小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

8月15日~禁煙学会と「風立ちぬ」

2013-08-15 09:02:44 | Weblog
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昨日はビールを片手に・・・じゃない、お茶漬けを片手に日本vsウルグアイの試合を観戦。

ウルグアイ、強いですね~。一瞬のスキを逃さないし、攻め込む日本にシュートを許さない。横浜市より人口の少ない国がどうしてこんなに強いのか?
まあ日本の入れた2点、それなりに収穫はあったのかもしれませんが、まだまだ世界トップとの差は大きいですね。10か月で大丈夫かしらね~?

なんて、本日はサッカーの話ではなく、まあ、本日は8月15日ということもあって、先日ブログで記事に書いた宮崎駿監督作品「風立ちぬ」 の続きです。

↓ まずはネットで話題になっているこの話題。

「風立ちぬ」にクレーム 喫煙場面多いと禁煙学会 ネットで賛否論争広がる



ここにお頭さんのコメントがありますので、添付いたしましょう。

「日本禁煙学会」というのが在るそうで、
其処がこの作品の喫煙シーンの数々にクレームを立てているそうです。
アッシもタバコは御幼少の昔っから大嫌いでやんすが、
この作品で、否、この作品、ジブリ以外でも実写でも、
昔のシーンで喫煙を認めないと、物事は成り立ちませんな。
一切タバコが出ない作品は、それこそ歴史の捏造、って大袈裟ですか?
昔の新聞社編集室内とか、煙で向こうが良く見えない、ってなもんです。
時代劇だと、長火鉢にキセルをコンと叩いて火を落とすとか、無くすの?

いわば、このクレームは事後法に当たるもので、当時の価値観を現在の視点で断罪するものだあります。

日本禁煙学会の文面を見ると、それは承知の上で、現在作られた作品であればこそのクレームをつけてますが、そんなこと言ってたら映画やドラマなんて作れなくなってしまいますわな。
禁煙ファシズムと呼ばれるのもいたしかたありません。



さて、先日の記事では「風立ちぬ」を絶賛したのですが、10日あまり経って、映画から残ってるものが何もないのに驚いてます。

ごめんなさい。
あれだけ賞賛しておきながら、気が変わったというのも節操がありませんが、映画に対する自分の評価が「絶賛」→「普通」に変わってしまったのです。

まあ、勝手な心変わりといえばそれまでですが、私以外にもそんな感想を抱いてる人が多いのではないでしょうか。多分、もう一度見たら、そんな感想が新たになるかもしれません。

宮崎駿作品で最も脚本が練られているのは「風の谷のナウシカ」だと思うのですが、それに比べると「風立ちぬ」 は美しい風景と、飛行機への愛着以外に何もない・・・というと言い過ぎですが、希薄です。

逆に見る前に、ものすごいサヨク作品みたいに言われていて、見たら意外にニュートラルだったというのもあるでしょうね。



むかし「マイ・ウェイ」という、あのシナトラの曲を主題歌にしたヒット映画があったのですが、見てる時はみな号泣し、見終わったあとはケロリとして何も残らないなんて作品がありました。
みなシナトラの曲で涙してたようで、いくらなんでも宮崎駿作品にそれはないでしょうが、ややもそれに近い、夢がさめたような感触を、昨日の禁煙学会のクレームのバカバカしさと同時に感じました。

不思議なことに日本禁煙学会のつまらないクレームを読んで、もう一度、映画のことを思い出したら「意外に残ってるものが少ないな」って思い出したのです。何ででしょうね??

でも、風景と飛行機だけは素晴らしかったな。
その感想は変わらないので、たぶんその点だけは突出してるのでしょう。

とりとめもない文章になりましたが、みなさまはどう思われますでしょう。
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食中毒になりました!

2013-08-14 07:19:07 | Weblog
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痛風を発症した昨年のように「酒飲みの風上にも置けない」と言われそうですが、昨日、食中毒になりました。
いや・・・食中毒かどうかは、医者に行ったワケじゃないのでわかりませんが、 猛烈な腹痛に襲われ、いやはやその難義なこと!

昨日、午前9時頃にブログの記事をUPさせて、さあ仕事にかかろうとしたところ、胃腸に妙な違和感が・・・。

はじめのうちは風邪の症状が胃に来たかと思ってましたが、周期的に襲ってくるズーン、ズーンという痛みは、どう考えても風邪じゃない。

どうやら、昨日作っておいたビシソワーズがいけなかったみたいです。

ビシソワーズは夏になると何度も家で作るのですが、昨日のものは日経のレシピ欄にヨーグルト入りビシソワーズというのがあったので、作ってみたものでした。牛乳とヨーグルトは加熱しないというレシピで、ジャガイモとタマネギのピューレを熱いまま入れて放置していたのがいけなかったかもしれません。

放置時間は6時間くらい。普段の時期なら大丈夫なはずですが、猛暑のうちは食べ物の管理に気をつけないといけません。
普段旨いものばかり食べているバチが当たったんだという声が聞こえてきますが、インドで腹をこわして以来、七転八倒の苦しみでした。



こう見えて(どう見えてやねん)食べ物の賞味期限には気をつける方で、変なものは口にしない方なのですが、昨日はいけませんでした。

6時間放置したヨーグルト・ビシソワーズ。
出来立ての時にもちろん味見したのですが、その時に微妙な酸味がありました。

もちろんそれはヨーグルトの酸味です。
酸味は一番、食べ物が食べられるかどうかの基準になるものですが、 買ったばかりのヨーグルトと牛乳に安心していたのですね。

朝食べたビシソワーズは美味しくありませんでしたが、大丈夫だという変な確信があって完食してしまったのがいけなかったのでしょう。
最近は朝のスープにガスパチョなど冷えたスープを愛飲してたので、ここぞとばかり作ってみたんですが、あかんかった!

