写真は今、被災地を訪問しているチベットの最高指導者、ダライラマ14世です。
ツイッターから「拡散希望」とまわってきた写真で、子供たちが合掌している姿が何とも美しい1枚です。
ほかにもダライラマがコンビニで買い物をしている姿など、
さまざまな写真がツイッター上では出回ってますが、そのどれも「拡散希望」と書いてあります。
さもありなん。
だって、ダライラマが日本にいるって知らない人も多いのですから。
理由は簡単。
テレビでも新聞でも、彼の国に気を使って報道しないからです。
今年の4月、震災直後に被災地の見舞いをされた時も報道されなかったしね。
うーん。
ニュースの取捨選択は、メディアに任されているわけで、
その自由を侵害するつもりはないのですが、
菅元総理のお遍路さんを大きく報じて、
ダライラマの被災地訪問をまったく報じないというのは、あまりにバランスに欠ける話ですね。
報道しない自由、という言い方にはできるでしょうけど。
中国で、ひき逃げされた2才の女の子を、
通行人たちが見て見ぬふりをして死なせたニュースは、耳新しいところですが、
見て見ぬふりをした人が法律上、罰せられることはありません。
ただ、罰せられないからといって、それを「ないもの」として無視するというのは如何なものか。
ダライラマ14世被災地訪問のニュースをスルーするというのも、
微妙に違う話ではありますが、本質は似た事柄のように思えます。
メディアは中国に気づかったのでしょうし、
報道することでことを荒立てたくないと思ったのでしょうが、
あまりそれは日本のためにならないと思います。
先日、お頭さんへのコメントにも書いたのですが、
吉川英治の三国志を読んでいたら、びっくりする記述がありました。
呂布に追われて敗走する劉備玄徳に、
玄徳と同じ元漢室で、猟師に身をやつしている男の元に身を寄せる。
男は狼の肉だと玄徳をもてなすが、明くる日に厨房に女性の死体があるのに驚いて聞いてみると、
男は「長年連れ添った妻です」という。
「貧しくふるまう肉がないゆえ、わが妻の肉をふるまいました」
これに玄徳はいたく「感激する」というくだりです。
吉川英治はこの文章の直後に、「読者へ」という注釈を入れています。
日本人には到底受け入れられる話ではないが、原典ではこれを美談として扱っており、
迷った末に書くことにした。
さすがの吉川英治も、この話を良しとはしていませんでしたが、
カニバリズム云々というより、この話で読み解けるのは、
「女房の肉を差し出す者は、絶対的な味方だ」という考え方でしょう。
時に人は、自分の家族も犠牲にしなければいけないこともあるでしょうが・・・
やっぱり、女房の肉を差し出しちゃイカンだろー!
ダライラマ訪問の無報道は、レベルこそ下りますが、
結果的に、国として女房の肉を差し出すことにならないかと危惧するばかりです。
これがホントの、”妻にク(肉)”ってかかる・・なんて、シャレにならないけどウフッ♪
ツイッターから「拡散希望」とまわってきた写真で、子供たちが合掌している姿が何とも美しい1枚です。
ほかにもダライラマがコンビニで買い物をしている姿など、
さまざまな写真がツイッター上では出回ってますが、そのどれも「拡散希望」と書いてあります。
さもありなん。
だって、ダライラマが日本にいるって知らない人も多いのですから。
理由は簡単。
テレビでも新聞でも、彼の国に気を使って報道しないからです。
今年の4月、震災直後に被災地の見舞いをされた時も報道されなかったしね。
うーん。
ニュースの取捨選択は、メディアに任されているわけで、
その自由を侵害するつもりはないのですが、
菅元総理のお遍路さんを大きく報じて、
ダライラマの被災地訪問をまったく報じないというのは、あまりにバランスに欠ける話ですね。
報道しない自由、という言い方にはできるでしょうけど。
中国で、ひき逃げされた2才の女の子を、
通行人たちが見て見ぬふりをして死なせたニュースは、耳新しいところですが、
見て見ぬふりをした人が法律上、罰せられることはありません。
ただ、罰せられないからといって、それを「ないもの」として無視するというのは如何なものか。
ダライラマ14世被災地訪問のニュースをスルーするというのも、
微妙に違う話ではありますが、本質は似た事柄のように思えます。
メディアは中国に気づかったのでしょうし、
報道することでことを荒立てたくないと思ったのでしょうが、
あまりそれは日本のためにならないと思います。
先日、お頭さんへのコメントにも書いたのですが、
吉川英治の三国志を読んでいたら、びっくりする記述がありました。
呂布に追われて敗走する劉備玄徳に、
玄徳と同じ元漢室で、猟師に身をやつしている男の元に身を寄せる。
男は狼の肉だと玄徳をもてなすが、明くる日に厨房に女性の死体があるのに驚いて聞いてみると、
男は「長年連れ添った妻です」という。
「貧しくふるまう肉がないゆえ、わが妻の肉をふるまいました」
これに玄徳はいたく「感激する」というくだりです。
吉川英治はこの文章の直後に、「読者へ」という注釈を入れています。
日本人には到底受け入れられる話ではないが、原典ではこれを美談として扱っており、
迷った末に書くことにした。
さすがの吉川英治も、この話を良しとはしていませんでしたが、
カニバリズム云々というより、この話で読み解けるのは、
「女房の肉を差し出す者は、絶対的な味方だ」という考え方でしょう。
時に人は、自分の家族も犠牲にしなければいけないこともあるでしょうが・・・
やっぱり、女房の肉を差し出しちゃイカンだろー!
ダライラマ訪問の無報道は、レベルこそ下りますが、
結果的に、国として女房の肉を差し出すことにならないかと危惧するばかりです。
これがホントの、”妻にク(肉)”ってかかる・・なんて、シャレにならないけどウフッ♪