T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1379話 [ 自分史「―温故知新―」 7/? ] 11/4・土曜(晴・曇)

2017-11-04 15:08:18 | 日記・エッセイ・コラム

4. 四国電気通信局時代

(1)「電話番号簿編集係長の仕事」

 昭和39年(1964)2月、愛媛の松山に、家族を伴っての勤め人の最初の転勤をした。憧れていた管理機関である。しかし、知人はともかく友人は一人もおらず、不安な気持ちで一杯だった。

 井戸の中から小池の縁におかれた私に命じられた(四国電気通信局での)最初の仕事は、四国の各県版の電話番号簿を毎年1回現行化して、業者に印刷を依頼するという電話番号簿の編集業務を担当する係長であった。

 業務は管理業務ではなく現場業務ではあったが、今までの一つの市町村を領域とする仕事から、四国を業務領域とする仕事を担当することになったので、大きな責任を感じた。

 当時の電話番号簿は今のようなタウンページは無く、ハローページだけで、3か月ごとに各県版の電話番号簿4冊を次々と一定時期に発行するのだ。

 そのための、主要な仕事は、現場の電話加入原簿を元に一年前の電話番号簿の原稿を修正して現行化することである。

 それで、例えば、香川県版であれば、県庁所在地の高松電話局は電話加入者数が多いので、修正量が多く、ある時期に10数名の係員が1週間現地に出張して、五十音順に収められている電話加入原簿を持ち出して現行化する。その他の中小の局については、各局から通信局に送付されている電話番号簿掲載事項の一年間分の変更通知書を元に、通信局で現行化の作業をする。だから、係員の大半の方は、毎日、電話番号簿の現行化というルーチンな仕事をしているといっていい。

 そのようなことから、私の仕事といえば、少人数だが、20数名の係員の労務管理、誤謬のないように正確な作業管理、日程管理、それに出張先の幹部との折衝、印刷業者との日程管理なのだ。そのほかに、電話番号簿の前後のページにある電話番号簿の見方や電電公社のPR文の構成編集について起案することである。

 したがって、電話番号簿編集業務は電話営業業務の中の脇役のようなものであるが、私が対応する人は、四国管内の関係職員、電話加入者(掲載事項の誤謬などによる苦情対応)、それに印刷業者などの部外者と、今までと違って四国全体に広がり、仕事は質量ともに大いに変わったと実感した。

 そのためか、ストレス解消に、一時、パチンコに熱中したこともあったし、あまりにも熱中して、休日には「蛍の光」まで粘ったこともあったので、痔ろうになって手術をしたこともあった。

 あのときは、妻には苦労を掛けたと今でも思っている。

           「続く」

 

 

 

 

コメント
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