それにしても食中毒というのは、いきなり来るそうですが、昨日の苦しいの苦しくないのって(どっちやねん)。

周期的に胃の中がせり出してくるような鈍い痛みが、ズーン、ズーンとやってきて、しばらくは治まるのですが、また周期的にやってくる。

いや、インドで経験して以来、2番目に苦しい腹痛でした。

情けないのが、自分で作ったもので腹をこわしたことでありまして、もちろんこれは初めての経験です。


冷いスープを作るときの塩梅だろうな、やっぱり。

普段、わたしは真夏にカレーを作るときなど、一度沸騰した鍋にフタをして放置しておきますが、それでお腹をこわすことはありません。

そのつもりで、加熱してない牛乳とヨーグルトに、加熱したピューレを入れたのがいけなかったんだろうなあ。

昨日は丸一日ぶりの食事。
玄米おかゆを食べましたが、食べて1時間。

何ともないので、たぶんもう大丈夫かと。

みなさまも夏の食事にはお気をつけくださいませ。
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暑いぞ、日本列島!

2013-08-13 09:33:38 | Weblog
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↑ 京都美山に行ってから1か月あまり。絵地図のラフ修正がようやくもどってきて、いよいよ本番です。なんせ狭い集落ですから、みんな知り合い&友だち。ああでもないこうでもないと、調整に手間取ったようであります。

まだ裏面の修正が届きませんし、どうなることやら。

西日本以南は、あれからずっと猛暑が続いているようでしたが、つい1週間ほど前までは東日本はエアコンなしでも何とか過ごせる感じでした。

夜は扇風機でいいやと、つけっぱなしにしていたら、先週は夏風邪にかかり難義でした。なんせ咳とタンがひどい。汚い話ですが、風邪の時に出る青く粘着質のタンです。

ウイルスを追い出そうと体が戦ってるんでしょうな。
その上、ノドにいたウイルスが目に来たのか、赤く腫れあがり、タンに似た感触の目ヤニがいくらでも出てきます。

目からこんな老廃物が出てくるなんて初めてだったので、それはびっくり。
熱は出ませんでしたが、ノドと目が難義な1週間でおました。



聞けば巷では夏風邪が流行っているもよう。
症状はやはり咳とタンが出るタイプみたいで、胃腸に来るタイプもあるようです。

それにしても東日本。
比較的涼しい日が続くと思っていたら、この猛暑。

それもインドの酷暑期とあまり変わらないような猛暑です。

はじめて彼の国に行ったのは1988年の4月。インドの中でも4月5月は酷暑期にあたり、デリーあたりでは連日40度超え。
その時、驚いたのは気温も40度を超えると扇風機の風がドライヤーになることと、汗が出ずに、汗腺から蒸発していくことでした。

日本では経験することない暑さ・・・そう思ってたら、ここ2~3日の暑さは、日向は汗が蒸発するレベルですね。

インドでも40度を超えると死者が出るそうですから、いわんやわが国においてはなおさら。

日差しにしてもインドとはいかないまでも、太陽光線を浴びると、そこから体力が吸収されていく感触はやや近づきつつある感じです。

夏暑いのと汗をかくのはきらいじゃないんだけど、これは仕事の能率が下がるわいな~。

サラリーマン時代、夏のエアコンがイヤだったので、その反動なのか、昼間はエアコンをなるべくつけない主義だったのですが、今年はそうも言ってられません。

それにしても夏風邪は治りにくいなんて言いますが、ホントに体のバランスが崩れます。みなさまもお大事に!
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日本料理は日本人だけのもの?

2013-08-12 07:48:10 | Weblog
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こちらは麻布十番の更級堀井、刻みしそ入り更級蕎麦です。わたしは蕎麦丸ごと使った田舎蕎麦が好きなのですが、これはこれで美味しい。

しそ入りなんて本来の蕎麦じゃありませんが、もちろん変わり蕎麦も立派な日本料理。気分を変えて食べるには美味しい一品です。

都内丸一日30度を超えるという猛暑の中、蕎麦屋にて暑気払い。
十番には3軒堀井がありますが、ここは大元の老舗だそうです。
ここはなかなかの繁盛店。 場所がらもありますが、外国人のお客さんも多いのは向こうのガイドブックに載っているのでしょう。

日本一おいしい蕎麦かどうかはわかりませんが、ここの料理であれば日本料理の一部として外国に紹介するには恥ずかしくありません。

実際、これからロシアやインドにも出店するという話があるそうで、まがい物の横行する海外の日本料理店の中で本物を見せてほしいと思います。

そういえばトルコ料理もイラン人やアラブ系の経営が多いそうで、六本木の外苑東通りに軒を連ねるトルコ料理の面々などは、私が見てもトルコ人じゃない連中が客引きをしています。

誇り高いトルコ人があれを容認するのかと思いきや、やはりアセナのレベントシェフなどは、見ればすぐトルコ人かどうかわかるそうで、それはそれはお怒りのご様子でした。日本料理のまがい物もそれと同じようなことですね。

日本は日本人だけのものじゃないと言った人がいますが、日本料理に関しても日本人だけのものじゃないという文化人の方々がおりましたが、言うまでもなくとんでもない話です。

