つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

肉体は無くなっても魂(意識)は無くならない

2024-03-31 | Weblog
人間死んだらどうなるの?どうにもならない。生きているときと同じ世界。
苦しみにある人はそのまま苦しみの世界。楽しくある人はそのまま楽しくある世界、つまり、縁起の法則でもあるために、
そのまま繋がっている。肉体が亡くなっても魂という意識は無くなってはいない。そのため、あの世は生前の記憶の現象世界となっている。生前の記憶が恐怖ばかりにあるなら、肉体の無くなった死後の世界は恐怖の世界、つまり地獄の世界となっている。人は死が人の経験とならないために、経験しないことは知識とならず分からない。分からないことは恐怖となる。そのため、恐怖の記憶となり死後は地獄となっている。
死は肉体から魂(意識)が離れていくだけの事で、魂(意識)は生きているのである。その魂の真実の世界があの世である。その魂の真実の世界を幸せにするために、物理(肉体)に宿り生きていく。肉体経験を通してのみ魂(意識)は成長する。肉体経験、つまり体験したことが記憶となって、様々な経験が積み重なり、自分と言う性格が生じていく。記憶の統一されたものが自分の心となっていく。記憶が悪い記憶ばかりであれば、心が悪い心となって、その心の判断は誤りの判断となっていく。悪い記憶というのは「恐怖」の記憶である。
なんにつけても「知らない」、つまり無知であれば怖さが先に立つ。
分からないという事はただ恐怖なのである。だから、「無知」をなくせと言われる。分からないことがなくなっていけば安心である。自分がこの先どう動いていけばよいかが知れてくる。知れてくれば怖さは無くなっていく。だから人生、勉強してなるべく知らないという事を失くしていくことが要となってくる。暗闇を歩く時は明かりをつけて、前を照らしながら歩けば安心である。
そのために懐中電灯なるものを発明して暗さを克服していく。
不便は発明の母と言われる所以である。そのようにして、人は智恵をつけて進化していく。それが人生である。知らない事、未知にあるものに果敢に挑んで、人生としている。それがあの世を明るくしていくための一つの方便である。人(肉体)はなぜ死ぬのか?それは魂の真実の世界を幸せにするためである。魂は物理にはない。エネルギーであり、エネルギーの法則で生じている。だから、なくなるということが無いと知ることである。魂には死がないのである。
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