スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典ジャパンダートダービー&近似性

2020-07-09 19:10:04 | 地方競馬
 昨晩の第22回ジャパンダートダービー。藤田凌騎手が急性腸炎のためリコーシーウルフは真島大輔騎手に変更。
 先手を奪ったのはダイメイコリーダ。発走後の正面ではカフェファラオとダノンファラオが並んで2番手を追走していましたが,1コーナーの手前でカフェファラオに走行バランスを欠く不利があり,向正面に入るところではダノンファラオが単独の2番手に。カフェファラオはミヤジコクオウの内で3番手を併走。5番手にフルフラットとキタノオクトパス。3馬身差でバーナードループ。8番手にエメリミット。2馬身差でリコーシーウルフ。4馬身差でゴールドボンバー。11番手にコージーサンラッド、ガミラスジャクソンとブラヴールが最後尾という隊列。前半の1000mは61秒3のハイペース。
 3コーナーから直線の入口にかけてダノンファラオがダイメイコリーダとの差を詰めていくと,3番手以降との差が4馬身ほどに広がっていき,直線は前の2頭のマッチレース。わりと早めにダノンファラオが前に出ました。一旦はダイメイコリーダが差し返す気配をみせましたが,最後は力尽き,優勝はダノンファラオ。逃げ粘ったダイメイコリーダが1馬身4分の3差で2着。5番手から流れ込むような形になったキタノオクトパスが5馬身差で3着。最後尾から瞠目の差し脚を使ったブラヴールが1馬身4分の3差で4着。
 優勝したダノンファラオは重賞初勝利での大レース制覇。このレースはカフェファラオの能力が上位でしたが,ダート戦で速い時計で勝っている馬は地方競馬の馬場を苦にすることがままある上に,距離の延長もプラス材料とはいえなさそうでしたから,崩れてしまうケースも皆無とは思えませんでした。ダノンファラオは前走のオープンで大敗していたために人気は下げていましたが,前々走はバーナードループに僅差の2着でしたから,カフェファラオが崩れた場合には候補の1頭。ただこのレースは最後の200mが14秒台とかなり遅くなっているわりに,ブラヴール以外には目立った末脚を発揮する馬がいませんでした。特殊な馬場状態であった可能性が大きく,結果をそのまま評価するのは危険だと思います。
                                         
 騎乗した坂井瑠星騎手はデビューから4年4ヶ月で大レース初勝利。管理している矢作芳人調教師日本ダービー以来の大レース17勝目。第18回以来4年ぶりのジャパンダートダービー2勝目。

 ここまでの検討から,どういった事柄を完全性perfectioであると認識するcognoscereのかは,必ずしも完全性とはいかなる概念notioであるのかを検討することによって決定されるとは限らないということは分かってもらえたと思います。少なくとも僕にとって最も決定的な要素は,なし得ることのすべてをなし得る存在者と,なし得ることのすべてをなすことはできない存在者とを比較したときには,前者の方がより完全といわれなければならないという点にあります。他面からいえば,僕はこの主張に対して強く同意するために,完全性という概念もまた,スピノザが主張しているようなものでなければならないと考えるのです。よって僕は,第二部定義六に同意するから,完全性はスピノザがいうような概念であると考えているのとは違うのです。むしろ,なし得ることのすべてをなし得る存在者と,なし得ることのすべてをなすことはない存在者とを比較したときに,前者の方が完全であると考えることによって,完全性は第二部定義六に示されるように,実在性realitasと等置されるのでなければならないと結論しているという方が,僕の思考の回路としては適切であると思います。
 さらにもう一点,これもまた僕がスピノザの哲学の何を美しいと感じるのかということとは関係なくなってしまうのですが,こうしたことをいうときには,第一部定理三三備考二でスピノザがいっていることにも注意しておくことが必要です。すなわち,もしもDeusが自由意志voluntas liberaによってすべてのことをなすと主張する人がいたとして,その人は,たとえば神が善意に基づいてすべてのことをなすと主張する人に比べれば,神すなわちスピノザがいうところの絶対に無限な実体substantiaについて,誤りを犯している度合が少ないのです。いい換えれば,神が自由な意志によってすべてのことをなすという主張と,神が善意によってすべてのことをなすという主張の,どちらが神すなわち絶対に無限な実体が本性naturaの必然性necessitasによって働くagereというスピノザの主張に近いのかといえば,それは前者です。僕は前者の思想からスピノザの思想に移行したのですが,そこにはここでスピノザがいっている,近似性の高さもいくらか影響していたかもしれません。
コメント
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