外国生まれの寿司としてカルフォルニア・ロールは日本でも定着してますし、フレンチメニューのビシソワーズもアメリカ人が考案したフランス料理であるなど、母国以外の場所から生まれた料理は色々あります。



百歩譲って、デザート寿司などが許されるかもしれませんが、どうしても看過できないのが衛生面で問題のある日本料理ですね。

もちろん衛生面云々なんていうのは、日本では論外の話なのですが、外国ではけっこうある話で、それで日本料理の看板を出されてはたまりません。

また、料理というのは高度な化学変化であるゆえ、日本料理なら日本料理、フレンチならフレンチ、イタリアンならイタリアンのセオリーがあります。それを知ってて変化を加えるならいざ知らず、知らずに「プリンに醤油をかけてウニの味」などという料理を出されてもたまりません。

加えて言えば、日本料理は日本の知的財産なので、そういうことで簡単に侵されてはいけないということですね。

外国人でいっぱいの麻布十番更級堀井で、そんなことを思いました。
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十条銀座商店街~やきとり宝石

2013-08-11 08:15:31 | Weblog
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昨日は十条にある出版社に顔合わせ&打ち合わせ。アスファルトの照り返しは40度を超えるかという猛暑の中、お出かけしました。

十条といえば、2か月前に友人が立ち飲みスタンドの焼き鳥屋をオープンした場所です。一石二鳥とばかり、大学時代の友人の担当者と一緒にやきとり宝石に出かけました

十条銀座商店街はなかなかディープ。

巣鴨地蔵商店街もシャッターが少ないところでしたが、こちらも同様に(まったくないわけではないが) 閉まったお店の少ない良い商店街です。

揚げ物の総菜がそこかしこにあって、どこも美味しそう。痛風持ちには危険地帯と言って差し支えないでしょう。

谷中の商店街もそうだったけど、東京にはこういう商店街があるんだよね。夜間人口の少ない赤坂に望むべきもありませんが、晩のおかずにサクッと買える安いお惣菜が本当に少ない。

チキンカツ140円なんて、プレッセじゃ半額タイムでもこの値段にならんもんね(ま、今わたし揚げ物は家では食べませんけどね)。

八百屋、肉屋、甘味処、お惣菜をかきわけ、十条銀座の脇道に入ると、ほどなくやきとり宝石を発見。本来、立ち飲みはわたしの望むところではないのですが、せっかくなので居座ることに。

やきとりは1串55円からで、8種類ほどがこの値段。
味は中の上というところですが、1串55円というコスパを考えると85点くらいの感じかな。

食べログなどにも書かれていましたが、ここの本当のオススメは元割烹料理の花板だったおやじさんの作るお造りやお惣菜なようです。

写真は飛龍頭、いわゆるがんもどきの関西風の呼び名。関西風の上品なあんかけと、下品なイクラのトッピングが絶妙。

お造りに使うネタもなかなか上物で、そこらの寿司屋より余程旨い。
やきとりばかり注文しちゃったけど、次回はこういう副菜注文だなあ。 打ち合わせのあとで飲み出したのが、この日は4時半。

8時ちょい過ぎまで飲んでましたが、お値段は二人で5000円強(出版社の奢りですが

食べログなどにも書かれていましたが、ここの本当のオススメは元割烹料理の花板だったおやじさんの作るお造りやお惣菜なようです。

写真は飛龍頭、いわゆるがんもどきの関西風の呼び名。関西風の上品なあんかけと、下品なイクラのトッピングが絶妙。

お造りに使うネタもなかなか上物で、そこらの寿司屋より余程旨い。
やきとりばかり注文しちゃったけど、次回はこういう副菜注文だなあ。



打ち合わせのあとで飲み出したのが、この日は4時半。
8時ちょい過ぎまで飲んでましたが、お値段は二人で5000円強(出版社の奢りでしたが)。立ち飲みでも、これは及第点以上ですね。素晴らしい!



心配だったのは料理長がやや高齢で、昨日の暑さが相当に堪えてるようでした。



ご自愛のほど。今の時期・・・飲食店の厨房、こりゃあ、地獄だな。
熱中症にご注意を。



飲んだあとは、十条にある篠原演芸場という芝居小屋の前までに連れていってもらいました。

もちろん芝居を見ることはありませんでしたが、この場末感・・・たまらんなあ。
十条は度々来ることになりそうなので、機会を見つけて一度見てみたいと思いました(真顔)。

二度と見たくないと思うか、けっこうハマってしまうのか。
大阪は通天閣で見たような芝居小屋でおました
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上野国立博物館の「和様の書」

2013-08-10 04:17:47 | Weblog
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「和様の書」展、見てきました。

地味な書道展と思いきやとんでもない!
日本文化の根幹を見せてくれる素晴らしい展覧会でした。

なにが日本文化の根幹って、そりゃ仮名文字であります。



最近、立て続けに出土された仮名文字のある焼き物ですが、意外に古く、9世紀にはその原型が見られるのが興味深いところです。

丁度、その時代の帳簿なども展示されていて、公式の文書はみな漢字で書かれているのですが、読み言葉が書き言葉にうまく表現できないもどかしさが感じられました。

仮名というのは当然ながら、当時の日本語の発音をほぼ網羅できた文字だったのでしょう。



仮名の誕生から、新古今和歌集などを通して仮名文化が花開くようすも興味深い。

当然のことなのですが、昔の人にとって書と絵画というのは一体のものだったのですね。書家の能力と画家の能力というのは同じではないので、一枚の画面に違う作家どうしが共作するものは少なくなかったようですが、少なくとも出来上がったものは完全に一体。

紙に金銀をほどこした「平家納経」なども展示されていて、それはそれは華麗なものでした。

面白かったのは信長や、秀吉、家康の直筆です。

信長の直筆は余計なことが書いてません。用件だけ。
秀吉の書はそんなに上手ではありませんが、 愛嬌のあるもの。
家康の書は尊大ながらこまごました感じです。

直筆というのは不思議なもので、見ていると、その人となりが見える気がしてきます。これは絵画でも同じことですが、書というのは当然ながら意味があるわけで、その点がなおさらかな(わたしは絵の方が見えるものが多いのですが)。

もう少し、すらすら読めたらもっと面白いんですが。
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海賊とよばれた男、読了しました!

2013-08-09 10:08:54 | Weblog
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「海賊とよばれた男」読了しました。

単純に面白かった、一気に読んでしまいました。

百田尚樹(ひゃくた・なおき)氏はツイッターでフォローしていて、この人の個人的意見には必ずしも与みできないのですが、 やはり作品は圧倒的に読ませますね。
百田さん。梶原一騎、司馬遼太郎以来の講談師ですわ。

この小説が出光興産の創業者・出光佐三をモデル(小説内では国岡鐵造)にしているなどは、様々なところで述べられてますし、石油に関しては門外漢なので、そのことについては他の記事なり、何より実際に本を手にとって読むのが一番です。

なにしろ出光佐三こと、小説内の国岡鐵造はこんな人物が日本人にいたのかという人物です。

正しいと思ったことは、何があっても邁進する。既存の勢力がかじりついて離さない既得権益とも徹底的に戦うし、戦後のGHQにも一歩も引かない。
今は絶滅したかのような、昔の日本人・・・。

こんな日本人は本当に絶滅したのでしょうか?

いや、そうでもないと思います。

戦後、たしかに日本人は脆弱になりましたが、日本の歴史を眺めていくと、戦の時代と平和な時代とで、勇猛果敢な日本人と花鳥風月を愛でる日本人が交錯してきました。

その中で、この主人公の姿というのは、海賊というよりも、室町後期から戦国時代のいわゆる「野伏せり」の姿が重なりました。

野伏せりとは、普段は百姓をして農耕作業にいそしみながら、いざ戦があると鎧兜を着けて戦場に赴く人たちですね。江戸時代になって士農工商に分けられるまでは、こうした層はけっこう人口として多かったようです。
ちょうど黒澤明の「七人の侍」の菊千代みたいな人が、束にたっていたような感じでしょうか。

これは小説内でも出て来る社訓「士魂商才」にも重なるところがあります(野伏せりは生活のためにやっていたのでしょうが)。

主人公国岡が就職する時に、まわり卒業生が海運会社や商社に就職するのに、この人は神戸で小麦粉と石油を扱う酒井商店に「丁稚」として入店。学友から「お前は気違いだ。学校のつらよごしだ」と非難されたそうですが、このあたりはまさに野伏せりです。

会社でも人使いが荒く、勤労意欲の高い山賊集団みたいな会社は(ブラック企業とは違います。お間違えなきよう)、やりたいことができて、やりがいがあるところが多いようですが、まさにそういうリーダーだったのでしょう。

それにしても満鉄時代、中国人のテロに対して石油会社には警備をつけず、隣りにあった国有地の空き地に警官を配備したという当時の官僚のエピソードがありましたが、このあたりは戦前戦後とまったく変わりがないようです。

とりとめのない文章になってしまいましたが、先の大東亜戦争が石油に終止した戦争だったのを再確認できたこと。パーレビー国王の前のイラン政権の話など、知らないことがいっぱい書かれてありました。

それにしても、正論には風当たりが強くなるのを地でいったような生涯には頭が下がります。

近いうち出光翁が収集したコレクションが集まる出光美術館、また行ってみるかな。
収集物は大変な目利きですが、出光翁はそのものの本質に切り込む才があったのですね。そういう人が集めたものは、ブランド価値でものを見ないだけ間違いなかったように思えます。
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ヒロシマ平和学習の違和感

2013-08-08 06:48:16 | Weblog
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銀座コアビル7Fのクルーズ・クルーズというところで、勉強会と暑気払い。結婚式の会場になるお店とあって、そのインテリアはなかなかなものでした。

おはよう日本を見ていたら、広島で平和ノートを使った平和学習をしてるというニュースをやってました。

それは、最初に先生が被爆者の女性が大阪の警官にバイキン扱いされた、差別に遭ったという寸劇を見せて、原爆が何を人々から奪ったを生徒に書かせるというものでした。

うーん。
爆心地・広島を前に言うのも憚られますが、いつもながら広島の平和教育には違和感を感じます。世界で原子爆弾の攻撃に遭った都市は広島と長崎しかないというのに・・・。

たしかに被爆者が遭った差別というのは、大きな問題ではあるでしょうが、それは原爆投下によって生み出された二次災害です。
なんで原爆からいきなり差別の話に行くの?
子どもに原爆のことを教えるなら、順序が違うのではないでしょうか。

もっと根本的な話があるはずなのに。

このブログでも何度か申しあげてますが、思い起こされるのが、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という慰霊碑の碑文です。

インドのパール判事も批判したというこの碑文、「過ち」を犯したのが日本人であると解釈できること。
仮に人類そのものを指していると解釈したとしても、「原爆投下は戦争終結に必要だった」と、原爆を正当化しているアメリカは含まれません。アメリカは原爆投下を「過ち」とは解釈しておらず、「必要だった」と見なしているからです。

