小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

ヒロシマ平和学習の違和感

2013-08-08 06:48:16 | Weblog
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銀座コアビル7Fのクルーズ・クルーズというところで、勉強会と暑気払い。結婚式の会場になるお店とあって、そのインテリアはなかなかなものでした。

おはよう日本を見ていたら、広島で平和ノートを使った平和学習をしてるというニュースをやってました。

それは、最初に先生が被爆者の女性が大阪の警官にバイキン扱いされた、差別に遭ったという寸劇を見せて、原爆が何を人々から奪ったを生徒に書かせるというものでした。

うーん。
爆心地・広島を前に言うのも憚られますが、いつもながら広島の平和教育には違和感を感じます。世界で原子爆弾の攻撃に遭った都市は広島と長崎しかないというのに・・・。

たしかに被爆者が遭った差別というのは、大きな問題ではあるでしょうが、それは原爆投下によって生み出された二次災害です。
なんで原爆からいきなり差別の話に行くの?
子どもに原爆のことを教えるなら、順序が違うのではないでしょうか。

もっと根本的な話があるはずなのに。

このブログでも何度か申しあげてますが、思い起こされるのが、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という慰霊碑の碑文です。

インドのパール判事も批判したというこの碑文、「過ち」を犯したのが日本人であると解釈できること。
仮に人類そのものを指していると解釈したとしても、「原爆投下は戦争終結に必要だった」と、原爆を正当化しているアメリカは含まれません。アメリカは原爆投下を「過ち」とは解釈しておらず、「必要だった」と見なしているからです。

だからこそ、昨日記事にしたオリバー・ストーン監督の広島訪問は大きな意味があるのですが、広島お膝下の教育現場がこれでは如何なものでしょう。



これは学校教育全体に言えることですが、先ず最初に「戦争はいけない」ありきで、なぜ戦争が起るのか、どういう理由と背景があって戦争が起るのかを完全にスルーしています。

教育の仕方も、子どもに同じ結論を言わせるような仕組みになってますね。
ニュースでやっていた平和ノートも、すべての子どもの○(マル)をあげる平等方式というのも気になります。

大抵の子どもは、戦争というのはやみくもに人を殺して町を破壊する(その通りなのですが)ものだと思っていて、戦争にルールがあるとか、条約があるなんてことも知りません。

まあ、そんな教育現場に「戦争にルールがある」なんて言おうものなら、戦争肯定者扱いされかねませんが。

戦争はあってはならないことですが、最初に「どんなことがあっても戦争はいけない」ありきは思考停止な原理主義でありファシズムです。

なんでも事が起るには原因があるわけで、原爆投下にしても、先の大東亜戦争(太平洋戦争は戦後GHQによって定められた呼称)がなぜ起ったかから考える必要があるでしょう。

まあ、そんな教育を平和ノートの現場でなされるのは、アメリカが原爆投下を謝罪することを期待するに等しいかもしれません。


コメント
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