スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

阿修羅・原&牧師と政治

2015-09-07 19:14:02 | NOAH
 天龍源一郎に世界最強タッグ決定リーグ戦のパートナーに指名されたことが川田利明のステップアップに繋がりました。天龍が組む筈だったのが阿修羅・原です。
 原は国際プロレス出身で,解散後に全日本プロレスに入団しました。中堅格のレスラーではあったのですが,その中では抜けていたというのが当時の僕の評価です。ただ,この頃の全日本の中堅は,受けるタイプのレスラーがほとんどであったのに対し,原は攻撃型でしたから,その分だけの好印象があったかもしれません。馬場はこういう試合スタイルはあまり評価しないと思うのですが,信頼していなかったかというとそうとも思えない部分があります。ハンセンの乱入があった世界最強タッグリーグの翌年から不沈艦は全日本で仕事を開始しましたが,その初戦の相手に指名されたのが原であったからです。なお,その最強タッグ決定リーグでも,天龍は原とのコンビで参戦しています。原は後に天龍がSWSに移籍した後,復帰して天龍と組んでいますから,ふたりは古くからウマが合っていたのかもしれません。また,最強タッグ決定リーグのメンバーに選出されているところからも,馬場は原に対してほかの中堅レスラーより高い評価を与えていたのではないかと推測されます。
 原はシングルの王者になったわけでなく,本当のトップクラスのレスラーとは差があったと僕は考えています。ただ,一流レスラーではなかったとはいえないようにも思います。中堅と超一流の間の一流ということはできるのですが,こういうタイプのレスラーがほかに存在したかといわれれば思い浮かばず,総合的なランク付けという意味では僕には難しい選手です。
 リング上のファイトとは別に,私生活では問題を抱えていたようです。馬場は所属選手をファミリーと考えているので,庇える部分は庇ったと僕は推測します。馬場が解雇という決断を下したのは,実際に馬場自身か会社に実害が及んだか,及ぶことが避けられなくなったからではないかと僕は考えています。
 馬場が原について何も発言していないのは,おそらくこの一件があったからでしょう。レスラーとしての評価をもっと詳しく知りたかったという思いは残ります。

 コンスタンティンの見解として,スピノザは無神論者でなく,敬虔な人物であるということがあったというのは確実視してよいでしょう。これを肩をすくめるというコンスタンティンの仕種に直結させるなら,ハーグの牧師たちはスピノザが無神論者であるなどと愚かなことを言っているということを,コンスタンティンが暗に示して見せたということになります。この解釈が成立することは,否定し難いでしょう。
 しかし,この仕種というのは,別の観点からも解釈が可能であると思います。コンスタンティンが肩をすくめてみせたことが,牧師に対する内面的な批判を有していたことの証明であるのは僕には間違いがないことだと思えますが,それは必ずしも,スピノザを無神論者であるということ,コンスタンティンからみればおそらくそれは理由なき批判であり罵倒であった筈ですが,そういう悪口雑言に対する批判であったと確定できるわけではないからです。そもそもコンスタンティンが,宗教的指導者であるべき牧師が,政治的な事柄について口出しすること自体に不快の念を感じていたとしたら,スピノザに対する罵倒そのものよりも,スピノザの別荘への訪問を,政治的文脈を絡めて説教することをコンスタンティンはよからぬことと感じ,その感情が肩をすくめるという仕種になって表出したと考えることも可能になるからです。
                         
 カルヴィニストが基本的に王党派を支持していたという関係もあったと思われますが,議会派に属する人びとは,牧師が政治に口出しすることに批判的でした。「レンブラントの生涯と時代」の記述からして,ファン・ローンははっきりと否定的でしたし,ヨハン・デ・ウィットも同様です。また,スピノザがナイフで襲われた翌日にローンが訪問したアムステルダム市の当局者であったデ・フラーフも明らかに批判的です。また,『神学・政治論』をスピノザが執筆した意図のひとつにも,牧師のような宗教家が政治に口出しできないようにするということがあったと思われますから,スピノザがそれに対して批判的であったのも間違いないと思います。スピノザの敬虔の概念は,そのための戦略とも考えられるからです。
コメント
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