わずか二十数名の職場にもいろいろな人がいて、不思議な経験をすることが多い。
表現は悪いが「よくそれで世の中を渡ってこれたな」と思うこともままある。
主に入荷を担当するTR氏は、夕方近くになると「五時過ぎ、第一、十枚」とだけ言い残して帰っていく。
工場からのあがりで時間帯の遅いものについては外部倉庫がらみの業者さんに運んでもらっているのだが、TR氏の言葉を詳しく表現すると「五時過ぎに第一工場からパレット十枚分の商品の入荷があるから受け入れを頼む」ということだ。(TR氏はいつも定時上がり)
夕方に工場からの入荷があるのはほぼ毎日のことで、もちろん単語を並べられるだけでも意味は分かるのだが、これでは「フロ、メシ、ネル」の関白亭主と何ら変わりなく、聞いているこちらは正直言って不快である。
もうベテランなので言って変わるものでもないとは思うが、もう少し何とかならないか。
一方、中間職であるK氏だが、かつて私が派遣で今の職場に来ていたときの指導担当者である。
あるいは演じているのかとも思うくらいの善人キャラなのだが、とにかく物事を遠まわしに言い過ぎるきらいがあり、接していて疲れることが多い。
今日は日中、唐突に「筋トレやるか?」と聞いてきた。
「折りコンを二階に上げてくれ」という意味で言っているのだが、あえて「何のことですか?」と振ってみたらやはりそうであった。
ほかにも「もう帰るの?」と言われればそれは「もう少し手伝っていってくれ」という意味であり、「自動倉庫どうする?」と言われればそれは「自動倉庫に回ってくれ」という意味になる。
仕事の指示なのだから普通にアレを頼むとかコレをお願いとか言ってくれればいいのだが、いちいち受け取るほうが「翻訳」して動かなくてはいけないので余計に疲れるというわけだ。
プライベートなら婉曲な言い回しを多用して会話を楽しむことは私自身も好きである。
しかし仕事の場では、伝えるべきことに関しては相手にアレコレ考えさせないことが思いやりだ。
善人キャラだけに他人に嫌われたくないという気持ちがあってそんな言い方になるのだとは思うが、それがかえって相手をイライラさせていることに早く気づいてほしいものだ。
職場全体を見渡せば、あいさつであったり、ちょっとした「お願い!」とか「よろしく!」とか「ありがとう!」といった声かけが圧倒的に不足しているように感じる。
会話がクルマのオイルにたとえられるように、人間社会の中で言葉の果たす役割は思っている以上に大きい。
人間関係がオイル不足で焼け焦げてしまう前に、今一度このあたりで言葉の効用について思いを致す場面があっていいのかもしれない。
表現は悪いが「よくそれで世の中を渡ってこれたな」と思うこともままある。
主に入荷を担当するTR氏は、夕方近くになると「五時過ぎ、第一、十枚」とだけ言い残して帰っていく。
工場からのあがりで時間帯の遅いものについては外部倉庫がらみの業者さんに運んでもらっているのだが、TR氏の言葉を詳しく表現すると「五時過ぎに第一工場からパレット十枚分の商品の入荷があるから受け入れを頼む」ということだ。(TR氏はいつも定時上がり)
夕方に工場からの入荷があるのはほぼ毎日のことで、もちろん単語を並べられるだけでも意味は分かるのだが、これでは「フロ、メシ、ネル」の関白亭主と何ら変わりなく、聞いているこちらは正直言って不快である。
もうベテランなので言って変わるものでもないとは思うが、もう少し何とかならないか。
一方、中間職であるK氏だが、かつて私が派遣で今の職場に来ていたときの指導担当者である。
あるいは演じているのかとも思うくらいの善人キャラなのだが、とにかく物事を遠まわしに言い過ぎるきらいがあり、接していて疲れることが多い。
今日は日中、唐突に「筋トレやるか?」と聞いてきた。
「折りコンを二階に上げてくれ」という意味で言っているのだが、あえて「何のことですか?」と振ってみたらやはりそうであった。
ほかにも「もう帰るの?」と言われればそれは「もう少し手伝っていってくれ」という意味であり、「自動倉庫どうする?」と言われればそれは「自動倉庫に回ってくれ」という意味になる。
仕事の指示なのだから普通にアレを頼むとかコレをお願いとか言ってくれればいいのだが、いちいち受け取るほうが「翻訳」して動かなくてはいけないので余計に疲れるというわけだ。
プライベートなら婉曲な言い回しを多用して会話を楽しむことは私自身も好きである。
しかし仕事の場では、伝えるべきことに関しては相手にアレコレ考えさせないことが思いやりだ。
善人キャラだけに他人に嫌われたくないという気持ちがあってそんな言い方になるのだとは思うが、それがかえって相手をイライラさせていることに早く気づいてほしいものだ。
職場全体を見渡せば、あいさつであったり、ちょっとした「お願い!」とか「よろしく!」とか「ありがとう!」といった声かけが圧倒的に不足しているように感じる。
会話がクルマのオイルにたとえられるように、人間社会の中で言葉の果たす役割は思っている以上に大きい。
人間関係がオイル不足で焼け焦げてしまう前に、今一度このあたりで言葉の効用について思いを致す場面があっていいのかもしれない。