つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

真(新)じるものは救われる

2022-11-09 | Weblog
人それぞれに終を迎える一生涯。そこに、まぎれもなく美しさを刻めたろうか?
顧みて、人に恥じない生涯を描けたろうか?いや、誰にも一つや二つ、三つや四つ哀しく刻んだ時があるはずである。
それは若気の至りにして、普通のことである。決して悔やまれることでもない。年を経て
鮮やかに描きなおされた人生の道筋があるならば、胸を張って誇ればよい。
過ぎ去りし時というのは仕方が無いのだから、これからを正せばよいだけのこと。
「過」というのは、あやまつとも読まれる。私達は常に過ちながら生きていく。だから、過去は水に流して、
正しく未来を作ればよい。過ぎ去った物事は二度と帰っては来ないのだから。
正しく未来さへ作っていけば、永劫に繋がっていくのだから。
月が隠れて天王星も隠れて、稀に見る事態が赤黒く放たれた夜の光に、新旧入れ替えを天が示す。
これから数日の時を経て、隷属から解き放たれた真の自由を与る。もう鎖につながれた犬の自由ではない。
真の自由はまことに美しいものである。その美しさを心の歌にして、我を奮い立たせて生きていくことである。
自身に少しでもまことがあるなら、大丈夫である。
真に信じるものは救われるものである。
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