つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

少数は貴

2022-11-17 | Weblog
優れているものは少数。
どうでもいいものは多数。
価値あるものは少数。
無価値なものは多数。
常識としてあるものは多数にしてあるが、
非常識としてあるものは少数。
どこに
良い悪いを決めるのは多数にして決められるが、
多数が誤っていれば転倒した社会が現れる。
善が悪で悪が善となれば、すべてが悪だらけ、
地獄というのは、そういうところである。
悪が善となって正義となるために、正されることがなくなっていく。
どうか(同化)している社会、世界となるために、気が付かなくなってしまう。
気づくことがなければ、反省されない世界となっていく。
いまその時点に来ているが、法則の正義は善悪がないための絶対善の法則であるために、
必然正されていく絶対世界である。
この世は曖昧であるために、善悪どちらもあるが、あの世は記憶の現象世界であるために、
物理的な肉体はもう存在しない。記憶の現象肉体である。
そのために、記憶が正しい記憶(道理をよく知って善悪など無いとした法則)であれば正しい世界となって
善の世界、つまり極楽の世界が現象する。絶対であるために、この世のように曖昧は無い。
対するものがない極楽だけである。
この世でそう覚れるのは少数。貴重であり気高いものである。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あきらめる(明らかにする)... | トップ | 追憶 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事