スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典帝王賞&本来的特徴

2017-06-29 19:26:50 | 地方競馬
 昨晩の第40回帝王賞。発走の直前にミッキーヘネシーが落鉄していることが判明。打ち替えるためにゲートの後方での輪乗りの時間が長くなりました。
 逃げるのではないかと思っていたケイティブレイブが躓いて出負けしてしましました。先手を奪ったのはオールブラッシュ。1馬身差でクリソライトがマーク。2馬身差でアウォーディーが3番手。また2馬身差でウマノジョーとゴールドドリームが併走。1馬身差でミッキーヘネシーとメイショウソレイユとサウンドトゥルーの3頭。1馬身差でアポロケンタッキーとなり,この後ろは差が開き,グレイスフルデイズ,タマモネイヴィー,ケイティブレイブの順に。前半の1000mは62秒1のミドルペース。
 3コーナーを回ったあたりからオールブラッシュの逃げ足が鈍り始めました。ほぼ並び掛けていたクリソライトがコーナーの途中で先頭に。これをマークするようにアウォーディーが2番手に。直線に入るとクリソライトが追いすがるアウォーディーを突き放して抜け出しました。これは決まったかに思えたのですが,後方待機策になったケイティブレイブがほかの馬たちを1秒4以上も上回る瞠目の末脚を発揮。直線一気が決まって優勝。1馬身4分の3差でクリソライトが2着。3馬身差でアウォーディーが3着。内から迫ったサウンドトゥルーは半馬身差で4着。
 優勝したケイティブレイブは前々走の名古屋大賞典以来の勝利で重賞5勝目。大レースは初勝利。この馬は一般的な評価よりは強い馬とみていて,馬券的妙味ではこのメンバーの中で最も高いと思っていました。もちろん勝つ可能性もあるとみていましたが,それは先行してのことで,こういったレースで突き抜けるとはまったく予想だにしていませんでした。最初から控えるつもりであったのか,出負けしたので腹を括って直線勝負に徹したのかは分かりませんが,これまでと一変した内容で勝ったのは大きな収穫だったといえるのではないでしょうか。このようなレースばかり続けていくことになれば取りこぼすことも多くなるかもしれませんが,先行することもできるわけですから,さらに大レースの勝利数を増やしていくことも可能だと思います。もしかしたら本質的にはもっと短い距離の方がよく,能力の高さでこのような距離まで克服していたのかもしれないとも感じた内容でした。父はアドマイヤマックス。母の父はサクラローレル。母の半兄に1999年の北海道スプリントカップ,2000年のガーネットステークス,黒船賞,群馬記念,かしわ記念,朱鷺大賞典,2001年のガーネットステークス,とちぎマロニエカップを勝ったビーマイナカヤマ
 騎乗した福永祐一騎手は秋華賞以来の大レース制覇。帝王賞は初勝利。管理している目野哲也調教師は1999年の南部杯以来となる大レース2勝目。

 denominatio intrinsecaを内的特徴という日本語で表記するのは,おそらくラテン語に忠実な翻訳であるといえるでしょう。してみれば河井のように本来的特徴と訳すのは,ラテン語には忠実ではないということになります。実際にはその意味合いは異なりますが,各々の翻訳をあるいい方として喩えるならば,内的特徴というのが直訳であるのに対して,本来的特徴というのは意訳であるということになるでしょう。
                                    
 『スピノザ哲学論攷』の本題に入る前に,まずこの訳語上の事柄を僕がとりあげたかったのは,この河井による本来的特徴という訳語が,とても優れたものであると僕には思えたからなのです。スピノザの哲学における観念論を理解するためには,内的特徴というより本来的特徴といった方がいいのではないかと僕には思えるのです。実際には僕はこの訳語は『スピノザ哲学論攷』以外では目にしたことがありません。日本語でスピノザの研究をしている河井以外のすべての学者は,この特徴を内的特徴というのかもしれません。ですが,本来的特徴という訳語がとても優れた訳語であると僕には思えますので,僕は今後は河井に倣って,denominatio intrinsecaのことは本来的特徴と表記することにします。
 第二部定義三は,精神が思惟するものであるがゆえに形成する精神の概念Mentis conceptum, quem Mens format, propterea quod res est cogitansであると観念ideamを定義しています。この定義Definitioから理解できるように,観念は思惟の属性Cogitationis attributumの下でのみ定義されます。あるいは定義することが可能です。このことは第二部定理五からも明らかだといえるでしょう。また,第二部定理四三備考では,観念が画板の上の画のように無言mutum instar picturae in tabulaであるということが否定されています。僕のいい方をすれば,観念は対象を撮影した写真のようなものであるということが否定されています。これらのことから理解できるように,観念が観念たるゆえんは,その観念が何の観念であるかということ,すなわち観念されたものideatumとは別のところにあるのです。ところで,観念が観念たるゆえんは,観念の本来の性質,本来的特徴でなくてはなりません。だから本来的特徴という訳は,優れた訳だと僕は思うのです。

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