漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

心の泉

2009年01月04日 | 雑記
 
 正月休みも今日で終わり。
 明日は仕事初め。

 年初に、ネットを始めた当初からの付き合いの方からメールを頂いた。
 嬉しかったのだが、その中でちょっと「心の泉」という話が出た。

 心の泉。それは、感性の源泉。あるいは、感動する気持ち。魅惑される気持ち。そうしたものをあらわす言葉。
  
 心が枯れる。磨り減ってゆく。失われてゆく。心の泉を感じられなくなるとき、そういう言い方をする。誰にも覚えのある感情。それは恐怖感に近い。

 だが、心の泉が枯れるということがあるのだろうか、とも思う。枯れたのではなく、埋もれてしまっているだけなのではないか。そう思う。あるいは、そう思いたいのか。
 日々の中で、間違いなく鈍くなっているとは思う。それは否定しようがない。だが、ゆっくりと一人で時間をかけて、自分に向き合うなら、自分が思っているよりもずっと、まだ自分の中に湿った部分があることに気付くように思える。それには集中力が必要で、確かに簡単なことではないが、求めることができる。なぜなら、心の泉とは自分の生命そのもののことであり、自分が存在する限り、失われてしまうものではないからだ。

 年を重ねるにつれ、経験が増すごとに、逆説的に鈍くなってゆく。それは、自分の見知った場所から離れることが難しくなるからだ。心理的にも、距離的にも。それは仕方のないことかもしれない。だが、自分の中にあるものは、ずっとそこにある。だから、恐れる必要はないはずだ。

 年初から、そんなことを思っていた。自分に言い聞かせるかのようにして。