下町ロケット・ヤタガラス
「あらすじ」
「第六章 無人農業ロボットをめぐる政治的思惑」
-1-(殿村家の圃場での無人ロボットのテスト走行)
1台のトラクターが秋晴れの圃場を走っていた。
風が吹いている。晩秋の清冽な冷気を確実に含んだ風だ。
いま殿村家の圃場でテストしている無人農業ロボットは5台。農道脇の空き地に小さな管理棟を建て、そこに帝国重工と佃製作所のスタッフが常駐する体制ができあがっていた。
「アルファー1」の実験走行を見守る島津の隣には、殿村と父・正弘の姿があった。
正弘が、「無人トラクターに何故運転席があるのか」と尋ねる。島津が理由は二つある。ひとつは動かなくなった時に有人トラクターとしている動かすために、もうひとつはまだ法律上は無人走行は認められていないと答える。
今度は、目の前を横切るトラクターを見て、島津が、「何か気づきませんか」と尋ねる。
正弘が、「作業機の形が違う」と返事する。
「そう、あの作業機にはセンサーがついていて、土壌の質を調べてるんです」、と島津は告げて、「センサーで分析した内容がモバイル(携帯可能な小型のコンピュータ)に送られてきます。そして、どんな種類の米が合うとか、どこの土壌にどんな肥料を入れたらいいとか、土壌を細かく管理することができるのです。将来的には、無人農業ロボットが自動で肥料の量や濃度を変えて撒いたりできるようになるでしょう。このようにトラクターと作業機は切っても切れないもので、作業機にICTの付加価値をつけることで、無人農業ロボットの作業効率をさらに上げることができます」と説明する。
殿村も正弘もただ唖然として聞き入るしかない。
正弘は、「なんでも出来ちまうじゃないか」というと、島津は、「そんなことはないですよ。無人で動くロボットも刻々と情報を入れてくるICT技術も、使う人があってこそ初めて有意義なものになります。米作りのために本当に必要な手順や知識は、殿村さんの頭の中にあるんです。優れた米作りのノウハウを殿村さんがお持ちですから、それをあなたひとりのものにしていては、米作りの未来はありません」と告げる。
「オレの経験や知識をさらけ出せってことか、なるほど、農家ってのは口つてに頼ってきたところが多いからな、それをきっちり教科書にしろってか。やりがいはあるな」という。
そのとき、島津は田んぼの中の一点に視点を向けていた。
さっきまで動いていた「アルファ1」の1台が停止している。島津は管理棟の中へ慌てて駆け入った。
「結局、原因は何だったんだ」
翌朝の技術開発部の打ち合わせで問うた佃に、
島津は、「それがまだ解からないんです」と冴えない表情で答えた。
野木教授に連絡して確認すると、突然エンストして止まるということは少なくとも過去2年間のテスト走行ではなかったことだと知り、島津は考え込んだままだ。
「原因はともかく何か問題があるらしいと分かったこと自体は悪くない。そのための走行テストだから」と佃は励ます。
その2週間ほど後の夜、帰りが遅くなった佃が3階のフロアを覗くと、島津がひとりパソコンと向き合っていた。
「メシでも食いに行くか」と誘うと、「このまえのトラブルで思いついたことがあって」と余程集中しているのか、虚ろな生返事がある。
パソコンにはトランスミッションの設計図の一部が映し出されていて、「おそらくこれがエンストの原因だったと思うんです」と設計図の一か所を指し示す。
無段変速を可能にしたトランスミッションの部品のひとつ―――シャフトの回りに配置された複数のギアだ。
「それで、新しい仕組みで、配置とギアの形状を工夫してみたんですけど―――ほかに可能性は思いつかないので、これで、テスト走行で問題が解決できたら、この新しい技術、特許申請したいんです」
佃は、「特許申請については、神谷先生と相談して進めてくれないか」という。
島津はよしこレデイ嫌とパソコンの電源を落として机の上を片付けた。
「お待たせしました。どこへ行きます」、と佃に顔を見せる。
-2-(モニターからの改善要求などを話し合う「ダーウィン・プロジェクト」の連絡会議)
「不具合?」 伊丹は眉を顰めた。
堀田が挙げてきた報告は、宮城県えびの市のモニター農家からのものであった。
ギアゴーストのみ―チングルームで行われている打ち合わせだ。
「ダーウィン・プロジェクト」は、月に一度、主要メンバーの会社で連絡会議を開き、様々な施策を練ると同時に、モニターからの改善要求などを話し合うことになっている。
「無人運転中に、理由もなく動かなくなったということです。プログラムをリセットしたら元に戻ったと」
「何か心当たりは」と氷室に聞くと、「通信障害でしょ」、と間髪を入れず返事が返ってきた。
「根拠のないことをいわないでくれるか」
会議用テーブルを囲んでいるキーシンの戸川が噛みついた。通信関係は自動走行制御システムを提供しているキーシンの担当だ。
「他に同じような報告はあったか」、と問うた伊丹に、「動かくなった報告は何件かありましたが、すべて使い方の問題でマシンが原因するものはありません。こちらで説明した後は正常に動いています」
