漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

一面に開けた平原で

2006年02月10日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 一面に開けた平原で、先ほどから途方に暮れている。
 足を踏み出すと、地面からさっと手が生えてきて、私の足の裏を柔らかく掴む。驚いて、さらに一歩足を踏み出すと、その足もまたさっと草を掻き分けて生えてきた手によって捕らえられてしまう。手は足をしっかりと掴んでいるわけではないから、さらに先へ踏み出す事は可能だ。しかし、踏み出した足が地面に着く前に、また生えてきた手によって掴まれてしまう。どうしても地面を踏む事が出来ない。
 途方に暮れながら、私は辺りを見渡す。風がすいっと吹いて、平原の草を揺らす。
 手は、常に二本だけである。必ず、一本がさっと消えてから、次の手が現れる。一人の手だと言いたいのか、律儀に必ずそうなっている。手は不健康に白く、太くはないが、柔らかそうだ。また、私の右足を掴む手は左手で、左足を掴む手は右手だから、どうやら私と向かい合っているらしい。
 私は先へ進まなければならない。だから、この生えてくる手が邪魔でしょうがない。私の行く手を阻むというわけではなく、私の行く方向へ生えてくるだけだから、別に不都合はないじゃないかと言われてしまうとそのとおりなのだが、しっかりと足が地面を捉えられないのは、気持ちの良いものではない。それに、身体がどうしても不安定になってしまって、思わず倒れそうになる。必要以上に腹に力が入って、くたびれる。不都合ではないが、無駄な労力が煩わしい。
 いっそ倒れてしまえば、手も私を支えることは出来なくなるだろうから、諦めるかもしれないとも考えた。だが、手は私がバランスを崩した途端、身体を見事に支える。たった二本の手で、私の身体を転倒から救うというのは、ぞっとするほど驚異的だ。
 私は思い切って走ってみることにした。足には自信があるから、私の足について来れるだろうかという気持ちだった。
 しかしもちろん手は遅れる事がなかった。そればかりか、益々生えてくるスピードを増してくる。むきになって走っているうちに、私はとんでもないことに気が付いた。
 私はいつのまにか地上から数十メートルも高い場所を走っているのだった。私の走る速さより、手の生えてくる速さの方が遥かに速いせいで、気が付くとそうなっていたのだ、
 こうなってしまうと、私はもうどうする事も出来ない。さっきまでの強気はすっと消えてしまった。うっかり転倒して、手が支えてくれなければ、私はまっ逆さまに地上に落下してしまうだろう。
 地上から伸びた、白く柔らかい手の上で、私は辺りを見渡した。地平線の辺りに、水色に輝くものが見えている。あれは湖だろうか、海だろうか。その輝きに向かって歩こうと思った。慎重に、白い手を踏みながら。