スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マーキュリーカップ&問題の発生要因

2020-07-21 19:06:39 | 地方競馬
 メイセイオペラ記念の第24回マーキュリーカップ
 ディグニファイドは立ち上がって2馬身の不利。すぐにリンノレジェンドがハナに立って2馬身のリード。2番手にアポロテネシー。3馬身差でヨシオ。2馬身差でマスターフェンサーと前はばらばら。ここからヒストリーメイカー,ランガディア,デルマルーヴルまでの4頭は一団。3馬身差でヤマショウブラックとセンティグレード。2馬身差でアリオンダンス。2馬身差でディグニファイド,キタノイットウセイ,アドマイヤメテオ,ナラの順。ミドルペースでした。
 向正面でヒストリーメイカーとデルマルーヴルが動いていき,3コーナーではリンノレジェンド,アポロテネシー,ヨシオ,ヒストリーメイカー,デルマルーヴルの5頭が横並び。4コーナーにかけてリンノレジェンドとヨシオの2頭は脱落。残る3頭は雁行で,マスターフェンサーが2馬身差の4番手に進出。直線での競り合いからは一番外のデルマルーヴルが前に。ここにマスターフェンサーがさらに外から襲い掛かり,差し切って優勝。デルマルーヴルが1馬身半差で2着。アポロテネシー,ヒストリーメイカーの順に苦しくなり,この2頭の外から伸びたランガディアが5馬身差で3着。
 優勝したマスターフェンサーは2月の3勝クラス以来の勝利で重賞は初勝利。このレースは実績ではデルマルーヴルが最上位でしたが,オープン入りした後,2戦連続2着のマスターフェンサーは,3歳春に敢行したアメリカ遠征の内容からも,実力は上の可能性がありました。このレースは早めに動いた馬が多く,それを後から追い掛けるという展開面の有利さがありましたから,額面通りには受け取れないかもしれません。ただし,トップクラスまでいく可能性はある馬だと思います。現状は長い距離の方がいいのではないでしょうか。父は2014年のJRA賞で最優秀4歳以上牡馬に選出されたジャスタウェイでその父はハーツクライ
                                        
 騎乗した川田将雅騎手は第15回以来9年ぶりのマーキュリーカップ2勝目。管理している角田晃一調教師はマーキュリーカップ初勝利。

 デカルトの哲学と比較したときに,スピノザの哲学に特有の問題が発生してしまうのは,結局のところ,デカルトの哲学では神Deusが思惟的実体とみなせるものであって,物体的実体substantia corporeaが神とは別に規定されている,これをスピノザの哲学の概念notioに合わせていうなら,デカルトの哲学では思惟の属性Cogitationis attributumは神の本性essentiaを構成し得るのですが,延長の属性Extensionis attributumは神の本性を構成することはないのに対し,スピノザの哲学では思惟の属性も延長の属性も,またそれ以外の人間には認識するcognoscereことができない無限に多くのinfinita属性も,同じように神の本性を構成しているからです。このために,自由意志voluntas liberaを神の本性に帰するとき,デカルトの哲学ではそれを思惟の属性と同様の意味を有する絶対的意志と規定すれば何ら問題は生じませんが,スピノザの哲学ではそのように解すると,それが本来的な意味では神の本性を構成するといえなくなってしまうのです。
 この問題の解決策は,おそらく二通りあります。ひとつは自由意志について,それを絶対的思惟と解して,その自由意志からは思惟の属性に属するすべてのもの,いい換えればすべての観念ideaが発生するといい,この自由意志と同様の絶対的なものが,各々の属性に属するとすることです。ただしこれは現実的な解決策となりません。というのは,神の本性に自由な意志が属するというとき,それは神は自由な意志によってすべてのものの創造者であるということを意味しているべきなのですが,スピノザの哲学の場合で自由な意志を絶対的思惟と規定してしまうと,神は自由な意志によってすべての観念の創造者であるということは帰結しますが,それ以外の形相的事物,すなわち知性intellectusの外にある事物については,神はその創造者ではあっても自由な意志による創造者であるということにならなくなってしまうからです。人間についていえば,人間の身体humanum corpusも人間の精神mens humanaも,直接的にであれ間接的にであれ神の自由意志による創造物でなければならないところが,スピノザの哲学では,人間の精神は神の自由な意志による創造物ではあっても,人間の身体は神の自由意志による創造物ではないということになってしまうのです。これはかえって批判を招くだけの解釈でしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする