スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&スピノザの哲学

2017-06-01 19:12:44 | 将棋
 旧伊藤伝右衛門邸で指された昨日の第28期女流王位戦五番勝負第三局。
 里見香奈女流王位の先手で三間飛車。伊藤沙恵女流二段は向飛車にして相振飛車となりました。
                                     
 2筋で歩を交換した後手が高飛車に構えたのは先手の動きを牽制するためだったと思われます。しかし先手は21分の考慮で☗6六銀と上がりました。これは実戦のように☖8五飛と回られたときに☗7七金と上がって飛車成りを受けるほかなく,一時的に悪い形になります。それでも大丈夫という何らかの見通しは立てていたものでしょう。
 ☖2五飛と戻るのは手損ですが,先手が金を元の位置に戻そうとすればより大きな手損となりますから,それほど大きな損とはいえないでしょう。先手は☗7六金と上がってこの金を攻めに使う方針に進めました。こういうのは事前に研究していたとは考えにくいのでその場での判断でしょう。少なくとも先手が想定していたのとはかなり違った展開になっていたのだと思われます。
 ☖3五歩☗5六歩☖2四飛☗5五歩☖4五歩☗9七角☖6四歩☗7五金☖6三金☗7六飛と進みました。
                                     
 ここで☖3四飛と回ったのが拙く,先に☖4一玉とするべきだったという感想があります。ですが第2図まで進めば金を攻めに使うという方針の顔はすでに立っているように僕には思えます。後手は先手が悪い形になっている間に攻めることができるのでなければ金を上がらせる意味は薄く,自分がよい形にできるまでに後手から動いてこないとみた先手の読みが優れていたという一局だったと思いました。
 里見王位が勝って2勝1敗。第四局は7日です。

 日本で本格的にスピノザの哲学の研究が始まった頃,スピノザの思想がどのようなものとして把握されあるいは受容されていたかということについては僕には若干の関心がありました。それがその後の研究の方向のすべてを決定するとはいえませんが,何らかの影響を与え得ることは確かだと思えるからです。極端なことをいえば,その受容のうちにある誤解が含まれていたとすれば,その誤解はしばらくの間は共有されかねません。したがって黎明期の研究は,思想自体の理解においてというより,研究の方向付けという意味でとりわけ重要性をもっているのだといえるでしょう。もちろんこれはとくにスピノザの哲学の研究に限定されることではありません。
 桂寿一は日本における黎明期のスピノザ哲学研究者として代表的存在といって過言ではありません。なので当時の状況を知るために,桂が網羅的にスピノザの哲学を紹介した『スピノザの哲学』を読むということは僕にとっては自然な流れでした。
 内容についていえばこれは入門書の域を出るものではありません。ある特定の主題について詳しく探求される箇所は皆無で,しかしスピノザの哲学思想において重要とみられる事柄については,簡潔にではあってもほぼ網羅されているといえるでしょう。政治論などへの言及もありますが,あくまでも哲学的観点を通してのもので,哲学に特化した入門書といえると思います。そして桂は基本的には,スピノザの思想そのものは,最初から最後まで一貫したものであったというように解していたと思われます。
 工藤喜作は最初はカントの研究を志していたけれども,学生時代にカントの研究者は多くいて芽が出ないだろうからスピノザを研究したらどうかとドイツ語の指導者に勧められてスピノザの研究を開始したそうです。これが桂が『スピノザの哲学』を執筆していたか,その少し前の頃のことと思われます。スピノザは現在でもさほど有名な哲学者ではないかもしれませんが,当時はほとんど知られていなかったといっていいのかもしれません。それを広く知らしめるという意図をもって書かれたのが『スピノザの哲学』だったといえるのではないでしょうか。
コメント
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