つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

盧生の夢

2024-10-02 | Weblog
ウクライナのゼレンスキー大統領、米国のトランプ前大統領に会いに行く。
米国の現大統領でもないのに、である。これは、これから起こる未来を示唆するが、ある簡単なカラクリを持っている。多くの人達が将来とする未だ来ぬ時を定かにするのは、招来を握る大衆の意識である。
物事が正しく回る秩序は、意識に左右されるが、天候の不順は、浄化を急ぎ荒れ狂う。「病は気から」を組んで、ちょっとした隙に風邪をひき熱が出て、やがて自然に治癒する。荒れ狂う空模様も静かに整う。風梵、波穏やかに!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邯鄲の夢

2024-10-02 | Weblog
愛は無償にて愛である。ただ与えてただ去るのみ。
近年ボランティア活動(無報酬で働く人)という言葉を耳にする。
また、無償にて食事を提供するところがある。何の見返りも求めない。愛情あればこその成せる業である。この誉れ高き行為は称賛にある。感ずる心としての感心は感服である。
現在、金融支配下にあっての愛情はさながらにして、似非である。それは、ところどころにあっては繋がらないためである。皆繋がってこそ久しく為せる事であるために、衆生救済には至らず、損得の中に埋没する。本当に必要なところに行き渡らずに終わるためである。そのために似非としている。一炊の夢。
一般の「一時の気の迷い」として感じて嘆く、侘しさと寂しさに覆われての感歎である。栄枯盛衰の域。
もし、本気で愛の情けという感情移入ができるなら、それぞれが皆繋がらなくてはならない。金融支配社会に於いても、損得なく愛情でもって分かり合えるなら、魂の使命である「愛」ある社会が実現する。それは偏に称賛、魂への天帝からの計らい、命運である。寿命とはそこに尽きる、「あなた次第」として。
事物に執着しては過つだけである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする