T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

「神様のカルテ」を読み終えて!

2011-07-09 17:46:33 | 読書

 市中病院の勤務医の日常を描いた小説。作者の夏川草介氏も地域医療に従事している医者で、この作品で第10回小学館文庫小説賞を受賞してデビューした新人のようだ。しかも、特筆すべきは、2010年本屋大賞の第2位になった小説であり、映画化もされている、続編の「同名2」は2011年の同賞で第8位となっている。

 例によって、ポイントとなる部分と思われるあらすじと、その中で心に残った文章を記述する。

第一話 満天の星

 今日が初めての結婚記念日であることを思い出したのは、多忙な救急外来の当直勤務をしていた夜の11時だった。

 三日前までは覚えていたのだったが、重症患者の治療でICUへの泊まり込みや、病棟患者にも急変があって、病院に泊まり込みで、ろくに眠っていなかった。

 今夜も救急外来の病人は一時間待ちのありさまであり、看護師の目もあり、細君へのメールも出来ずしまいに終わった。

 私、栗原一止は大学を卒業してすぐ松本平にある本庄病院に勤務する五年目の内科医である。敬愛する漱石の影響で「草枕」を暗誦するほど反読していることから変人扱いされている。

 救急外来の当直の時は、救急医という便利な名札を付けて、外科も皮膚科もどんな診療も行う。それが良いか悪いかは別問題でこれが地方救急病院の現状である。

 一止と同期で、三年前に大学医局から、この病院に来た外科医の砂山次郎が、昨日もまた大当たりだったんだなと声をかけてきた。

 一止が所属してする消化器内科の医師は一止を除いて二人で、いずれも超ベテランの老輩の大狸先生と呼ばれている部長と、古狐先生と呼ばれている副部長で、二人とも驚くべき内視鏡のテクニックの持ち主の偉い先生だ。

 地方の医師不足は年々加速するばかりであって、若い医師が来てもすぐ去っていく。そんな中で、この病院の「24時間、365日対応」という理念に賛同している砂山医師には驚嘆させられる。一止は特段の志があって働き続けているわけでなく、一握りの信念と、吹けば飛ぶような使命感だけが、かろうじてわが身を支えている。

 当直の後、朝からの通常の勤務の終わりに病棟の回診を済ませて、我が家に帰ったのは午前一時ごろだった。

 家は、古い旅館だったアパートの二階の一間だ。

 部屋を開けると、細君の姿はなく、ちゃぶ台の上にメモが置かれていた。

 「お仕事お疲れ様です。撮影のため、一週間ほどモンブランに行ってきます。ハル。」妻はプロの山岳写真家なので日本内だけでなく外国まで長期間出かけることもある。「結婚記念日おめでとうございます。また一年間よろしくお願いします。」と書かれていて、万年筆のプレゼントと手作りのパンケーキが置かれていた。

 私のほうこそよろしく頼むと声を出してみても、ちょっと寂しかった。

 細君との出会いは、二か月間、北アルプスの写真を撮るのだと、東京から来て隣の部屋に住むようになり、二か月過ぎるころ、もうすぐ行ってしまうのですねと何気なく言った言葉に、特に帰る場所が決まっていないので、もう少し居てもよいでしょうかとの返事が返ってきて、そのまま一緒に生活するようになったのだ。

 この「御嶽荘」には多くの人が住んでいるが、一止も医学部卒業から住んでいて、親しい友達が二人いる。一人は画家の「男爵」、もう一人は大学院生の「学士殿」。一止は「ドクトル」と呼ばれている。

 先日、慢性的医者不足に悩む大学医局より入局の勧めがあったが、なかなか決断がつかないでいて、砂山からも勧められているが、どうしても結論が出せないままでいる。

 いつものように、夜遅く、家の部屋を開けた途端、いきなり、お帰りなさいと細君が抱き着いてきて、「ただいまです。イチさん。」と弾んだ声とともににっこりと微笑んだ。

 深夜の二時なのに、定例のことだが、近所の神社への帰国の挨拶に行こうとせがまれた。外は満天の星空だった。

 「私は、ここからイチさんと見上げる空が一番好きです。」細君は懸命に私を励ましているのである。

 気づいてみれば、長旅からようやく帰宅した細君に労いの言葉一つもかけてなかった。「おかえり。ハル!」振り返った細君が少し驚いたような顔をしてから、すぐに幸せそうに微笑んだ。