だからこそ、昨日記事にしたオリバー・ストーン監督の広島訪問は大きな意味があるのですが、広島お膝下の教育現場がこれでは如何なものでしょう。



これは学校教育全体に言えることですが、先ず最初に「戦争はいけない」ありきで、なぜ戦争が起るのか、どういう理由と背景があって戦争が起るのかを完全にスルーしています。

教育の仕方も、子どもに同じ結論を言わせるような仕組みになってますね。
ニュースでやっていた平和ノートも、すべての子どもの○(マル)をあげる平等方式というのも気になります。

大抵の子どもは、戦争というのはやみくもに人を殺して町を破壊する(その通りなのですが)ものだと思っていて、戦争にルールがあるとか、条約があるなんてことも知りません。

まあ、そんな教育現場に「戦争にルールがある」なんて言おうものなら、戦争肯定者扱いされかねませんが。

戦争はあってはならないことですが、最初に「どんなことがあっても戦争はいけない」ありきは思考停止な原理主義でありファシズムです。

なんでも事が起るには原因があるわけで、原爆投下にしても、先の大東亜戦争(太平洋戦争は戦後GHQによって定められた呼称)がなぜ起ったかから考える必要があるでしょう。

まあ、そんな教育を平和ノートの現場でなされるのは、アメリカが原爆投下を謝罪することを期待するに等しいかもしれません。


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オリバー・ストーン監督の広島訪問

2013-08-07 09:47:59 | Weblog
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毎年、この時期になると広島や終戦記念日の話題が決まって出てきますが、今年は広島にあの「プラトーン」のオリバー・ストーン監督の来日ということで、少しづつ時代が変わってきたかという気がしてきました。

個人的にはストーン監督作品、押し付けがましかったり、表現過剰、決めつけが多かったりと、そんなに好みの作家ではないのですが、さすがにチェルノブイリでドンパチやったりとか、簡単に核弾頭を爆発させるような人ではありません。

ハリウッドは共和党支持者が多いそうですが、おそらくストーン監督はそちらの中心人物に当たるかもしれません。アメリカ国内ではむしろ自虐史観の立場に立ったタイプに思われていて、保守層からはあまり良く思われてはいないと思います。
(ストーン監督が自虐史観というのではありません。国内で彼をそう思う層がいるだろうという話です)。

プラトーンのベトナム戦争の描き方を見てもそうですしね。

周知のようにアメリカでは、「原爆投下は戦争終結に必要だった」という見解で、教科書などでもそう教えています。

10万人もの民間人虐殺がどう考えても正当化されるはずはありませんが、それが戦勝国の見解で、そのせいかハリウッド映画の核の描き方というのは、粗雑きわまりないものがほとんどです。

平気で核弾頭は爆発するし、核爆発のあとも残留放射線が描かれたためしはありません。これって映画だから許されるってレベルじゃないのですが、知らなきゃ仕方ないかなと諦めの気持ちと共に見ることがほとんどです。

これから長崎と沖縄に立ち寄る予定というオリバー・ストーン監督、何か新しい映画に反映する予定なのでしょうが、もちろん凡百の核弾頭爆発のハリウッド作品とは一線を画したものが完成するでしょう。

あの日、広島と長崎に何が起ったのか、来日するまで知らないアメリカ人がほとんどな中で、ストーン監督のような大物が作品を作る意味は大きいです(まだ作るかどうかわかりませんが、きっと作るでしょう)。

なんせ、米国人はみんな知らないんですから。

アメリカ政府は崩壊しない限り、「原爆投下は戦争終結に必要だった」という見解を変えないはずですが、少なくとも民間レベルでは加害者側に当たる米国人に、彼の地で何かがあったかを見せていく活動が必要に思えます。

それにしても毎年慰霊祭を見ていて「戦争を二度と起こさない」「平和を貫く」という思考停止なお題目には、年とともに違和感を覚えるのですが(無謬性は原理主義と同じです) 、そんな意味では落とした側の人がやってきて、何がそこで起ったのか確認することは極めて意義のあることに思えました。

高齢となった被爆者の方々が恨み言を言わないのも、ストーン監督が謝罪をしないのも(当たり前ですが)良かったと思いました。

それにしても原子爆弾・・・68年も前に作られたものでさえこの威力。
抑止力にはなるはずですが、こんなモン、持ってていいのかどうか?

みなさまはどう思われるでしょうか。

最後に監督は「原爆の威力と、今の町の発展に違和感を感じた」との言葉。
これも印象的でしたが、どういう意味だろ?
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六本木~アンドレアス・グルスキー展

2013-08-06 09:06:44 | Weblog
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昨日は六本木の新国立美術館で開催されている、アンドレアス・グルスキー展を見てきました。

ポスターを見ると、モダンアートの立体作品みたいですが、これは何と写真展。
被写体はあのカミオカンデ。

ニュートリノ計測のために作られた、岐阜県神岡鉱山地下1000mに存在した観測装置で、小柴教授のノーベル物理学賞受賞で有名な、あのカミオカンデです。

大きいもので横が7mくらいある写真のプリントは圧巻で、どれも何枚もの写真を合成してデジタル加工しているのが特徴です。

写真とはいえ、出来上がった画像は作家の意図に合わせて作られてるという点は、決定的瞬間は素人でも機会が与えられている報道写真のようなものとは根本的に考え方が違います。

それにしてもどこをどう加工してるのかわかりませんが、相当に凝ったデジタル加工です。

パリのモンパルナスの集合住宅を長いパノラマ作品にしたものがありましたが、やたら画家の部屋が多い。
いくらモンパルナスでもこんなにいないだろうというくらい、イーゼルとキャンバスがこれ見よがしに並んでいて、この辺りは凝った加工だなと感じさせました。

