困ったときの助け合い。
義援金を募る広告が頻繁にあるのは当然にあるものの、
銀行、金のある処にして、振込手数料の負担まで願う。
業務として手数料を取るのは仕方ないとしても、義援である。組織がその時、
慈悲もなく金儲け必然と強いる態様は哀しくもある。
それこそ「献」の気づかいを失ったのか?
この事に、いささかも驚くべきことではないとすることが当たり前になってしまったのだろうか?
金融支配社会は横暴になる。その洗脳はマスメディアを駆使して、慈悲の心を抹殺する。
弱者を利用してまで慾に精を出す、殺伐とした社会、世の中となってきた。
裕福というのは逆に貧しくある心となるのはなぜだろう?
世の道理が、常に相対がくっついて成すからだろうか?
貧しくある者の心が清いのは道理に基づく者だからか?凡人は常にそういう事に遭遇する。
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