つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

魂を込めて

2014-06-22 | Weblog
ただただ、いつも忘れずに魂を宿していれば、廃れることは無く
甦って来る。
復活というのは、忘れないというところにある。

心に魂をもってなんにでも当たれ。
難易というものはなくなっていく。
難儀という事が無いのである。

その気は法の気と何ら変わらない為に、
瞬時、正しく解していけるものとなって、何れにも
礙げられないものである。
それを思議のいらない心と言い、不思議という。

さて、般若心経は大衆の為に説かれたものであり、
大衆に語っているのである。
仏が一修行僧に説いているのではない。
一舎利子という修行僧に乗り移って大衆に語っているのである。
だから、難解なものではないのであるが・・・。

誰に教わることなく、事の様が見えてくるものである。
それは、魂を入れて見るのである。それは、
既存に囚われることなく、心を自由に解き放ち見ることである。
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ふるまい

2014-06-22 | Weblog
企業経営というのは大変である。だから、
経営者というのは至極大変。
従業員とともに発展していくことを理念として
自分の始めた仕事を成功させていく。従業員と共に歩んでこその成功である。

今の世の中、ただ単に自分の欲望のみに気がそそられ、
従業員のことをあまり思わない。
一日働けば一日分の賃金が払われるが、休みともなれば働いていないのだから賃金が無い。
日雇い人夫である。道具としての都合で雇うのである。が、雇われる方はあまりに利が少ない。
盆暮れ、あるいは、何かに於いて休まなければいけないとなれば、どうだろう、
働いていないのだから賃金は無い。あたりまえであるが、何の保証もされていない身分に置かれて、生活もままならない。
経営するという者は、従業員を道具とみなし扱ってはならなず、生活の保障も考慮しての責が生じるのであるが、
経世済民という事を忘れて経営をする。
共に発展という思い遣りが無くして経営はは成り立っていかず、
その様な事を蔑ろにして、屁理屈ばかり述べていれば破たんしていくのである。

一ヶ月の括りとして、働いても休んでも、働いているとみなして経営、経済である。経営済民、経営者なのだ。
そうすれば、従業員とて安心であり精根込めて仕事にもあたっていけるものとなるのであるのだが、
ブラック企業たる言葉まで生まれるほど、情けない経営者が蔓延ったものだ。
そういう者は上に立つ者ではなく、餓鬼畜生に生きる者であり、じきそうなる運命でもある。

経済、経営というのは、国についても同じである。

裕福、貧乏にある立場は何を語るのか。何を語ってあるのか、いるのか、それを見れないものは、
各立場に於いて論い、また、不平不満にして侮り驕るのである。

力のあるものは、力の付けたものは、力の無いものを保護しなければならない。
それがなぜなのかを見れないものは、じき、底辺を知らされるのである。

そうやってある時を経験思い知らされて、優劣なものがある。
それでも尚、知らずして無謀に振る舞うものがいるのである。泡沫の世に何度生まれ変わっても。
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