから美があり、そうだから美女がいるのだろうと思う。

                                       

 いつも思うのだが、どうして月の中の兎(陰影)や月の縁が細いくっきりしたものが撮れないのだろうかと頭を捻っている。

 

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一塊?が群れをなし

2011-10-12 11:05:49 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                              

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 毎週火曜日には近くのスーパーで朝市が開かれる。

 朝9時30分に開店だが、荷物を下ろすと並べる前に人だかりがして新鮮な野菜に多くの手が伸びている。当然駐車場も花が咲いたように、いっぱい。

                                       

 側の金木犀も満開。

 一塊になった花は群れを成し?、遠くまで素敵な匂いを放ちて人を立ち止まらせる。

 

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「背中の髑髏」を読み終えて!

2011-10-11 16:54:23 | 読書

 澤田ふじ子の時代小説。京都を背景にした公事宿事件書留帳シリーズ第五弾。

 各編のあらすじを巻末の解説文に沿って、以下に紹介する。

「背中の髑髏」

 気の弱い町商いの鋳掛屋伊助が、威勢のいい父親になってもらいたいと息子にせがまれ、背中に彫り物をした。

 それも生半可な刺青でなく、平家物語に出てくる「尼御前が小さな髑髏を胸に抱え、野面に座っている姿」という奇怪で気色の悪い絵模様。相当カネもかかったはずだが、だれが何の目的でそんな刺青を彫らせたのか。

 その伊助に女の人から強請られたと訴えがあって奉行所に連行されようとしていた。

 息子は、父親は刺青を少し見せて値切る女に当然の銭を払ってもらっただけだと言うが、同心組頭の銕蔵は、父親は悪くなく、何十両もする刺青を誰に入れされたかを糺すのが目的だと言う。

 しかし、菊太郎は、平家物語には同様な絵が幾点かあり、犯人は、既に何人かにその絵を刺青にさせている、とすると伊助の命が危ないと推察した。

 菊太郎と友人の赤松綱は、銕蔵達に話し、犯人を捕まえるまで伊助達の命を守ってやらなければならないして、その体制をひいた。

 ある日、伊助が聖護院村のほうに商いに行ったとき、その後を大八車に莚を乗せて三人の男が近づいてきた。菊太郎たちは彼らを切り殺したが、主犯の男は自分の匕首で自殺した。

 菊太郎が推察した通り、既に数人の男が殺され、背中の皮膚を剥ぎ取られていた。教養のある悪人がその刺青を楽しんでいたのだ。

「醜聞」

 菊太郎は、高値で西瓜や注連縄を無理に売ったりして町の商家を強請っている地回りのならず者たちを痛い目にあわせた。

 市歩きをしていた赤松綱から、強請りなどをするならず者の行為を見ぬふりして上前をはねている奉行所の吟味役がいることを知らされた。

 その後も赤松は、その吟味役の悪行を調べ奉行に報告したら、もう少し続行し、同時にしばらく菊太郎の身を守ってくれと言われた。

 しばらくして、五両ほどに関わる出入物のお調べを例の吟味役がお役替えで当たることになった。

 その白洲の場で、例の吟味役は、儂が目をかけていた地回りの行為に目に余るものがあり、それらの者が今後は身を改めるので、五両で今までの行為を許してくれといっており、その五両でこの場を治めてくれといった。

 数日後、かの吟味役は奉行所を致死し、仏門に入ったとの知らせが菊太郎に赤松からあった。

 吟味役の将来を考えての奉行の計らいであったが、すっきりしないものが残った。

「佐介の夜討ち」

 料理茶屋で酒杯をかたむけ、酔い覚ましに三条通りを歩いていた菊太郎は、背面に殺気を感じ匕首が迫ったところで、菊太郎は素早くかわして顎に足蹴りを一撃した。

 足蹴りを受けた棒手振りの魚屋の佐介が目を覚ましたら鯉屋の座敷牢の中だった。

 2年前までは料理屋の板場職人で、職人にありがちな飲む打つ買うの三拍子を続ける暮らしをし、他人に煽てられると奢ったり小銭を貸したりしていた。

 そのころ野菜の仕入れ先のお絹と知合い、もらい火で料理屋が燃えたのを機に、魚屋になりお絹と所帯を持った。

 佐介は、儲けが少ないのに一軒家を持ちたい気持ちが強く、つい伊賀屋の賭場で3両もの借金をしてしまい、お絹を借金のかたに連れ去られた。

 元の板場の先輩から金を借りて借金を返したが、女房を返して貰えないので、賭場の用心棒と間違えて、菊太郎に匕首を向けたのだ。

 伊賀屋は表向きは駕籠屋だが裏では賭場を持ち女でこそこそ稼ぎ、近く遊女屋まで始めるつもりでいた。

 菊太郎たちは佐介を連れて伊賀屋に乗り込んだ。お絹を助け出し、佐介が店を出せる程度の金もいただいた。

「相続人」

 俵屋の八右衛門は田舎の実弟九兵衛を番頭に迎えて片腕にし、一代で店を立派に築き、しかし、最初のうちは妻のお稲と一粒種の修平を田舎に置いたままだった。

 八右衛門が病気になり、お稲一人が京に出てきて夫の世話などで無理をしたので、間もなく労咳になり別宅に住まわせた。

 その間、九兵衛は田舎に数回帰っていて、妻と我が子・和吉にも会っていた。その後、妻と和吉と修平を連れて京に来た。

 九兵衛は病気がうつるといって修平を母親に合わせなかった。そのため親子三人で対面したことはなく、八右衛門はどちらが修平か知らなかった。

 手代の利助は九兵衛が我が子の和吉に対する態度に不審を持っていた。

 俵屋の前を通った源十郎は九兵衛が和吉に対するやり方があまりにも酷く、源十郎は何か不審を感じて菊太郎にも話した。

 八右衛門はやがて労咳で死去、九兵衛は修平を若旦那とあがめているが、その反面、和吉に対しては一層ひどい折檻を続けていた。

 あまつさえ、ある女性から10両で頼まれた凶悪な面構えの男たちが和吉をひねり潰そうという企みをしたが、警戒していた菊太郎たちの対処でそこまでいかなかった。

 利助は菊太郎に九兵衛は子供を入れ替え、店を自分のものにし、八右衛門も労咳でない血を吐いて死んだと思うと内情を話した。

「因業の滝」

 父親が死んだ後、饅頭屋の二代目の清七と妻の吉江の連れ合いが、清七の賭場の借金で首が回らなくなり心中を図ったものの、清七だけが生き残った。

 そのため、清七は三日三晩、人の目にさらされ、その後は死体の処理など人がやりたがらない事をやる町人以下の名無しになるのだ。

 菊太郎は、前掛けを両手で握りしめ哀しい顔をして、その三日間、清七を見ている不審な女を目にした。

 菊太郎の依頼で銕蔵の手下が身元を調べると、料理屋の通い女中でおひさということが解った。

 もともと、清七はおひさと一緒になりたかったが、父親が吉江の家が雑貨屋なので小豆が安く買えることから許さなかった。

 吉江とは偽装の心中で、その後、清七はおひさと会える箒売りを始めた。

 それから何日か経ったある日、東山の女滝の前で清七とお久は心中を図った。

 鶯取りに来ていた子供たちがその様子を見ていて知らせてくれた。

 四つん這いになったおひさの上に乗った清七が、おひさが体を崩したはずみで首を吊り、おひさが出刃包丁で自分の胸を突いて後を追ったとのことだった。

 吉江のこと、一度は町人以下になった清七との世帯が続くか、おひさの気持は複雑だっただろう。

「蝮の銭」

 豆腐売りの富市という男が、女房が呉服問屋の次男と出来てしまい東山で世帯を持っていると、鯉屋に相談を持ちかけてきた。

 不義密通はよほどの事情がない限り死罪か遠島だが、7両2分という通り相場で償いを付ける手もあった。だがなぜか、富市は煮え切らない。目に小狡ささえ漂わせていた。

 綺麗な人妻に、信用を第一にする大店の息子、富市は仕事に不真面目。不義密通にしては条件が整いすぎているので、菊太郎は公事宿を利用しての美人局と睨んだ。

 頼んでいた銕蔵から、大阪奉行所からの過去の調べの書状が届き、富市は蝮の異名を持つ美人局の常習犯ということが解った。

 それとは知らず、二百両で内々に手を打ちたいとする富市は、源十郎たちと呉服問屋の奥座敷に坐したが、うまくいく直前に化けの皮がはげ、歯ぎしりをかみながら痛めつけられた

「夜寒の辛夷」

 鯉屋の下代・吉左衛門の住む長屋の木戸に辛夷の木があり、春、夜目にも白く花を咲かせていた。

 長屋の奥の小裂売りの半蔵の家から助けて、殺されるという悲鳴が聞こえ、家の中に入ると、中は滅茶苦茶に荒れ、半蔵は一家心中をしてもよいと思っていたのだ。

 夫婦喧嘩の原因は、普段はかつかつの暮らしなのに、この日に限って鰻のかば焼きや刺身といった御馳走が用意されていたため、女房が何か盗みか売春でもはたらいたに相違ないと半蔵が勘ぐったためだ。

 半蔵が女房に理由を聞くと、手拭いで包んだ17両を拾ったので、つい1分と数10文を使ったとのこと。

 女房がそんな気を持ったのも自分の稼ぎがないためだと、一家心中を考えたり、自分の罪にすべきだとも考え、家の中が荒れたのだということが解った。

 使い込んだ分を源十郎と菊太郎が足して奉行所に届けて数日し、両替商を襲った強盗がばらの17両を手拭いに包んで逃げる途中で落としたもので、その手拭いが記念で特別に染めたものだったことから、数千両を盗んだ強盗の一味が判明し逮捕された。

 奉行所は両替商に1割の百両を半蔵に礼として渡せよと申し渡したようだ。両替商から通知があり、半蔵たちは出向いて行った。

  

 

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十三夜も月見!

2011-10-10 10:22:30 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                      

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 昨夜は旧暦9月13日で「後の月」または「小麦の名月」といわれる十三夜だった。

 少し雲があったが、きれいな月が見えた。通常は「十三夜に曇りなし」という言葉があるようだ。

 今年の旧暦8月15日の「中秋の名月」は9月12日だったが、この日も晴れた夜で綺麗な月が見えた。ブログに載せたはずだ。

 一般に、十五夜の月を見たら、必ず、十三夜の月も見るもので、見えたのに見なかったら、「片身月」といわれ嫌われるものらしい。

 それにしても、月の写真を撮るのは難しいといつも実感する。

 

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