「トランスミッションに問題がある可能性は」
重田に問われ、氷室が苛立ちをあらわにした。
「ないですよ。それよりエンジンを疑ったらどうなんです。ベトナム工場でしたっけ?」
重田が目に怒りを浮かべたのを見て、伊丹が割って入った。
「明確なトラブルとして報告されたのはこの1件だけだ。もう少し様子を見よう」
重田も、「一応ウチも設計その他を見直してみるが、みなさんも夫々同様に確認してくれよ。念のためだ」と纏め、隣に座っている北堀に発言を促した。
「朗報がある」、と用意した資料をメンバーたちに配布して、
「内々の情報だが、『ダーウィン・プロジェクト』が首相の肝いりのICT農業推進プログラムに内定したらしい。これで政府のお墨付きってわけで、認定されれば助成金も降りる。正式は明日あたり重田のところに来るだろう」、とあと詳細に言及した。
「これで帝国重工に差をつけることができるぞ」、と重田が声を弾ませる。
「実は帝国重工の無人農業ロボットもこれに選ばれた。しかし、これで帝国重工と比較される機会が出てくるってことさ。『ダーウィン』がいかに優れているかアピールするチャンスだと思た方がいい」、北堀が前向きの発言をする。
数日後、同業会社から聞いた「島津が佃製作所へ入社した」ことを堀田から伊丹に告げると、伊丹は、「佃製作所に………?」、ぼそりと呟いて、視線は力なく泳いでいた。
社長室を出た堀田は、かすかな不安を感じた。「ダーウィン」の躍進は華々しいが、すべてにおいて成功しているわけでない、寧ろ気がつかないところで、ほころびや矛盾が顔を出しているのでないかと思った。
-3-(「アルファ1」もICT農業推進プログラムの一環として認定される。沖田からハッパ)
財前から、「昨日、連絡があって、無人農業ロボット事業をICT農業推進プログラムの一環として認定されることになりました」、と佃に知らせが入った。
祝福した佃だが、それは「ダーウィン」もと尋ねる。
そうだと答えて、財前は続けた。「ついては、開発状況の視察ができないかと早速問い合わせがありました」
「それでしたら、圃場での無人走行実験をご覧いただけたらいかがですか」
一応提案してみますと言っていた財前から再び連絡があったのは3日後であった。
「なんでも、札幌に近い北見沢市が行政を挙げてICT農業を支援しているらしく、その取り組み自体がICT農業推進プログラムに認定されたらしいんですが、そこで、無人農業ロボットの実演を「ダーウィン」と共に実演してくれないかとの話だ」
思わぬ経緯から、「ダーウィン」との再対決が決まったのであった。
「浜畑首相の肝いりのプログラムに選ばれたそうじゃないか。どう決着をつけるつもりだ、的場君」
六本木にある、会長の沖田お気に入りの高級イタリアンである。
「『ダーウィン』には必ず勝ちますのでご安心ください」
答えた的場に、「そんなことを聞いてるんじゃないよ、君」苛立ち紛れに叱責が飛んだ。「いまだに製造部をはずしたままとはどういうことなんだと言っているのだ」
申し訳ありませんと、的場は詫びの言葉を口にして、
「一時的に外部に発注しておりますが、しばらくお待ちください。現在、製造部内で、小型エンジンとトランスミッションの開発を急いでおります」
「それともう一つ、君はいつまで『ダーウィン・プロジェクト』をのさばらしておくつもりかね。週刊誌ネタになったのは君だけでなく、世間で悪者扱いにされているのは帝国重工も同じなんだぞ。あの重田や君に所払いになった伊丹とやらに我が帝国重工が舐められるなど、言語道断だ。『ダーウィン』など叩き潰せ。いいな」
沖田にいわれなくなくても、的場は当然その積りでだった。だが、余計なことをいえば火に油を注ぐことになる。
-4-(えびの市のそれより悪い不具合のモニターのメールが新潟の農家から届く)
ギアゴーストの堀田は、誰もいないオフィスでひとりモニタに映し出された設計図を睨み付けていた。
午後10時過ぎに、「メール来ていただろう。モニターから」と言って、小室が帰ってきた。
「ダーウィン」のモニターから日々寄せられる情報の取り纏めを担当しているのは、ギアゴーストだ。
堀田が責任者として管理するメールホルダーに送られてくるメールはダイダロスヤキシーンといった関係者と共有され、重要なものは連絡会議での議題となって対策が練られる。
そのメールの送付者は新潟の米農家で、この日、運行中「ダーウィン」が突然停止し、エンジンもストップ。再起動をかけたがそのまま動かなくなったというものである。
いま自席のパソコンを立ち上げた氷室は、気難しい顔でモニタを睨み付けている。
「やっぱりこれ、エンジン化トランスミッションの構造的な欠陥なんじゃないですか。もう一度設計を精査したほうがいいと思います。げんいんがわからないんですよ、氷室さん。もしウチのトランスミッションに欠陥があったらどうするんです」
「もし欠陥があったとしても、それは私の責任じゃないだろ」
「たしかに、これは島津さんが設計したものです。でも欠陥を指摘されたら、困るのはウチなんですよ」