 暗い路地のそこだけが春の陽が差しているように明るんだ。

第二話 門出の桜

 学士殿が大量の錠剤を呑んで、重症の状態になっているところを見つけ、男爵やハルと救急車を呼んだ。

 病院で学士殿は意識を取り戻し、一止に「すいません、ドクトル。」と。一止は、「構わぬ。生きている。そこに意義がある。」と言う。

 一日過ぎた病室に、学士殿の姉が来て、出雲に連れて帰ろうと思っているといわれた。

 学士殿は、私は大学に行ったこともなく、受験に失敗して、なぜかそのまま信州の田舎に流れ着いて8年になっていた。出雲の母には8年間一度も会ってなく、いつか必ず母を喜ばせてやろうと思っていたのにこんなことになったのだという。

 姉は、あなたは良くやったのです。もう肩の力を抜いて帰ってもよいのですという。

 学士殿は、私はドクトルたちを騙していたと言う。

 一止は、あなたは騙してない、あなたは常に前進していた。探求の道に学校に行くことは関係なく、何も恥じ入ることはない。

 一度、母君に会いに行ったらよいとの言葉に、学士殿が、母は先日亡くなったのですと言われ、己の浅薄さに言葉を失った。

 学士殿は退院二日後に御嶽荘を出て行くことになった。

 別れに際し、一止は明けない夜はなく、やまない雨はないといった、藤村の「夜明け前」を渡した。

 別れの朝、一止らが目覚めて廊下に出たら、廊下が満開の桜で埋め尽くされていた。壁、床、天井の全てに満開の桜の絵が描かれていた。そして古びた階段の下で全身絵具に汚れたまま毛布にくるまって眠っている男爵の姿があった。

 目を覚ました男爵は、門出に桜は似合うだろうと。天才画家である。

第三話 月下の雪

 点滴やら抗生剤やらを用いて、絶える命を引き延ばしているなどと考えては傲慢だ。もとより寿命なるものは人知の及ぶところではない。最初から定めが決まっている。土に埋もれた定められた命を、掘り起し光を当てて、より良い最期の時を作り出していく。医者とはそういうものでないか。私はそんなことを考えていた。そんな時、救急部から院内PHSが鳴ってきた、今から当直だ。

 信濃大学医学部から、来週、大学病院を案内する旨のはがきが届いていた。古狐先生の手配によるものだった。

 確かに以前に大学の医局から希望を聞いていたが、結論を出してなかった。細君に話をしたら、イチさんに期待しているのよ有難いことですという。

 二日間の休みをもらって大学病院を訪ねた。心のない動物を対象にした化学の研究機関の感がした。

 大狸先生は、みんなこぞって最先端医療に打ち込んだら、だれが下町の年寄りたちを看取るんだ。栗原君は意外とこういう医療が嫌いでないだろうと言われ、図星と思った。

 ある老いた患者に誕生日のプレゼントを聞いたら、もう一度アルプスの山を見たい、そして文明堂のカステラを食べたいと言った。

 血圧が落ち着いているころを見計らって、車椅子に乗せて屋上に連れて行くと患者は驚嘆した。一止も驚くほど北アルプスが近くに見える絶景だった。そこで、食べたいと言っていた文明堂のカステラを膝の上に置いてあげると、老人は、生きているうちにこんな幸せな時間を過ごせるとはと、嗚咽をこらえていた。この患者は二日後に亡くなった。

 孤独な病室で、機械まみれで呼吸をつづけるということは悲惨である。今の超高度な医療レベルの世界では容易にそれが起こり得るのである。患者本人の意思など存在せず、ただ家族や医療者たちの勝手なエゴだけが存在しているところもある。

 北アルプスを見た患者の病室の戸棚に一止あての手紙があった。

 病いの人にとって最も辛いことは孤独であることです。先生はその孤独を私から取り除いてくださった。たとえ病気は治らなくても、生きていることが楽しいと思えることが沢山あるのだと教えてくださって有難うございましたと。

 一止は、来年も、このまま、この病院で働くことにした。そして、細君に一緒に居酒屋で飲んで帰ろうと電話した。

 月明かりの中、松本城の写真を撮っていた細君と落ち合い居酒屋に向かった。つと振り返ると、月下の雪、その先にお城が黒々とそびえていた。

 

 

 

コメント
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