スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

祝えない&来日

2017-06-19 19:06:33 | 歌・小説
 先生とが結婚することが決定したということを奥さんから告げられたKは,お祝いをあげたいが私は金がないからあげられないという意味のことを最後に言いました。先生とKの関係は裕福な男と困窮した男に該当します。この関係は『それから』の代助と平岡と同じです。ですが平岡は自分が困窮しているということに自覚的だけれども,Kはそれにあまり自覚的ではないと僕は読解しています。Kは確かにこの部分では,自分に金がないということに自覚的とも読み取れることを言ったのですが,僕はそのようには読解していません。Kがこのときに本当に言いたかったのは,自分には金がないということではなかったのだろうと読解するのです。
                                     
 この部分の金がないということは,お祝いをあげることができないということの理由になっています。したがって,もしKがこの結婚を祝う気持ちがあり,そのお祝いに何かをあげたいのだと思っていたとしたら,金がないということについてKは自覚的であったと解さなければなりません。申し訳ないけれども金がないからお祝いをあげられないというなら,お祝いをあげることすらできない困窮を自覚していたといわざるを得ないからです。
 でもたぶん,Kが本当に言いたかったのは,お祝いをあげられないということだったと僕は解します。お祝いをあげられないというのは婉曲的ないい回しで,要するに先生と静との結婚を祝う気持ちにはなれないと奥さんに言ったのだと僕は解するのです。ただ,祝わないということについて何らかの理由づけが必要で,そのためだけに自身の困窮を利用したのだと思います。Kの下宿代は先生が支払っているわけで,Kの困窮は奥さんも知っています。ですからこのときだけ,Kは自身の困窮に言及したのでしょう。これとて困窮に自覚的でなければ言えないというならその通りですが,もし他に適当な理由があればそれでもよかった筈で,その意味では困窮を強く自覚した一言ではなかったと僕は解します。
 Kは静に恋愛感情を抱き,それを先生に告白しています。ところが出し抜けに先生とKの結婚が決まったと知らされました。Kがその結婚を祝う気持ちになれなかったのは,合理的に説明できる理由があるといえるでしょう。

 9月20日,火曜日。本牧に出掛けた帰途にI歯科に寄り,予約を入れてきました。
 9月21日,水曜日。前日に予約を入れておいた歯科検診に行きました。この日も歯石を除去しただけです。午前9時半の予約で,10時20分には帰宅することができました。また,この日は地域活動ホームが主催する夕食会とカラオケ会というのがあって,妹が参加しました。集合は午後5時に磯子駅。解散も同じく磯子駅で午後9時でした。参加したのは妹だけですが,ひとりで行って帰ってくるということはできませんので,母が送り迎えをしました。
 9月24日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は先生からの連絡がなく,午後5時半の開始でした。
 9月25日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
 9月30日,金曜日。午前11時から御講があり,母が行きました。また,この日は妹の前期の終了日,すなわち給料日でした。僕はこの日は本牧に出掛けています。
 10月1日,土曜日。妹のピアノのレッスンでした。この日は午後2時半の開始でした。
 10月9日,日曜日。母と妹が美容院へ行きました。この日も予約は午後1時。帰ってきたのは午後3時半でした。
 10月10日,月曜日。体育の日の休日で,ガイドヘルパーを利用しました。この日はボーリングでした。僕はこの日は休み。ちょうど中央競馬の開催がありましたので,馬券を買いにWINS横浜に行っています。インターネット投票もできますが,ウォーキングがてら馬券を買いに行くという習慣は変わっていません。
 10月14日,金曜日。ロスアンゼルスの伯母が来日しました。空港に到着したのが午後5時半頃。それからバスを利用して僕の家に着いたのが午後7時40分のことでした。伯母はバスよりも電車の方を好み,大抵は成田エクスプレスを利用します。このときにバスの方を利用したのは,翌日からすぐに予定が入っていて,そのための荷物が多かったからです。いつもは空港からの宅配を頼むのですが,このときは宅配が到着する前に必要なものが多かったので,バスを利用した方が楽だったのです。
コメント
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