[ 第五章までに書かれた第六章のプロローグ ]
「あらすじ」
金沢に帰って初めての日曜日、咲和子は、できるだけ父を外に連れ出したいと思い、家のガレッジに眠っていた母のために父が買った赤い車を洗車して、父にどこか行きたいところがあるかと聞いてみた。
父は医者として勤めていた大学病院へ行きたいとのことで、まず、病院の駐車場に止めた。父からの要望で、キリシマツツジの大樹の前でお互いに写真を撮りあった。父母と能登へ行ったときは、花が咲いていた時期であれば必ずキリシマツツジを見にいったものだった。
病院の中を見ますかと言うと、父は、建物に昔の面影がなかったからか、もう帰ろうと言った。
初めて在宅での看取りをした日、仙川から死者のお清めに自分がなじみにしているバー「STATION」へ行こうと誘われた。その日は、夕食で母が作っていた「めった汁」を父に作ってやりたいと用意していたので、9時頃だったらとOKをした。
父は「東京の料理(?)もうまいな」と、美味しそうに食べた。そのあと、「母さんは料理がうまかったな」と父は饒舌になり、母の思い出話で盛り上がった。
父が上機嫌で横になったので、仙川たちが待つバーへ急いだ。
咲和子は金沢に帰って初めてのお盆を迎え、父と母のお墓参りに行った。
父は墓前に立つと、墓石の母の名前の文字を撫でながら、「母さんには悪いことをした」と言った後、「意識もほとんどないのに長く生かし続けてしまった。あれは可哀そうな延命治療だった」と続けた。
そして、咲和子に、「自分には延命治療は絶対しないでくれ」と言ったが、咲和子は何も答えられなかった。
ある日、「STATION」で、消防士で殉職した野呂の兄のことを聞いてから帰宅すると、父が倒れていた。
父の話を合わせると、30分ほど前に、母のスカーフが入っている箱を取ろうとして、椅子から落ちたようだ。
大腿骨骨折が強く疑われ、内臓損傷の可能性もあるので救急車を呼んだ。
父は、やはり、右足の大腿骨を骨折していた。
手術した翌日は、医学専門書を読みたいとか退屈な様子だった。そして、3日後には車椅子で動いてもいいと許可が出た。父に行きたいところはと聞くと、売店と答えたので、咲和子は安心した。
12月に入ったばかりの朝、父が入院している病院から咲和子に、「父が40度の熱を出した」との電話があった。昨日の昼食中にむせたのが原因のようで、誤嚥性肺炎を起こしたとのことで、内科病棟に移動になりますと告げられた。
夕方遅く病院へ行くと、「手術後2週間目ですか。よくあることですよ。誤嚥は初回だから、順調なら2週間ほどでリハビリに戻れますよ」と言われた。
父の肺炎の治療経過は、まさに薄紙を剥ぎ取るように、ゆっくりと1か月くらいかけて徐々に熱が下がり、痰も少しずつ減った。
1月になって肺炎が落ち着いて、リハビリに集中できるようになったと安心したある日、再度咲和子のもとに病院から電話がかかってきた。
看護師によると、「せん妄」が現れ、深夜に父が、「火事だ。みんな避難しろ」と叫び、自分はベッド柵を乗り越えようとしたということだ。
せん妄は精神障害の一種だ。神経質なところがある父は、長い入院生活で不眠状態が続いたのだろう。父はせん妄のことを全く覚えていないのだ。
父には、安全確保のために、拘束ベルトが使用され、鎮静剤が開始された。
昔、父が大学病院で当直勤務をしていた晩に、自宅近くで大きな火事があり、咲和子は泣きながら母と深夜の街を走って逃げたことがあったが、父の脳裏をよぎったのは、その時のことだったのかもしれない。
その後も、父は、深夜の大声を抑えるため、鎮静剤が使われ続けた。
ベッドで安静にしている時間が長くなり、ますます足腰が弱まり、手術した部位が回復しているのもかかわらず、まったく歩行できなくなった。
リハビリテーション病棟に移って、リハビリをしても歩ける兆しは見られず、リハビリを嫌がるようになった。また、最近になって、まったく食欲がなくなった。父の病状は、骨折、肺炎、食欲低下と、まさに負のスパイラルのように進行していた。
けれど病気の連鎖はそこで終わってくれなかった。
2月最後の日、就寝中、父は脳梗塞を起こし、神経内科病棟に移された。その日、咲和子は主治医と面談した。
父の講演を聞いたことがあると自己紹介する枝野主治医からは、治療しても左上下肢麻痺後遺症が残ると診断された。
脳梗塞から1か月ほど経ったころから、父にはさらに新たな症状が加わった。
「脳卒中後疼痛」という少し触ったり風が触れるだけでも、激痛が走る症状を起こすのだ。
父は、このころから、「死んだほうがましや」と「死」を口にするようになった。
父の見舞いに行くたびに、咲和子はいたたまれない気持ちになった。
ベッドの父は眉間に皺を寄せ、一日中痛みに呻き、咳き込む。その姿はまるで拷問に苛まれているかのようだ。
枝野主治医に、どうにかして痛みを抑える方法はないかとお願いするが、『頭から来る痛み』を取るのは非常に困難だと言う。無理に、モルヒネの増量をお願いしたが、痛みは完全に収まらない。
ある日、見舞いに行ったとき、父は、突然に「焼かれる」と呻くように叫び声をあげる、まさに絶叫だった。眠りから覚め、ぜいぜいと荒い息を漏らしている。
咲和子は、枝野主治医に更なるモルヒネの増量を依頼した。しかし、呼吸抑制を引き起こす可能性が高くなるので危険だと言って許可はしない。
病室に帰ると、父が珍しく落ち着いた声で語りかけてきた。
「母さんの墓の前で約束したよな」と、そしてさらに、
「家に帰りたい。みんなで暮らしたあの家で、母さんの庭を眺めながら死ねれば本望だ」
父は悟ったような目をしていた。
終
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