「欠陥があればだろ」
プライドの高い氷室の強気は、内に秘めたられた危機感の裏返しではないか―――。堀田はふとそんなことを思った。
「そのとき小室さんだけじゃない、私にとっても責任問題ですよ。前任の島津さんが設計したものを氷室は認め、引き継いだんですから、設計は完璧でも何があるかもしれない。もう一度精査すべきです。氷室さんだって、何かおかしいと思ったから戻ってきたんじゃないんですか」
「ただ気になったから戻ってきただけだ。このまえ、不具合が報告されていたからな」
宮崎のえびの市の農家で起きた一件だ。
「今回の不具合はこの前のよりもさらに悪いですよ。エンジンの再起動ができなかったって言うんですから。通信システムや自動走行制御ばかりが原因だとは断定しにくい」
すぐに返事がなく氷室はパソコンに向かっている。
「明日、問題のトラクターの修理に向かおうと思います。一緒に行きませんか、氷室さん」
「遠慮するよ、私は、とトランスミッションに問題があると証明されてから十分だ。それはそうと、堀田―――」
氷室が鋭い一瞥をくれた。「この件、くれぐれも口外しないよう、その農家に言い含めておけ。分かったな」
-5-(ICT農業推進グラムの視察は大がかりのトラクターのデモ走行に)
「ICT農業推進プログラムの視察の件、事前に知らされていたものよりも大がかりなものになりそうです」
電話で告げた財前の口調からはは緊張感が伝わってきた。
大がかりというと、どんなと佃が訊ねる。
「首相だけでなく、佐野知己や望月章吾といった農林族で鳴らした大物も同道するようです。当然マスコミも注目するはずです。これは我々にとってチャンスです」
財前は続ける。「ここで内容のあるデモ走行を行えば、かなりのプロモーションになる。もしかすると、これが製品化前の最大のチャンスかもしれません」
「おもしろいじゃないか」
北見沢市の視察の話に、ダイダロスの重田が願ったり叶ったりの笑みを浮かべたのは、連絡会議の場であった。
「アグリジャパン」の再現だと、視察時のイメージを膨らませて嬉々としている北堀は、大成功を見越してドキュメンタリー用の記録映像まで撮影している念の入れようだ。
「ちょっと外してもらっていいかな」
この会議の模様を撮影しているカメラマンに向かって言ったのは、ギアゴーストの伊丹だった。
「先日の新潟のモニター農家から報告のあった不具合の件、ウチの社員が現地に行って故障の状況を調べて来た。その報告を聞いてくれ」
伊丹の発言を継いだのはギアゴーストの堀田である。
「ダイダロスの柳本さん、それにキーシンの竹内部長、そして私の三人で現地に向かい、当該車両を見て来ました。その場でエンジンルームを開けて調べてみたんですが原因が特定できず、トラクターの現物を一旦こちらに戻してもらうことにしました」
大丈夫なんだろうなと北堀が眉を顰めたが、応える者はいない。
「明日、弊社にトラクターが運び込まれるので、担当各社でそれぞれ精査をお願いします」
重田と戸川のふたりから聞き取れない返事があってその件は了承される。
-6-(自動走行制御プログラムのバクによる「ダーウィン」のトランスミッションに変形が見つかる)
新潟から届いたトラクターのエンジンルームから、すでにエンジンはダイダロスの担当者へ引き渡され、それより早く通信系システム一式はキーシンの社員が取りに来た。
「氷室さん、分解しますよ」
堀田の声がけで、気乗りしない顔で氷室が席を立ってくる。
ゆっくりとパーツをはずし、とり出した形状を一つ一つ確認しながら作業台の上に並べていく。
柏田から、小さく驚きの声が上がったのは間もなくのことであった。
いま、ひとつの部品が慎重に取り外された。遊星ギアと呼ばれるパーツの関連部分だ。トランスミッションのギアシフトをつかさどる重要パーツのひとつである。よく見ると、不自然に変形しているのがわかる。
さらに、柏田によって変則シフト側の異常が指摘されるに至り、もはや不具合の原因がトランスミッションであることは確定的な状況に思われた。
「こんなになればそりゃ動かなくなりますよ」
柏田は愕然として表情を歪めた。「だけど、何でこんなことに」
「何かと干渉しあってるんじゃないか」堀田がいい、「どう思います?」と氷室に問うた。だが、返事がない。
ちょうど外出から戻った伊丹が、事情を聞いて顔色を変えた。「氷室君、わからないのか」
「これだけでは、ちょっと」氷室は虚ろな声を出す。
そのときキーシンの戸川から伊丹に電話があった。
通話を終えた伊丹の表情は青ざめていた。
「プログラムにバグがあったらしい」と伊丹が告げた。
自動走行制御プログラムの欠陥だという。「変則を指示するコマンドが暴走する可能性があったそうだ」
「暴走?」柏田が問うた。
「クルマで言えば、意味も無くローからセカンドに入るような指示を、1分間に何10回とトランスミッションに出していた可能性があるらしい」と告げた。
「第七章 視察ゲーム」に続く
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