鯉の群 涼しさ創る池の波
濁りても涼しさ見えし鯉の波
昨日、60歳後半の若さで逝った友人の葬儀に参列した。
常日頃は、高齢者になっても、元気な時は生活の中で死について考えたことは無い。それが普通の人だと思う。数年後に自分が死ぬなんて考えながら生活している人はいないだろう。
何時かは死亡するだろうが、もともと死について考えていないのだから、できるだけ長生きしたいとも考えていない。
それなのに、今日は定期の通院で診療所に行った。病気したくないからだ。ただそれだけで、その先のことは考えてないのだから、人間は不思議な生物である。
人間が、元気な時は死について考えていないことは、診療所にある池の鯉も同じだ。しかし、池の鯉は明日も同じにように何も考えずに1日池の中を泳いでいるだろう。(人間に楽しみを与えてくれたり、涼しさを感じさせたりはするが。)
しかし、すくなくとも、鯉と同じ状態だけにはなりたくない。とはいっても、何かに向かって努力、挑戦したいが、これも難しい時もあるので、常に半歩でもいいから前進したいとの気持ちだけは持ちたいものだ。
明日以降の楽しみを楽しむために。今日も悪い癖が出てしまった。どうして楽しんでもらえるコラムが書けないのだろうか。努力したい。