以前はやったスーパーリアリズムより、よほど絵画的なのが興味深いところです。

写真というのは複製のできるものですから、その点絵のような一点ものに比べると値段をつけにくいのですが、グルスキーはニューヨークで3億4千万円という、写真では破格の価格で落札された人だそうです。

彼の作品はデジタルデータをインキジェットでプリントアウトしたもので、基本的には、やろうと思えばいくらでも複製はできるのですが、横7mサイズのプリントアウトとなるとおいそれとはできません。

グルスキーという名前は生粋のドイツ人っぽくありません。

たぶんポーランドとかあの辺のルーツなのかもしれませんが、作品の体質はまさしくドイツ。それも東西冷戦の時の名残を感じさせます(はたして旧東ドイツ、ライプチヒ生まれ)。

写真とは思えない迫り来る物質感はまさしくドイツでした。

気になったのはバンコクの汚れた川の写真で、日本語が書かれたゴミが多かったこと。希望的に見れば日本人の捨てたゴミではなく、デジタル編集だと思いますが、ならばなぜ日本語を使ったのか?

日本を撮影した写真もいくつもあり、日本にわるい感情をを抱いてる人には思えず、むしろ逆なくらいなのですが・・・
考えてみると、拙著「インドのアチャールくん」もインド人に見せると、必ずしも良い反応をいたしません。それとちょっと似てるかも。


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うどんチェーン、群雄割拠だけど・・

2013-08-05 09:52:26 | Weblog

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本日も昨日に引き続きチェーン店のお話です。

こちらは先日、赤坂通りから撤退した「東京焼き牛丼」のあとにできた、「つるまる饂飩」のうどんと紅ショウガのかき揚げです。

で、お味はというと、あまちゃんの太巻社長じゃないけど「普通」かな。普通というのは良くも悪くもない。つまり印象に残らないってこと。

本日も昨日に引き続きチェーン店のお話です。

こちらは先日、赤坂通りから撤退した「東京焼き牛丼」のあとにできた、「つるまる饂飩」のうどんと紅ショウガのかき揚げです。

で、お味はというと、あまちゃんの太巻社長じゃないけど「普通」かな。普通というのは良くも悪くもない。つまり印象に残らないってこと。


うどんは冷凍のものを茹でるだけ。
まあ、うどんは冷凍適正抜群なので、それ自体はわるくないのですが(冷凍した方が旨くなるという説あり)、丸亀製麺をマネただけの固いうどんは如何なものか。

固いうどんとコシがあるのを間違えている人が多いのですが、これをこんなものかなと思うのか、それとも固いと感じる人がいるのか。



クライアントだから言うわけじゃないけど、味から言って「どんどん」のうどんに軍配です。東京は水天宮に一軒あるだけなのが残念。
赤坂に出店するよう会長にメールしましたが、 「東京はむずかしい」って言ってたし(昔は何軒か出していたけど、ほぼ撤退)出店はどうでしょう。
むずかしいかな~。

柔らかくてコシがあるうどん、東京モンにはまだ理解されないかもしれません。

会長は丸亀製麺のうどん、あまり良く言ってませんでしたけど、その理由は固さ=コシとしていること。その方が手間がかからないし、大量に売るには都合良いんですね。手間かかることやると、どうしても利益が出ない。そこがチェーン店に辛いとこでしょう。

ただ、最近のうどんチェーンの特徴は、だし汁が美味しいってことでしょう。
つるまる饂飩もだし汁だけは、なかなかのもの。

・・・ていうか、東京の醤油を入れた黒いだし汁に比べて、関西風の白いだし汁の方が旨いよね。昔は東京の人間もあれしか知らなかったから食べたけど、黒いうどん汁の方が好きだって東京人の方が、今は少ないんじゃないの?

わし、生粋の東京人やけど、黒いだし汁で唯一好きなんは、正月実家でいただく江戸前お雑煮のだし汁だけかいな~(ふろむニセ関西人)。

それより赤坂にはチェーン店よりも、個人でがんばってる良い店がいくらでもあります。そういう店に参入してほしいですね。

何か特別なチェーンならいざ知らず、同じような店は赤坂にこれ以上いりません。
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強敵、六本木の板前寿司!

2013-08-04 10:20:22 | Weblog
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こちらは赤ちゃんの顔ほどもありそうな宮城県産の岩牡蠣。

また食べてばかりいますねと言われそうですが、そうじゃありません。
こんなブログをチェックしてるあ・な・たが食いしん坊なんです(笑)。

そんなわけで今回は久々に食べ物の話題、それも滅多にしないチェーン店の話です。

六本木は寿司チェーンの激戦区。
なかでも正月築地のマグロのセリで常に高値を争う、「すしざんまい」と「板前寿司」は中で目立った存在です。

六本木の板前寿司。

この日はブログにUPした写真以外に色々注文したので、勘定もさぞ高いものになるだろうと思いつつ、意外にそんなに行きませんでした。
居酒屋で色々注文した方が高くつくくらいです。

ネタも上々でかなりのもの。
というか、大変クオリティが高く、仕込みも素晴らしい。

何でだろうと水産会社の友だちに聞いてみたら、六本木と赤坂の板前寿司はいわばアンテナショップに当たり、儲け度外視でネタを提供してるそうです。

彼の話だと一番赤坂、二番六本木だそうです。
今度赤坂店も行ってみっぺかな。

あの岩牡蠣なんか、銀座の高い寿司店だったらいくら取られるか。こちらはサバの棒寿司。

厨房を見れば、いつも同じ見るからに経験豊富そうな職人さんたちが淡々と仕事をこなしています。

そもそもチェーン店だから味が落ちるのそうでないのではなく、どんな職人さんがその店にいるかという方がポイントですが、ここの板前寿司のコスパは本当にすごい。

押し寿司をここまで出来るというのは、よほどの職人さんがいないとできない芸当です。

ちなみに寿司で一番難しいのは握りではなく、巻き寿司だそうですが、ここの巻き寿司を見れば良い職人さんを揃えてるのがわかります。

香港資本の板前寿司だけど、ここまでのクオリティでされると選択肢のひとつになってしまう。

頑張れ、日本の寿司チェーン!


