漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

宇宙消失

2006年03月15日 | 読書録
「宇宙消失」
グレッグ・イーガン著
創元SF文庫刊

を読了。

 SFを貪るように読んでいる。何を読んでも面白いから、止まらない。
 長いブランクを埋めようとしているのである。
 あるいは、脳がSF小説に飢えていたのかもしれない。
 こうした読書は、暫く続きそうである。

 さて、「宇宙消失」。
 各所で絶賛の長編である。
 これは絶対に読もうと思っていた。で、ようやく読んだのである。
 面白かったが、多少難解な部分もあった。
 ハードSFが好きな人には、間違いなく勧められるが、これまでSFなんて殆ど読んだ事が無いという人には、勧めないほうがよさそう。読み手を選ぶだろうという意味である。ただし、P.K.ディックが好きな人になら、押し付けてもよさそうだ。

 ストーリー自体は、それほど大したものではない。
 「バブル」と呼ばれる、冥王星軌道の約二倍の暗黒の球体に、突如、太陽系がすっぽりと包み込まれた・・・その設定はものすごいし、ブレードランナーばりの世界観にも惹かれるが、物語自体は、登場人物も舞台も限定的で、膨らまない。サイバーパンク以降の、細かいガジェットの扱いの上手さばかりが目を引く。まるで長い短編小説のよう。
 ただ、量子論の応用の仕方がアクロバティックなのである。「えっ?」って感じ。でも、正直、なんだか多少すっきりしない。
 「観測」によって「確定」していないものには、あらゆる可能性がある。言い換えれば、「観測」によって「可能性」が「収縮」され、たったひとつの事実として「決定」されるという意味だ。しかし、もしその可能性の中から一つを、固有の意思によって選びとって「収縮」出来るとしたなら?「波動関数」の収縮が、人類特有の能力だったとしたら?そのそれがこの物語りの出発点なのはわかるのだけれど、過去まで含めた多元宇宙を相手にするには、多少無理があるような気もする。とはいえ、その「確定されていない現実の不安定性」が、ディック的な悪夢として、魅力を持っているのも事実。ただし、もし同じ話をディックが書いたとしたら、もっと感動的で、泣ける物語にするだろうな。