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筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

デジタル化=アメリカ化?

2007-12-06 21:13:20 | 日記
昨日付けの記事は、結局は職場のグチではないかと言われそうだが、職場自体は好きである。
管理者である店長もほとんど店に来ることはないし、人間関係も私個人の歴史からして最上の部類に入る。
自分が世話になっている会社が、極端なデジタル的思考の果てに「商売の楽しさ」までもを放棄しているように思えるのが残念で、ついつい言葉がきつくなってしまうことをご容赦願いたい。

話は変わって、数日前の報知新聞の終面に、今年パイレーツでプレーした桑田真澄投手のインタビューが載っていた。
アメリカに1年間行って日本の良さを再認識したという。
1つのエピソードとして、とにかく向こうの選手は自分が出すゴミも満足に片付けないらしい。
桑田選手が自分でゴミ拾いをしていると「掃除する人間がいるのだからそんなことはしなくていい」と言われたそうである。
彼にしてみれば、掃除する人間が少しでも楽になればと思ってやったことなのだが、そういった「思いやり」というものがアメリカにはなかったとのことである。
役割を完全に分担するという考え方は、デジタル的と言える。

桑田投手が良さを再確認したというその日本も、徐々にアメリカ型社会に近づいていると言われる。
「思いやり」や「互恵」の精神は薄れ、「オレがオレが」と権利ばかりを主張する人間が増えた。
とにかく、どんな手を使っても、時には他人を蹴落としてでも「勝つ」ことが現代の美徳となっている感すらある。
こういったデジタル的思考が「勝ち組・負け組」という言葉に象徴されるように、生活水準の二極分化すなわちデジタル化までをもたらしたのだとすれば恐ろしいことだ。

デジタルは道具として利用する分にはよい。
だが、人間はもとよりアナログな存在だ。
デジタル的思考には「情」や「温度」がない。
こんな世の中だからこそ、アナログの持つ温かみを今一度見直したいと思う。

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