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麻生副総理の軽すぎるナチス発言

2013-08-03 11:23:40 | Weblog
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先日のコメント欄で麻生副総理の話がいっぱい出たので、簡単に記事にしたいと思います。

まだ民主党政権だった頃、セブン区議にくっついて永田町に行った時、たまたまお見かけしたことがあります。
意外に背が高く、着てるもの着こなしもダンディ。
TVで見るよりずっと格好いい。

思わずこの人が政権に復帰してくれたら良いなと感じるほどでしたが、今回は漢字の読み間違いとか、そんなレベルの話ではありませんね。

ネットでは、「マスコミが麻生サゲをしてる」とか「全文を編集して、麻生さんを悪者にしている」という声もありますが、全文を読んでも、今回の麻生発言・・・完全にアウトです。



最初はマスコミに曲解されてるんだろうなと思っていて、全文とYouTubeにUPされた画像を見てみました。そしたら、こりゃ言われても仕方ないなということを言ってるではありませんか。

たしかに最初の方を読むと正しいことを言ってます。

ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。

うんうん、これは例のマスコミの悪質な編集だな。
そう思って読み続けていると、 終わりの方で言ってるこの一文。

「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」。

おおおお!

これは「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった手口を、日本の憲法改正で取り入れたらどうだ」と取られても仕方ない。というか、そういう風にハッキリ言っているではありませんか。



不思議なのは青山繁晴氏などが、この一文を「曲解だ」と言ってますが、とても文章を生業にする人の発言とは思えない。
あれほどの人が、この文面を見て「曲解である」というなら、実は読解力がないのか、さもなければ確信犯です。

彼らが批判している中国がやってる手口とまったく変わらないということになる。
ご著書も読みましたが、少々失望かな~。

でも、ネット上などはもっと強引な意見が多いんですよね。日本語理解してるのかな?

わたしは麻生さん、きらいじゃないけど、この発言は完全にダメだと思いました。
さんざん、総理大臣時代に漢字の間違いなどで、メディアの攻撃はわかってるはずなのに・・・そもそも憲法改正に「ナチス」という単語を入れるなら、もう少し慎重に考えないといけません。

ちょっと政治家としての資質として如何なものかと考えてしまいますねえ・・・。

説明もしないで、前言を撤回というのもねえ。



参考までに、こちらはあ@花さんのコメント抜粋です。

あの発言では逃げられない、逃げられないからなんにも説明しないで撤回でいいのかよ、ていう話です。
あたかも慰安婦を正当化したように受け取られた橋下さんは辛抱強く辛抱強く説明していますよ。それは一定の効果を得ていると思うよ。参院選での比例の票、支持率の上昇を見ても耳を傾けてくれた人がそこそこいたのはわかるよ。海外に対しても、なぜその発言が出てきたか説明するその途中で日本の立ち位置を説明できるでしょ。
究極的には発言を謝罪するにしても、なんで自分の意図を説明しないの、っていう話です。

説明はあとからしたようですが、読む気がせずに未読です。


誤解ないように申し上げると麻生さんの明るいキャラ、わたしは嫌いじゃありません。ビジュアル重視な人間なので、本人目の前にして格好良いと思ったこともありますし。

プーチン大統領に肩を組んでるツーショットもなかなかなもの。

でも、それって政治家の一部のキャラクターで、中身とは違います。

ネットでは「プーチンに肩組めるのは麻生親分だけ」とか賞賛されますけど、あれで三島でも返ってきたら別だけど、プーチン、そんな甘い人間じゃないです。

これで3年は憲法改正に手がつけられないでしょうけど、今の改正案に疑問の声が出る中、変に改正するよりかえって良いかもしれませんね。
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「風立ちぬ」~思想は反戦、体質は好戦

2013-08-02 08:27:44 | Weblog
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タイトルで誤解しないでください。
映画は実に素晴らしかった!

さすがは宮崎駿監督です。

ネット上では鈴木プロデューサーの護憲発言や、宮崎監督の「慰安婦に謝罪すべき」という発言に対する攻撃が喧しく、見る前は色眼鏡で映画に接しそうでした。
それが実際に映画を見てみると、反戦思想を打ち出してる映画でも、戦争を肯定してる映画でもなく、単純に飛行機作りに情熱を燃やす技術者の物語でした。

特に背景の美しさは筆舌につくしがたい表現・・・

ただ、この人の作品。
破壊する場面や戦闘シーン、カタストロフィの表現が凄まじいんですよね。

インタビューで言ってることは完全に左巻き思想なんですけど、実際の映画に接すると、この人は戦争肯定者だと思われかねないほどであります。

宮崎監督はよく言われるように「矛盾の人」と呼ばれますが、たしかに普段言ってることと、作品があまりに違いすぎる。



宮崎監督はインタビューで、戦前に生まれていたら軍国少年になっていたろうと自分でも言っています。

だから最初は、左翼や右翼の中でリバーシブルになってる人がいるようなもの?
そう思っていましたが、作品を見ながら思ったことは巨匠宮崎駿はそんなレベルではないようです。

