つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

感受性

2014-06-08 | Weblog
もし、あなたが救われたいと思うなら、たった一つ方法がある。
仏の説いた般若心経を身に付けることである。
それは、仏の説くように
文字に惑わされさまたげられないように、正しく理解することである。
正しく理解されれば、誰に教わることも無く自然と行為となっていく。
その行為は紛れもなくあなた自身の盾となり、また、矛ともなり、
道を切り開いていくだろう。

道なき道を切り開くのは、誰が教えてくれるものでもない。
自然が指し示すものであり、その道理に従うだけである。
その道理を知るには知恵である。
智慧は、自然から学ぶ己の感覚、独特のものであり、自分以外に知り得ることはできない。
それぞれ個の独特の感覚である。それ故、他に訓えても訓えられるものでなく、気づく以外に術は無い。
受ける者の感受性である。それは個々違うものであるが、道理にして同じものである為に、
何一つ違いとなることなく、阿吽の呼吸となり、寸分違わず同じを得る。
仏の説くもの、あなたの得るもの、同一となるのである。

仏はこの世の人ではない。以前この世の人であったもので、あの世のものである。
あの世は法の絶対世界、生命の真実の世界である。
その真実の世界から語られているのが般若心経である。
それ故、この世の人の一切手が加えられることなく、真実が語られている。
その真実はこの世の経験とはならないために、理解しがたいものである。
だから、語られる文字に礙げられることのないように、また、心は自由であるために、
智慧をもって都合をつけていくことであると伝えられている。

さて、如何なものか、あなたの感受性は。送信するものがあっても受信するものがなければ、
それは見ていても見えないものである。
ただ漫然に日々が流れているようなものである。
キラキラと星がまたたいていても、ただそれだけである。
もし、感受することができれば、見えないでいるものが見られてくる。
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