スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

SとM&相違

2020-07-02 19:05:02 | 歌・小説
 『『罪と罰』を読まない』の読後の感想を述べ合う会では,スヴィドリガイロフに高い評価が与えられていました。その中で,僕がなるほどと感じた点がいくつかありますので,それについて書いておきます。
                                        
 『罪と罰』は第一部から第六部とエピローグがあるのですが,スヴィドリガイロフが登場するのは第三部の最後です。実質的には第四部から登場し,第六部で自殺するといってもそう間違いではありません。これに対してソーニャの父であるマルメラードフは,第一部に登場し,第二部で死にます。マルメラードフの死に方は,不自然な暴力による死のひとつで,酩酊した挙句の事故死とも読解できますが,僕は衝動的なものであったとしても,自殺であったと読解しています。したがって『罪と罰』の登場人物の中で,マルメラードフとスヴィドリガイロフは自殺したと僕は解しています。
 もしそれを英語で表記するとして,スヴィドリガイロフの頭文字はSになります。これに対してマルメラードフの頭文字はMです。この頭文字が,各々の人間の属性を表しているという指摘が,会談の中にありました。つまりスヴィドリガイロフはサディスティックな人間であり,マルメラードフはマゾヒスティックな人間であるという指摘です。マルメラードフがマゾヒストであるということは,僕はすでにいいました。一方で,スヴィドリガイロフがサディストであるということも,納得はいきます。というのはこの人物は,『悪霊』のスタヴローギンへと連なる人物であり,スタヴローギンがサディストではないということは不可能です。これは,編集者の検閲によって公開できなかった部分が,スタヴローギンの少女に対するサディスティックな行動を含んでいたということから明白でしょう。
 ロシア語は英語のように表記できるわけではありませんが,ドストエフスキーがサディズムやマゾヒズムに多大なる関心を寄せていたのはおそらく事実だと思います。謎ときシリーズの『罪と罰』では,スヴィドリガイロフは分かりませんが,マルメラードフの語源はマーマレードとされていて,別の意味合いもありそうです。しかしドストエフスキーがそれぞれの頭文字にも何らかの意味を含ませていた可能性も,否定できないように思えてきました。

 デカルトRené Descartesあるいは神学者たちも,スピノザも,同じように神Deusは最高に完全な存在者であるといっているのに,すでに相違が発生しているというのは不思議に感じるかもしれません。ではその相違とは何かといえば,何をもって最高に完全summe perfectumであるというのかということについて,デカルトおよび神学者たちとスピノザとの間には,明確な相違が存在するのです。
 スピノザは,ことばと観念ideaとが異なることには自覚的でした。ことばは記号であるがゆえに,僕たちがことばによって何事かを認識するcognoscereときには,事物を表象しているのです。これに対して観念は思惟の様態cogitandi modiすなわち実在的有entia realiaです。こうしたことは『エチカ』でも指摘されていることです。これでみれば分かるように,デカルトあるいは神学者たちもそしてスピノザも,同じように最高に完全な存在者は神であるといっているのですが,それはことばの上で一致しているだけであって,各々の知性intellectusのうちにそれが観念としてあるときは,異なった観念としてあるのです。いい換えれば,異なった観念対象ideatumについて,それを最高に完全という同じことばで示しているのです。
 スピノザがことばと観念が異なるということに自覚的であったのに,なぜこのようなことをしたのかということについては,ふたつの仕方で考えられそうです。ひとつは,とりあえず神についてそれが最高に完全であるといっておけば,このこと自体が同時代の哲学者や神学者たちからの批判を招くことはないだろうと考えたという場合です。つまりこれはこのことについての論争を可能な限り避けようとしたという意味であって,一種の方便であったといえそうです。一方で,スピノザは神学者や哲学者たちと同じように神を最高に完全ということで,最高に完全であるということの意味を同時代的なものから変容させようとしていたという可能性もあるでしょう。この場合にはスピノザは哲学的な戦略をもって,神を最高に完全であるといったということになります。これはどちらの可能性もあるのであって,確定的にいうことはできません。ただひとつだけ確実なことは,スピノザはそれまでとは異なった仕方で,最高に完全を規定したということす。
コメント
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