5. 本社時代1(データ通信本部)
(3)「N相互銀行預金システムの基本設計」
プロジェクトチームの編成替えがあって、私は、北九州の相互銀行を担当することになった。
この銀行は、すでに、普通、当座、別段の各預金システム化の仮契約がなされていて、銀行の関係者と一緒にシステム化の基本設計から協働することになっていた。銀行側は、将来、システムのアプリケーション部分の修正は自分たちでも出来るようにしたいのである。
私たちのチームでは、先回の経験もあり、基本設計を始める前に、当該銀行の業務処理の現状(特例のものを重視)と電算化による改善予定、業務処理変更予想などについて意見を聞いたうえで、設計に入る必要があると考え、システム化について大小合わせて100項目に近い質問事項を提示させていただいた。
その回答を参考にしたうえで、基本設計に入りました。
預金の入金、出金とか残高照会とか、それぞれの業務を対象に、手作業はどの部分か、端末機で処理するのはどの部分か、電算機内で処理する範囲はどの部分にするか、そのために端末機に入力するデータは、また、端末機には数字キーの他にどんなキーを持たせるのかといったことを一定の様式に記載する。
その設計書の様式は、A3判の横上半分を3欄に区分し、左欄に端末機にデータを入力するまでの手作業の処理、中央の欄が入力するデータの数字キーとアイテムキー部分の画面、右欄が出力するデータと手作業の処理を記載する。下半分に、端末機内で処理する事項、電算機内で処理する事項を記載するといったものだったと記憶している。
チームから8名ほどの私達関係者が、基本設計書の一部を持参して、博多に月曜から金曜までの1週間出張し、朝9時から夕方17時まで、銀行の10名ほどの方に設計書を提示して説明をし、意見を求めるといった形で協議する。
この銀行は、電算機でのバッチ処理をすでに取り入れていて、、その関係の行員の方も数名含まれていた。
意見が合わない時などは、両者がその宿題を持ち帰り、私達は、夕食後、少しの休憩の後、深夜まで宿題を検討、設計書を修正し、翌日説明するという手順を踏んでいた。もちろん、次回の出張に持ち越すこともあった。銀行側も同じように夜遅くまで検討し、回答を翌日持ち寄るといった状態でした。
そして、次からの2週間は本部で設計書の次の部分を作成し、その次の1週間は、博多へ出張して銀行側と協議する。このようなスケジュールで約6か月かけて基本設計書を作り上げた。
次の詳細設計は、九州電気通信局が主体になって行うことになったので、銀行側も事務所を熊本に置いて共に作業をするし、データ通信本部からは時々熊本に出張するようになった。
その後、数か月で、私は、チームの編成替えで相互銀行チームから離れ、農協システムなどの検討をした後(記憶が明確でない)、電電公社のいわゆる部内システムの建設部門に移り、そこで数年間、顧客原簿の現行化の為に、端末機にファクシミリ―を使った電算機システムの建設をし、ある現場局で試運転をするようになったが、全国的な拡大はなかったかと記憶している。
そんなことで、データ通信本部には併せて9年間在籍したが、いろんなことを勉強させてもらった。
システム化にあたっては、当たり前のことだが、環境が許す限りにおいて、システム利用者のお客と徹底した協議をして、共に建設するという気持が必要で、それによってお客から受け入れられるものができると確信した。
だが、後年、私が戸建ての住居を購入したときは、十分な時間がなかったことと懐の関係で、建売ものを購入せざるをえなくなり、世の中はままならないこともあるものだと思った。(笑い)
現在、86歳だが、過去の経験から、興味深く恐れずに、いまも、スマホを使い、パソコンのExcelやWord、ペイント、ブログなどで遊んでおれることを喜んでいる。
このあと、9年在籍したデータ通信本部から業務管理局に転勤し、部内業務のシステム化を検討し注文する部門に在籍した。
後日の「本社時代2(業務管理局)」に続く