と言うか、そもそもアート、芸術作品というのは、最初に本人の体質ありきで(才能とは少し違うもの)、思想や学習にあまり左右されないものがある。
今回の「風立ちぬ」を見て、そんなことを強く感じました。

それは遺伝子のようなもので、どのようにしても変えることのできないもの。
元から持っている顔かたちや血液のようなものとでも言いましょうか。



作品と本人というのは、当然ながらリンクする部分が多いものですが、個人差はあるものの、必ずしももそうではありません。

小心者で人の意見に左右されながら改訂を続けていったブルックナーが、あの壮大な大伽藍のようなシンフォニーを作ったりすることもあれば、ベートーベンのように曲と本人のギャップが少ない人もいます。

宮崎駿の場合、矛盾をそなえた典型的なアーチストですね。

この人の言ってる思想というのは、まったく与でできないのですが、作品は本当に素晴らしい。

ただ、72歳になった宮崎翁の仕事を見てさらに思ったことに、キャラクターと背景画の乖離を強く感じました。
キャラと背景が合ってないというのではありません。

背景の実在感、存在感が圧倒的なのに対して、キャラの薄さが際立つ感じでした。

難を言えば声優でしょうか。

主人公の堀越次郎の吹き替え。あまりに下手な棒読みにいったい誰かと思ってクレジットを見たら、エヴァンゲリオンの庵野監督。大物だけど声優は素人ね。

ほかにもプロの声優じゃなく、風間杜夫、國村隼、大竹しのぶなど、みんなプロですが役者さんを使っていて、いつものジブリなんだけど、声優使った方がいいのになと思いました。

ともかくもこの映画、必見です。まだの方はぜひご覧あれ。


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米ロス近郊の公園で慰安婦少女像の除幕式

2013-08-01 09:28:07 | Weblog
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米ロス近郊の公園で「慰安婦」少女像の除幕式

うーん、またこんなことが・・・。
さすがに市長は除幕式に出席しなかったそうですが。

”いわゆる”慰安婦問題は周知のように、朝日新聞が中心になって作り上げた問題です。ただこうなってしまうと、その真偽がどうこうではありませんね。

公園で遊んでる親子づれのほとんどは、日本と朝鮮半島の間に何があったかなんて興味ありません。
慰安婦像を見ても、女の子の銅像があるか程度にしか思わないでしょうけど、「日本が朝鮮半島で悪いことをした」というイメージは植えつけられる可能性は高い。

「なんだかわからないけど、わるいことをした」

そういうイメージを植えつけられるのです。
日本人として受け入れがたい侮辱です。

なんだかんだちゅうて、当たり前の話ですがアメリカは大戦中は敵国でした。
アメリカ人は未だ真珠湾攻撃を奇襲だと信じているし、実際にパールハーバーで戦ったアメリカの軍人当事者にとってみれば奇襲に違いありません。

だから「日本が悪いことをした」というイメージは、多くのアメリカ人にとってはすんなり受け入れられること。事実がどうかということとは関係なく・・であります。



慰安婦問題はすでに解決ずみの問題でありますし、そこをあれこれ突いてくる隣国も如何なものですが、日本政府としては韓国が色々言ってくることは折り込み済みのはず。

中韓両国はこういったロビー活動に相当な国家予算をつぎ込んでいるとかですが、残念ながら、わが国にはそれに対抗する予算も情熱も少ないようです。
それどころか、国内で「慰安婦問題を謝罪しろ!」 なんていう日本人の意見もあるくらいだからね。

アメリカ国内の公園に何で慰安婦の像が設置されるのか、理解に苦しみところですが、こんな屈辱的は日本政府が、ちゃんとロビー活動に対する予算を取って、はっきりモノ申して止めないといけません(ダジャレじゃなく、遺憾に思うじゃイカンのです)。




先日の東アジアカップの横断幕についても、隣国の日本叩きの情熱には頭が下がるというか、ウンザリするというか・・・日本人には想像もできない情熱ですが、私たちはそういうもんだと考えるしかありません。

相手を変えることはできないし、韓国人の中にも、そういった自分の同胞のネガティブな情熱に辟易してる人も少なくありません。
(でも、そういう人たちも国内でハッキリ発言できないんですよね。その点、日本のケースとリバーシブルで同じかもしれません。つまり慰安婦問題が実は日本人自身・朝日新聞らの手によって作られた問題であるという意味で)。

大事なことは、相手が良いか悪いかではなく、そうやって日本に対して攻撃してくる人がいる国があるということを認識することです(もちろんそうでない人も大勢いることは折り込まないといけませんが)。

そういった場合、相手をただ非難することは有効ではありませんが、明らかに相手が無法を仕掛けてきた場合は対抗措置を取らないといけません。

なにも戦えとか、戦争しろいうのではありません。
せめて慰安婦少女像などという、どこの少女をモデルにしたかわからないようなモノを設置させないための発言や運動はしないといけません。



とはいうものの、隣国の日本叩きの情熱に対抗するには、相当な手間と人員が必要で、これはそのための専門家がいないとなかなか対応できないレベルです。

だって、図書館の地図帳に印刷されてる「日本海」の表記を「東海」に張り替えるようなことを、民間レベルでやる相手ですからね。情熱のレベルが違います。

ともかくも国益を損なう外国のロビー活動。
しっかり予算を取って排除してほしいものです。
コメント (2)
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