静岡競輪場で開催された第30回全日本選抜競輪の決勝。並びは山崎-菊地の北日本,平原-武田-岡田の関東,稲垣-大塚の西日本で桐山と浅井は単騎。
スタートを武田が取って平原の前受け。4番手に稲垣,6番手に浅井,7番手が山崎,最後尾に桐山で周回。残り2周のホーム入口手前から山崎が上昇。平原を叩くと,続いていた桐山が単騎で前を斬りました。バックで稲垣がその外から被せていき,引いた平原が打鐘から巻き返して先行。ラインで出切り,4番手に稲垣,成り行きからこの後ろがインの桐山と外の大塚での競り合いに。競りの後ろにいた浅井がバックから単騎で捲っていくと,稲垣も発進。車間を開けていた武田が呼応して,3人が併走するような形。一旦は稲垣が前に出たかに見えますが,コーナーで内から抜き返した武田が先頭で直線。外に浮くような形で厳しかったかに思えた浅井が武田を捕えるも,後方で控えて最後に脚を使った山崎が大外から交わして優勝。マークの菊地が山崎の内から半車輪差の2着に続いて北日本のワンツー。浅井が4分の1車輪差で3着。

優勝した福島の山崎芳仁選手は昨年9月の岐阜記念以来の優勝。ビッグは2012年のオールスター競輪以来の優勝で通算13勝目。GⅠは9勝目。全日本選抜は2007年と2009年に優勝していて3勝目。稲垣は小細工をするタイプではないので,早い段階で関東勢と争うことが予期できましたので,大きなチャンスではないかと考えていました。実際には最終周回のバックからになりましたが,浅井も発進したので,結果的に恵まれることになりました。多くの選手がギアを大きくしたのは,山崎が大きなギアで活躍するようになったのが契機だったと思います。規制によって大きなギアはかけられなくなりましたが,むしろ今の山崎にとっては歓迎すべき材料であったのかもしれません。今年は復活もあり得るのではないかと思っています。
ライプニッツが主張していることは,実際には確かめようがないことです。僕たちが知ることができるのは現実世界だけであり,それ以外の可能世界については知りようがありません。なおかつ現実世界に関しても,そのすべてを十全に認識するということは人間には不可能であるといえます。ですから現実世界が最善の世界である根拠を示してみよと問われたなら,ライプニッツはきっと答えられないだろうと僕は思います。ライプニッツ自身が,現実世界と比較すべき可能世界を知っているわけではないからです。
論理的に考えれば無茶なことを主張していると僕は思いますが,ライプニッツが構築すべき哲学のあり方としては,こうした方法だけが許されたものであったという事情は僕にも分かります。また,仮にライプニッツの主張に乗り,無限に多くのモナドの実在を認めたときに,僕たちがそのうちに実在するこのモナドが最善のモナドではないということを証明してみよと逆にライプニッツに問われたならば,僕もそれに正しく答えることはできません。現実世界が最善であるか最善でないかは,この場合はそれこそ真偽不明であるとしかいえないからです。神が善意によってあるモナドを現実的に実在化させるということと,ある事柄は真偽不明である,いい換えれば真理であるか非真理であるかが解答不能であるということの間には,実はある関連性があるのだと僕は考えています。ただ,その関連性についての説明は後回しにします。
僕にとって興味深いのは,ライプニッツのように,神が善意であることをなすということを,スピノザが強く否定していることです。第一部定理三三備考二をみてみます。
「一切を神の勝手な意志に従属させ,すべては神の裁量に依存すると主張するこの意見は,神がすべてを善の考慮のもとになすと主張する人々の意見ほどは真理から遠ざかっていないと私も認める」。
これは長い備考の最後の段落の冒頭です。この前の部分で,スピノザは神の本性に自由な意志を認める主張に対する論駁をしているので,そうした主張が,この意見と書かれているのであり,そこにそれ以上の意味はありません。
スタートを武田が取って平原の前受け。4番手に稲垣,6番手に浅井,7番手が山崎,最後尾に桐山で周回。残り2周のホーム入口手前から山崎が上昇。平原を叩くと,続いていた桐山が単騎で前を斬りました。バックで稲垣がその外から被せていき,引いた平原が打鐘から巻き返して先行。ラインで出切り,4番手に稲垣,成り行きからこの後ろがインの桐山と外の大塚での競り合いに。競りの後ろにいた浅井がバックから単騎で捲っていくと,稲垣も発進。車間を開けていた武田が呼応して,3人が併走するような形。一旦は稲垣が前に出たかに見えますが,コーナーで内から抜き返した武田が先頭で直線。外に浮くような形で厳しかったかに思えた浅井が武田を捕えるも,後方で控えて最後に脚を使った山崎が大外から交わして優勝。マークの菊地が山崎の内から半車輪差の2着に続いて北日本のワンツー。浅井が4分の1車輪差で3着。

優勝した福島の山崎芳仁選手は昨年9月の岐阜記念以来の優勝。ビッグは2012年のオールスター競輪以来の優勝で通算13勝目。GⅠは9勝目。全日本選抜は2007年と2009年に優勝していて3勝目。稲垣は小細工をするタイプではないので,早い段階で関東勢と争うことが予期できましたので,大きなチャンスではないかと考えていました。実際には最終周回のバックからになりましたが,浅井も発進したので,結果的に恵まれることになりました。多くの選手がギアを大きくしたのは,山崎が大きなギアで活躍するようになったのが契機だったと思います。規制によって大きなギアはかけられなくなりましたが,むしろ今の山崎にとっては歓迎すべき材料であったのかもしれません。今年は復活もあり得るのではないかと思っています。
ライプニッツが主張していることは,実際には確かめようがないことです。僕たちが知ることができるのは現実世界だけであり,それ以外の可能世界については知りようがありません。なおかつ現実世界に関しても,そのすべてを十全に認識するということは人間には不可能であるといえます。ですから現実世界が最善の世界である根拠を示してみよと問われたなら,ライプニッツはきっと答えられないだろうと僕は思います。ライプニッツ自身が,現実世界と比較すべき可能世界を知っているわけではないからです。
論理的に考えれば無茶なことを主張していると僕は思いますが,ライプニッツが構築すべき哲学のあり方としては,こうした方法だけが許されたものであったという事情は僕にも分かります。また,仮にライプニッツの主張に乗り,無限に多くのモナドの実在を認めたときに,僕たちがそのうちに実在するこのモナドが最善のモナドではないということを証明してみよと逆にライプニッツに問われたならば,僕もそれに正しく答えることはできません。現実世界が最善であるか最善でないかは,この場合はそれこそ真偽不明であるとしかいえないからです。神が善意によってあるモナドを現実的に実在化させるということと,ある事柄は真偽不明である,いい換えれば真理であるか非真理であるかが解答不能であるということの間には,実はある関連性があるのだと僕は考えています。ただ,その関連性についての説明は後回しにします。
僕にとって興味深いのは,ライプニッツのように,神が善意であることをなすということを,スピノザが強く否定していることです。第一部定理三三備考二をみてみます。
「一切を神の勝手な意志に従属させ,すべては神の裁量に依存すると主張するこの意見は,神がすべてを善の考慮のもとになすと主張する人々の意見ほどは真理から遠ざかっていないと私も認める」。
これは長い備考の最後の段落の冒頭です。この前の部分で,スピノザは神の本性に自由な意志を認める主張に対する論駁をしているので,そうした主張が,この意見と書かれているのであり,そこにそれ以上の意味はありません。