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38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

春の陽気、農機フェア。

2012年03月17日 | 農と暮らしの日記
愛媛が発祥の地である(本社も松山)「ヰセキ」の農機がいっぱい。
この土日が春の農機具フェア(展示即売会)で、ちょうど今日は雨の予報が出ていたから、バレーボールの練習が休みになった真と一緒に出かけた。以前は飯岡、それもうちのすぐ近くに店があってとても便利だったのが、他の店と合併して市内の小松町に移ってしまい、その新しい店に来るのは初めて。まあ、農機具というのは店に行くより電話して現場(田畑)に来てもらう用事のほうが多いから、遠くなってかえって気兼ねなく「近くにいたら、ちょっと来てもらえます?」と電話できるようになって便利になったとも言える。店そのものが近くだと、「持って行ってもいいけどちょっと時間がなくて……」とか言い訳しないといけない気がするので。あ、僕だけ?



土曜、予報では午前中が雨で、昼頃からは曇りのはず。
だったのだけれど雨は夜が明けたらほぼ上がり、気温も上がって午前中から時折り陽の差す天気になった。

午前:7時台に市街スーパーに出荷。
戻って温室内の水やり、机仕事などして、10時過ぎに真と一緒に出て上記のヰセキのフェア。ひと通りトラクタや田植え機などを見学して、倉庫の中でふるまいのうどんとお茶もいただいて、地元方面でお世話になってる方もたまたま来ていて少し話をし、外に出たら今度は真が「七草」の学習でお世話になった青年農業者の「Y先生」も親子で来ていてまた立ち話。4/29の産業文化フェスティバルの青年農業者出店にもお手伝いよろしくとお願いしたら、その時期は端午の節句間近で菖蒲(しょうぶ)の出荷が忙しいのだそうだ。七草に菖蒲、季節感のある農業、楽しそうだ。

この機会に注文すれば2割引きになるトラクタのロータリ爪を頼んでから辞去。
ヰセキの展示即売会は明日日曜も開催中。受付で名前を書くだけで見学自由なので、農家じゃない方もお子さん連れでぜひ。普段は見られないピカピカのトラクタなどを間近で見られます。

西条市街方面に戻り、漁港近くの魚屋さんで鯖とイカ、それに鰆(さわら)のアラを買って帰る。
やっぱりたまには魚屋さんで買い物したい。

戻って昼ごはん。
午後は主に机仕事。夕方、畑の見回りと明朝出荷ぶんの収穫少し。トンネル内の小松菜や蕪がだいぶん大きくなってきた。気温が上がってくるようだし、これからは寒さよりも暑さに注意が必要。締め切ったままでよい時期はもう終わり、これからは毎日、換気をこまめにしなければいけない。

4月の野菜セット再開に向けて、少しでも収穫が始められる野菜に増えてもらわないと。
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菜の花伸び、スーパーも再開。

2012年03月16日 | 農と暮らしの日記
白菜の花が伸び始め、そろそろ食べ頃だ。
うちの「菜の花」は市販のいわゆる「ナバナ」ではなく、収穫されずに残ったアブラナ科の野菜のトウが立ったもの。そんなにたくさん収穫残があっては困るのだけれど、しょうがない。この白菜もおそらく肥料不足でうまく巻かず、出荷しないままにトウ立ちしてしまった。この白菜の花ではなく小松菜の花を、今日は久しぶりにスーパー直売コーナー(フジグラン西条)に出荷した。

しばらく出荷しない間にコーナーの場所が変わっている。
一般の野菜売り場に連なっているので、お客さんは同じ野菜を「産地」のものと「地産」のものと比べての買い物がしやすくなったはずだ。3月いっぱい野菜セット休止中で相変わらず品不足なのであまりたくさんは並べられないけれど、できるだけ切らさずに出荷したいと思いますので、ときどきのぞいてみてください。



金曜、「夕方から雨」の予報なので最大級のフル回転。
午前:8時半頃までに温室の管理を終えて畑へ。
トラクタで30分ほど耕耘作業して戻り、ブロッコリィの残り苗とレタス類の苗、人参の種を持って再び畑へ。必要なところは管理機で畝立てし、それぞれ植えたり播いたり、寒冷紗を被せたりして14時前に帰宅、昼ごはん。

午後:14時半に家を出て市街近くのJAアグリセンターで油粕の引き取り。
そのまま畑で散布、牡蠣殻も撒いて、寒冷紗の続きを被せたりしてから帰宅。またトラクタで出かけて3時間ほど耕耘作業。18時過ぎ終了。

日没前後に雨が降り始めた。
予報より早く降り始めることも多いから、今日はほぼ予報通り、あるいは遅めで大助かり。春の彼岸前のこの時期は、本来なら春作の種播きをどんどん始める頃なので、しかも予報で雨が続く前ならもっともっと播いたり植えたりしないといけないのだけれど、いつもの年より気温が低めだから、本番はこの雨の去ったあとに、と判断している。と思っていたらちょうど今日、人参を播いているときに「ちろりん農園」の西川さんから電話があり、いろいろ話をしているなかで西川さんも今年は寒いからまだまだこれから、ということだった。

夜:19時から集会所で米作の座談会。
この会には就農後初めて出席。市の農業水産課と農協から担当の方が来て、24年度の生産数量目標と配分について、戸別所得補償制度についてなど説明があり、質疑応答があり、1時間で終了。
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キャベツ、ブロッコリィの定植。

2012年03月15日 | 農と暮らしの日記
この春一番のブロッコリィを植えた。
苗はセルトレイに1/21に種を播いたもので、そう考えるとすいぶん育苗に日数がかかっているけれど、苗そのものはほぼ定植の適期。株間45cm×条間60cmで、今日は約400株を植えた。写真は定植直後で、このあと保温・保湿のために不織布(パオパオ)をべた掛け。時期的にはトンネルのほうが確かかもしれないけれど、そろそろ気温が上がってくるから開け閉めの手間がかかるし、時期的に限定されるトンネル栽培にそれほどの資材代を投資したくないということもあり。



木曜、ほぼ予報通りの晴れ時々曇り。
だったのだけれど、午前中に思いがけず雨が降った。朝起きて、思ったより雲が厚いから「あやしい」とは思っていたけれど本当に降ってくるとは。おかげで、午前中は予定変更もあってばたばた。

午前:温室の管理などしてから8時半に畑へ。
まず上記のブロッコリィを植え始めたところにパラパラと雨が降り始める。となると、先に畝立てをしておきたいキャベツと、種芋を切って干してあるじゃが芋を先に植えてしまいたい。ということで別の畑へ急遽移動。管理機で畝立てしてまずじゃが芋を植え、そのあとキャベツも同じ畑だから植えてしまう。じゃが芋はのべ約80m、キャベツは2条×2畝の計4条で約400本ほど。

11時頃に最初の畑に戻ってブロッコリィ定植の続き。
1時間半ほどで終わり、家に戻ってまた水やりなど温室の管理。

午後:遅い昼食をさっと済ませて14時からは青年農業者協議会会長としてのお務めで市街へ。
何度か書いている野菜ソムリエ協会と市の協同企画のひと区切りの会合が西条市産業情報支援センター(SICS=サイクス)で約2時間。後半は同協会の福井理事長の講演でまたまたいろいろ考えるところ多く、今後につながりそう。

用事で種屋さんに寄ってから帰宅。
17時頃から、今日植えたキャベツとブロッコリィに不織布をべた掛け。風が強く、しかもいつもと違う東風でちょっと手間どり、18時すぎにようやく完了。帰りにホームセンターに寄って買い物やら検討やらあれこれして帰宅、晩ごはん。



明日からまた雨が続く予報。
日の高いうちは降らない予報だけれど、今日の雨もまったく予報になかったものだし、どうなるかわからない。しかも週間予報では雨が火曜頃まで続くようだから、彼岸前で春の播きどき植えどきにどんぴしゃり。となれば、明日の雨の前に少しでも多く春作の作業をしておきたい。
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井戸工事、新たな地下水。

2012年03月14日 | 農と暮らしの日記
温室の中で生育中の果菜類の苗が、ぼちぼち移植の時期を迎える。
セルトレイに播いて、まだ根が回っているわけではないけれど、このくらいからは生育がどんどん加速するから、早め早めに移植を進めないと最後のほうはかなり老化苗になってしまう。ただ、このところ久しぶりに晴天が続いているので温室仕事はあとまわし。ありがたくもあり、焦る気持ちもあり。



水曜、予報通り今日もほぼ終日の晴天。だけれど最高気温は今日も10℃未満。

午前:温室や庭まわりの仕事あれこれ。
10時前に家を出てJAアグリセンターで予約した油粕の引き取り。そのまま畑に行き、あちこちに油粕や牡蠣を播く。

午後:先ほどの畑あちこちでトラクタ耕耘作業を5時間近く。
明後日はまた傘マークが出ているので、明日はあちこち定植で忙しくなりそう。



今日、自宅敷地で「うちぬき」を抜いてもらった。
西条では市街地を中心に地下水を飲料水をはじめとする生活用水に使っていて、上水道が整備されていない区域も多い。我が家でも家の中や敷地内で使う水はすべて地下水で、ところが前の地主さんがかなり昔に掘った井戸だからだろう、どうも水量が十分でなく、雨の少ない時期を中心にエアがかんでしまって不便なので、このたびとうとう決意して、抜き直してもらうことにした。

工事は専門の業者さんにお願いし、午前中に終わった。
終わったところに立ち会うことができなかったから、最終的に何mまで掘ったのかはまた聞かないといけないけれど、どうやら当初の想定よりも深く掘ったらしい。とにかくも、敷地の地面を何時間か掘っていけば普通に飲める水が出てくるというのはありがたいことだ。ただし、ポンプは電気だから、停電したら水も止まる。井戸といえば原始的な感じがするけれど、ここでも「電気依存」である。
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春じゃが芋、発芽始まる。

2012年03月13日 | 農と暮らしの日記
1月末に植えたこの春一番のじゃが芋がようやく発芽を始めた。
焦点が合ってませんが。写真中央ちょっと手前にあるのがじゃが芋の芽。その他の緑色は草なので、今日は写真のようにトンネルの片側を開けて、畝の上を軍手の手でがしゃがしゃっと浅くかき混ぜて除草した。

この頃合いで最初の除草ができれば、あとがとても楽になる。
トンネルの効用は保温・保湿もあるけれど、雨で土が叩かれて固くなるのを防いでくれるというよさもある。あれだけ雨が続けば、畝立て後ひと月以上もたった畝の上は手でかき混ぜて草がとれるような状態ではなくなるので。



火曜、予報通りほぼ終日の晴天。
日差しはあったけれど、最高気温は8、9℃止まり。

午前:じゃが芋の種芋切りをまた少し。
切り口がしっかり乾くようにキャリーに広げてから畑へ。上記のじゃが芋の「草かき混ぜ」。隣のトンネル葱も発芽がほぼ揃ったので条間をこちらは素手でぐしゃぐしゃっとかき混ぜて草を浮かせながら土寄せ。

午後:別の畑で、まずはほうれん草の条間を三角ホーで中耕除草、30分ほど。
そのあと昨日の続きで空豆の畑の草刈りと整枝を4時間ほど。18時あがり。



愛媛県商工会議所連合会が伊方原発の順次廃炉を求める見解を表明したそうだ
同原発では現在、3機すべてが運転停止中。同連合会は運転開始から30年を過ぎた1、2号機はこのまま再稼働せず廃炉にし、94年に運転開始し、2010年からはプルサーマル運転を始めている3号機については電力の安定供給のために10年程度稼働したあと廃炉にすることを求めているという。

商工会議所の地方組織が再稼働反対を表明するのは異例のようだ。
どのような経緯でこの見解がまとめられたのか、詳しい記事が見つからない。愛媛新聞をどこかに読みにいこう。

<10分後の追記>
上のように書いてからもう一度検索してみたら、次の記事があった。
愛媛新聞~「伊方1・2号機廃炉を」 県内商議所会頭ら意見
どうも、先に書いた毎日新聞の記事とは様子が違う。会議の中でそういう意見が多数出されたということを発表しただけで、県連合会として意見を集約したものではなく、国や県、四国電力に対してそうした要請をするわけではないという。
今後まだいろいろと動きがありそうだ。

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好天予報、そろそろ畑仕事。

2012年03月12日 | 農と暮らしの日記
極早生の玉葱が伸び悩んでいる。
年によってはそろそろ収穫を始めている季節。だけれど今年はまだ「玉」になっていない。しかも葉色が見ての通りで元気がない。写真の畝は左半分が除草済み、右側はこれから。例年ならこの時期に草とりということはないのだけれど、もうひとがんばり生育してもらわないといけないから、中耕を兼ねて薫がこちらも、もうひとがんばりしているところ。

隣のトンネルは発芽を待つじゃが芋。



月曜、朝は0℃、日中も10℃に届かず。予報通り曇り時々晴れ。
「ところにより雪」も予報通りで、降るというより風で飛んでくる感じの小雪が時折。温室を開けたり閉めたり忙しい。

午前:昨日の強風でトンネルがまた飛んだので掛け直し1時間ほど。
あとは昼まで空豆の除草3時間ほど。オクラの株元に不耕起で育っているのでしつこい草はなく、鎌で草の株元を刈っては敷き、ついでに空豆の徒長した枝も摘んで整枝。

午後:強風で飛んだトンネルのうち1本は破れていたので代わりのシートを掛け直し。
そのあとまた空豆の除草と整枝を3時間ほど。



今週はわりと天気のよい日が続きそうだ。
いまのところ次の雨は土曜だから、それまでに春の播いたり植えたりをどんどん進めたいところ、ではあるのだけれど、畑の乾き具合はまちまちなので、その日その日の土の状態を見ながらということになりそう。



昨日、一昨日は広島県神石高原町での日本有機農業研究会全国大会。
この両日の日記はまたあとで。
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3/10-11有機農業in広島・神石高原。

2012年03月11日 | 農に関する情報
日本有機農業研究会の全国大会が今年は広島県神石高原町で開催されます。
詳しくはこちら
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有機農業、全国大会in広島。

2012年03月10日 | 農と暮らしの日記
3/10-11、日本有機農業研究会の全国大会で広島県神石高原町に行ってきました。
その報告を愛媛有機農産協同組合(ゆうき生協)の毎週のニュースに掲載して頂いたので、同じものをこのブログにも「とりあえずの報告」ということで載せておきます。文中に出てくる一部の方はイニシャルに変えています。



<ゆうき生協ニュース掲載の原稿を転載>
日本有機農業研究会全国大会(3/10~11.広島県神石高原町)に行ってきました。
2012.03.17.西条市・藤田 敏(有機菜園藤田家族)

このたび愛媛有機農業研究会より費用の一部助成を頂き、就農後は初となる有機農業の全国大会に行ってきましたので、個人的な感想を中心に簡単なご報告をいたします。
 前回参加したのは7年前の2005年3月、福島県二本松市です。当時私は37歳。15年勤めた東京の会社をその3月末で退職して神奈川県藤沢市の相原農場(相原成行さん)で研修させて頂くことが決まっていました。福島大会では夜の懇親会にも参加し、当時から日有研の理事を務められていた相原さんが「この人が来月からうちで研修して、来年は愛媛で有機農業しますから、よろしくお願いします」と私のことを紹介してくださった相手が、前年の開催地(今治大会)ということで大挙(?)福島に乗り込んでいた愛媛の皆さんだったのです。Nさん、Hさん、Iさん……。それから7年、皆さんと一緒にマイクロバス相乗りで全国大会に出かけるなんて。海を渡る前に、もうそれだけで感慨ひとしおです。



 さて、会場に到着、神石高原名物という牛メンチカツ1枚で昼食を(あっさり)済ませ、プログラム第一番の記念講演では長崎県の中尾慶子さん(ブログ「命ぐるぐる元気生活」)が高校教諭や4人の親としての食育実践を熱く語ってくださいました。平熱35℃台は当たり前という生徒たちを前に奮闘される様子を聞き、「有機農業は教育だ!子育てだ!」と、最近は畑にまったく来てくれないうちの子どもたちを思い浮かべながら、強く思いました。



 続く分科会は「有機農業の技術~小施肥の視点から」に参加。千葉県の佐久間清和さんは不耕起・草生・無肥料・自家採種で、「耕さないことで土が変わる」「作物は作るというよりできる」「自家採種で畑に合うものになる」「病虫害の発生は畑のバランスをとる作用」など経験に基づく話に説得力がありました。「オクラと空豆の並行作」など不耕起を部分的に試みながらも本格的には取り組めずにいる私ですが、自然農に改めて惹かれる話でした。
 続く埼玉県の関野幸生さんも同じく無肥料・自家採種ながら、こちらは逆に耕起・不草生で、茄子、大根、小松菜など、私には慣行栽培にしか見えないピカピカの畑です。連作障害の代表とも言えるじゃが芋でさえ、春の芋を自家採種して秋に同じ畑に植えて病害なし、それどころか年々増収というので驚き。「採種を続ければ環境に適応するからむしろ連作のほうがよい」「連作がダメなら野生生物は生きられない」、なるほど納得の明快さです。
 後半はMOA自然農法の実践者・重原許一郎さんと同普及員の山本秀治さん(共に広島県)。重原さんは無肥料・自家採種の稲作りを忍耐強く実践してこられ、山本さんは指導者として主に野菜栽培の技術を研究・普及されているようです。病害虫は①菌②抵抗力③環境条件のどれかをよくすれば(3つ揃わなければ)発生しない、そのためには日当たり・風雨・排水性(土の断面構造も)・草の種類などを「よく観察すること」が大切と。先の関野さんも共通して言われていた「畝の高さ・排水性(通気性)の重要性」については水田利用の野菜作には不可避の課題なので、今年は重点的に意識して取り組みたいと思います。
 まとめは有機農業参入促進協議会の西村和夫さん。就農直後の私の圃場も診て頂いたことがあります。「小施肥・無施肥を選ぶ理由は、化石燃料に頼るエネルギー多投農業の限界が明らかだから」「日本は黄砂の養分、稲妻による窒素放出で土壌は豊か」「乳児は初乳で健康が決まる、作物は芽が出たときに出会う微生物で一生が決まる」など威勢のよい西村節に力を得て、「有機農業は技術だ!」と、この分科会を選んだ自分に○印を付けたのでした。



 夜は懇親会、19時から。研修先の相原さんとも再会、名前だけ所属している日有研の青年部の皆さん、この春退職して研修後に有機就農予定のIさん夫妻(妻ご実家は西条!)、また研修中に交流させてもらった東京農大生(当時)K君(新潟で有機稲作)、同じく研修中の相原農場でお会いした旧丹原町出身のOさんなど、出会い・再会の連続でした。
20時半頃からはホテル内のバーに移動して「夜の語らい」。貸切のセルフサービスは大盛況で、私もなぜかカウンター内でお手伝い。主に広島県の若い方々と交流ができました。
さらに、22時頃からは大阪の尾崎零さん(映画「フランドン農学校の尾崎さん」、『自立農力』家の光協会)のお部屋に栃木のSさん(青年部)ら20~30代の若い農業者(と40代の私)や就農希望者ら10人ほどが自然に集合してしまい、新規就農塾のような「語り場」に。深夜1時過ぎに宴たけなわのところ途中退出、ホテルの方に鍵を開けていただいて自分の4人部屋に入ると、予想どおり私の寝る場所はなく、押入れの上段にひとり布団をひきました。「有機農業は出会いだ、だけど孤独だ!」と考える間もないままに熟睡。



 二日目の朝6時、「ありゃ、そんなところに!」とか「あれ~、いつ来たんですか?」など同室のみなさんに驚かれながら目覚めました。4人部屋なのに最後の1人(私のこと)がなかなか帰って来ず(荷物も置いてないし)、「たぶんキャンセルだろ」ということになっていたそうで、深夜帰りをお詫びしつつ、初対面のご挨拶。みなさん広島の方で、そのまま7時過ぎからバイキングで和食と野菜サラダをたっぷり頂きながら情報交換しました。
 8時頃からは種苗交換会へ。10人ほどの方が自家採種の種を提供されており、それぞれ簡単な説明をしたあと提供者優先で欲しい種を持って帰ります。人参、南瓜、小松菜、唐辛子、オクラ、里芋などの野菜や、蕎麦、小豆、粟・黍などの穀類の珍しい種がいっぱいあり、種を提供しない人はカンパで種を譲り受ける仕組みです。私はその種を引き継いでまた提供できる力がついてからにしよう、「有機農業はお互いさまだ!」と今回は見送りました。



 9時からの全体会はまず分科会報告。①食育、②原発事故・放射能汚染と有機農業、③協同運動としての有機農業、④有機農業の技術、⑤環境支払い・有機農業推進施策、⑥有機農産物の流通と販売の6分科会の様子を知り、「全部に出たかった!」と強く思いました。今後はネット中継・動画サイトなど全世界に発信できるようになるとよいと思います。
 続く記念講演は宇根豊さん(百姓・農と自然の思想家、『田の虫図鑑』農文協、『「百姓仕事」が自然をつくる』築地書館)。「人類が滅びた後も夕焼けは存在するか」から「農業に経済成長は必要か」まで宇根ワールドは広がり、まさに「有機農業は哲学だ!」の90分でした。
 昼食は愛媛組でホテルのレストランを予約、神石高原ビーフカレーを頂きました。地産の牛肉たっぷり、サラダ付きの優雅なランチタイムに、農業者であることを忘れそうでした。



 午後はホテル庭園内の茶室で日本有機農業研究会の総会に出席しました。普通会員なので議決権はなく傍聴でしたが、同会の多様な活動の様子や課題を知ることができ大変勉強になりました。Hさんから伊方原発の再稼働反対を同会として要請することについての提案があり承認されたことは、愛媛県民として大変心強く、また有機農業者として大変誇らしく感じました。広島大会は東日本大震災後の大会として意義深い二日間だったと思います。



 最後に、運転を担当してくださったIさん、Aさんはじめ、マイクロバス乗合の生協職員・理事のみなさん、生産者のみなさんには大変お世話になりました。愛媛のみなさんともグラス片手にゆっくり話をする機会が普段はなかなかなく、今回は泊まりだから久々に……と思っていたのに一夜は嵐のような早さで過ぎ去ってしまったのが心残りです。次はぜひ、2泊くらいでさらにゆっくり大会参加し、語り合いたいと思います。また、温室の管理など留守を預かってくれた妻と子どもたちにも感謝。本当にありがとうございました。
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また雨。そしてまた真冬へ?

2012年03月09日 | 農と暮らしの日記
昨日まびきを終えた、トンネルの中の蕪。
播種から約1か月でこの大きさ。初冬どりや初夏どりなら「まびき小蕪」くらいにはなっている頃だけれど、この時期のトンネル栽培ではまだまだだ。4月の野菜セット再開時に、どんな姿で間に合ってくれるか。



金曜、一昨日までの週間予報にはなかった雨がほぼ終日降りしきる。

ときどき温室の様子を見ながら、ほぼ終日の机しごと。
西条地区青年農業者連絡協議会の実践班ごとのプロジェクト発表会が月末にあり、僕は今年、作物(米麦)実践班の発表担当ということになっていて、その原稿をようやく書き始めた。梗概は数日前に事務局のMさんに送ってある。写真を十数点パソコンの中から拾い出しておき、あとは発表のときの「話し言葉」で頭から書き始める。

このやり方がどうやらいちばん速い。
30分とか1時間とかの発表ならもう少ししっかりとした骨組みを作ってから細かい文章を書いたほうがよいのだけれど、10分の発表だから内容は限られてくる。10分の発表といえば大体の文字数がわかるので、項目のここまでを1ページ目に収めて……という感じで。書きながら、細かい数値などが必要なところをそのつど栽培記録のノートを見たり過去のブログで調べたりして書いていく。

ただ、調べながらその本や資料などの別のところに目が行ってしまう。
それで横道にそれてしまって思いのほか原稿が進まないのも事実。冬の雨の日にはこんな机しごとをする時間もあっていい、はず。

夕方:17時、真がバレーボールに行くので一緒に走って小学校へ(僕は学校手前の畑まで)。1キロ半ほどを1キロ5分ペースで走り(本当か?適当)、畑の見回りして菜の花を晩ごはん用に少し摘んで、別の畑も見回って、帰りは歩いて。

週末からまた冷えてくるらしい。
日曜夜から月曜、火曜にかけては0℃まで下がる予報。



作家の駒沢敏器が亡くなったというニュース。
僕はこの人の小説は読んでいない。たぶん。その名前を覚えているのは、マディソン・スマートベルの「ゼロ・デシベル」の翻訳を読んだから。20年も前のことだ。



明日は広島・神石高原へ。
日本有機農業研究会の全国大会、まだサラリーマンだった就農前の2005年3月、福島・二本松大会以来7年ぶり2回目の参加です。現地でお会いしましょう。
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10歳、二分の一成人式。

2012年03月08日 | 農と暮らしの日記
真たち4年生の「二分の一成人式」があった。
20歳の半分の10歳ということで、これまでの成長を振り返ってこれを祝うとともに、現在の自分を見つめ、さらに将来の生き方を考える学習として実施している学校も多いようだ。僕自身は記憶がない。理科工作クラブでポルシェのプラモデル作っていた頃。

授業参観にはあまり行けてないので、今日は髭も剃って参加。
会場は教室と同じ階にある大きめの会議室で、びっくりしたのは保護者がたぶんほぼ全世帯来ていたのではないかということ。平日の昼間だからさすがに父親は少なかったけれど、子どもたちより大人のほうが人数が多かったのではないだろうか。

前半は合唱のあと、一人ひとりが「十才(歳)の今、思うこと」のスピーチ。
自分の小さい頃のことや家族のこと、友だちとのこと、いまがんばっていること、将来の夢などの思いを、みんなとてもはきはきと、自信たっぷりの態度で発表していて感心しきりだ。真は喘息に負けずマラソンやバレーボールをがんばっていることを話した。

黒板にあるように、「4年生が修了まで後10日」。
ということで、式次第には「思い出いろいろ」のアルバム上映もあって、なんだか「三分の二卒業式」みたいだ。今年は「ひまわりde元気プロジェクト」もあって、担任のY先生から「みんなよく働きました!」との言葉も。みんなだから、あんなに広い畑でできたんだよ、と。学校だから本当は「よく勉強する」ことも大切だ。そこで「よく働いた」は最高の褒め言葉だと思う。お父さんももっとがんばらないと。

学校の外に出たら雨。
ということで、がんばるのはまた明日だ(こら)。



木曜、曇り、夕方から小雨。
午前:温室の管理をしてから、9時過ぎに自転車で畑へ。
トンネル栽培の蕪のまびき、ついでに条間の中耕・除草。薫は隣の畑で玉葱の草むしりの続き。13時前に戻って昼ごはん。

午後:14時半過ぎにまた自転車で家を出て学校へ、上記の「二分の一成人式」。
16時半頃に帰宅して、以降は机しごと。昨夜のゆうき生協の話し合いのまとめと次回に向けてのあれやこれや、など。

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男爵植え付け、草むしり。

2012年03月07日 | 農と暮らしの日記
オクラの枯れ木の間で育つ空豆。
1月末に写真を載せて、それと比べるとだいぶん大きくなったなと思ってまた撮ってみたのだけれど、あまり変わっていなかった。寒さのせいか、それとも生育としてはこれが普通で、「寒さのせいか」と、僕の気持ちが急いているだけかもしれない。



水曜、晴れ時々曇り。
午前:温室の管理をしてから畑へ。
昨夕飛んでしまったトンネルを薫と張り直してから、男爵の植え付け1時間ほど。20kgをのべ約150mに。今年の男爵は例年より狭い条間90cmにした。続いて、トンネルの春どり大根の草むしりを2時間ほど。まだ大根葉にもならない大きさだけれど草はそろそろしっかりと根を張り始めているのでぎりぎりのタイミング。トンネルを部分的に裾上げしながら、土寄せを兼ねて。2本のうち1本仕上がり。

午後:机しごと。
薫は畑に出て玉葱の草むしりを2時間ほどしてきてくれた。雨続きで土がかなり湿っていて露地の畑の草とりには適さないのだけれど、こちらも待ったなしで、少しずつでも進めておかないとあとで困る。

夜は19時半から、ゆうき生協の地区会・運営委員会。
4/29の産業文化フェスティバル出店の打ち合わせ。飲食は昨年の「ゆうき食材試食オープンサンド」をさらにパワーアップする方向で、物販のほうは新趣向を企画中。またご案内しますので、ぜひご来店ください。GW前半3連休まんなかの日曜日。

21時半終了、いつものように図書館に寄ってから帰宅。
今日も1冊借りて(市内の他の図書館からの回送)、家には読む予定の本がたっぷり。だけど、新聞も毎日読むべき記事が多いし、聴きたいラジオも多いし、ネットでいろいろ調べたいこともあるし映像も見たいものがあるし。

つくづく、テレビがなくてよかった……。







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強風、高温、春の陽気。

2012年03月06日 | 農と暮らしの日記
畑に菜の花が姿を見せ始めた。
これはチンゲン菜で、まだ「花」にはなっていないけれど、この写真を撮ったあと摘んで帰った。今晩のおかずになる予定。隣の小麦も雨上がりのこの暖かさで少し元気になってきたように感じる。朝の最低気温が10℃、日中の最高は17℃とこの春一番の暖かさ。

この春一番といえば春一番。
中国地方では今日、春一番が吹いたそうだ。いや、強い風が吹いたのは(吹いているのは)当地でも同じだけれど、今日のこの風を「春一番」と呼んだのは中国地方だけらしい。トンネルが2本飛んだ。今年のトンネルは頑丈にできたつもりだったけれど、畑の西端の1本がなぜか一部で破れていて、その1本と隣の1本が両端の杭に結えられたまま完全に支柱から外れてしまった。

午後一番で畑に見回りに行き、その時には他のトンネルの支柱が一部外れているのを直した。
風は強くなる一方なので日没前にもう一度ジョギングがてら見に行ったら、別のトンネルが飛んでいた。これは強風の中で急いで直してもまた飛ぶ可能性が高いのでそのままにし、明日の朝やり直す予定。東予地方に霜注意報が出てはいるけれど西条市の予想最低気温は6℃で、うちの畑では霜が降りる可能性は低い。



火曜、朝のうちは曇り時々小雨。
日が上がってくるに連れて晴れ間が広がってきて、お昼前には青空になった。携帯ラジオの電池を充電。

午前:じゃが芋のうち男爵の種芋切り。
切っているうちに晴れてきて、風も強いから断面を乾かすにはおあつらえ向き。昼まで温室内で育苗の床土づくり。

午後:畑の見回りとトンネル支柱直し。
戻って温室内でレタス類の育苗の種播き、セルトレイに6枚。風が強く、温室のドアを開けているとすぐに室温が下がるので少しだけ開けて作業。するとやはり外気温15℃以上で日差しもたっぷりだから暑い。そこで少しドアの隙間を広げるとすぐ下がる、ちょっと閉めるとたちまち暑い。こういう時の温室管理がいちばん難しい。まだ家にいて微調整ができるからいいけれど、これで日中ずっとどこかに出かける用事なんかがあると大変だ。



週間予報では明日水曜から来週火曜まで傘マークなし。
週末の土日だけが畑仕事日和だったらどうしようと心配していたから、この予報はありがたい。ただ、念のために中国四国地方全体で見ると、山口県で木・金に雨が降る予報になっている。嫌な予感がして九州地方の週間予報を見てみたら、なんと全県で木・金に雨マークがついている。これでは困る。こうなれば、明日の午後にでも播いたり植えたりできる畑を無理やり探して作業しないといけないかもしれない。

幸いこの高温と強風で畑は思ったより早く乾いてきている。
ただ、播いたり植えたりしても仕上げのトンネルを張るのは強風で厳しそう。春の天気はやはり難しい。
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今日も曇り空、オクラ講習。

2012年03月05日 | 農と暮らしの日記
温室が生育中の苗であふれ始めている。
例年は2月に入ってから始まる育苗が今年は1月中に始まったことが大きい。一昨年末の転居で住まいが落ち着いたことから、2年続いた温室の「解体・再建」がなく、同じ場所で年越しをすることができた。それで、温床の仕込みも前倒し、最初の種播きも早かった。一方で、そろそろ定植が近くなって戸外で「馴化」(外の気温や風に馴れさせる)の時期となるブロッコリィやキャベツ類が雨続きのために温室に居座っているから、限られた面積が奪い合いになっている。



月曜、予報の雨はほとんど降らず、ほぼ終日曇り時々小雨。気温は高め。

午前:温室の管理、机仕事を少しして、10時からJAアグリセンターへ。
オクラの栽培講習会があるというので、農協に出荷するわけではないけれど組合員なので参加させてもらった。オクラはJA西条管内の10軒近くが持ち寄って地元の青果市場に出荷しているとのこと。今日の講習会にはその生産者の方もそうでない方もいる様子。市場ではなく、JA直売所「水都市」に出す生産者もいるから、その方たちもいたかもしれない。

前半は栽培指針の説明。
品種、栽培歴、株間・条間の設定、トンネル栽培の場合の注意事項、施肥の要綱など。当地での標準的な栽培法は4月下旬にトンネルなしのマルチに直播。畝幅180cm単位で、条間40cmに千鳥2条、節間の詰まった密植型の品種だから株間15cmの4~5粒播き、不良株を除いて間引きなし。

後半は防除についての説明。
殺菌・殺虫に使える薬剤やその希釈率、収穫前どの時期まで使えるかなど。薬剤についてはうちは直接関係ないけれど、どの時期にどういう病気や虫に気をつけないといけないかの参考にはなる。

資料によると、出荷は7月に始まるとすぐに最盛期となり、8月も同程度の出荷量、しかし9月、10月は出荷量も落ちていく。
単価も7~8月がよく、9~10月はもうオクラの季節ではないようで単価も下がり、そのため生産者の出荷意欲も減衰して出荷量も減るようだ。収量の目安を質問すると、「4トン/10a(1反)・年(約100日)」という。ざっと計算すると、180cmの畝に2条で植えたものを1列とすると、1反でのべ555mの列になるから、うちの畑では27m×2列がほぼその1/10=1aにあたり、その収量は400kg/100日となる計算。

ということは1日あたり27m×2列で4kgが目安。
オクラは10本で100gくらいだから、1日400本。1列2条で200本……。最盛期でもこんなにはとれないな。今年はこの2倍くらいを作付ける予定。ひとつの目標として覚えておこう。

1時間ほどで終了し、帰りに図書館へ。
借りていた何冊かをすべて返して何冊か借り、1冊は市内の別の館からの回送(取り寄せ)を依頼(夕方にはもう「届きました」の電話あり)。戻って昼ごはん。



午後:温室内で最終のキャベツの種播き。
いま播くと収穫は7月に入ってしまう。これは当地ではほぼ限界で、雨が多く気温が高いとダメかもしれない。それでも播くのは昨年のように梅雨入りが早くて夏の果菜類が遅れるようだと、6月後半から7月前半頃に「梅雨の端境」が来てしまうから。上に書いたオクラも、うちではマルチをしないから5月上旬播きとなり、7月に入っても収穫はまだ。7月といえばアブラナ科が本命である秋作がもう近く、本当はこの期に及んでアブラナ科を増やしたくないのだけれど。この辺りのやりくりは難しい。



雨は明日の朝にはあがり、しばらくは晴れか曇りの日が続きそう。
土日が広島での有機農業研究会大会だから、その前に金曜一日でも播いたり植えたりの仕事ができると助かる。畑が乾ききらず、土日が畑仕事の最適期で月曜にはまた雨、ということになると泣けてきそう。
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雨の日曜、水俣への思い。

2012年03月04日 | 農と暮らしの日記
トンネルで播いた小松菜がそろそろ間引きの頃合い。
播種機で播いて、そのときに少し種が多く落ち過ぎている気はしていて今日トンネルの中をのぞいてみたら、やはり少し混み合っている。ただ、間引きをするにはトンネルを少しずつでも開けながら作業をしなくてはならず、となれば温度が下がってしまうから、日中の暖かい時に作業したいところ。昨日の時点での予報を見て、今日の午前中にでもと思っていたのに、起きたらもう雨が降っていた。弥生三月、そういう季節である。



日曜、未明から朝にかけて雨、日中はさほど降らず。
午前:温室の管理をしてから机しごと。
午後:そのまま机しごと。薫は昨日からの味噌の仕込みが終わって真のバレーボールの試合の見学へ。

机しごとの休憩にyoutubeでドキュメンタリーを1つ視聴。
10年ほど前のNHK「20世紀・家族の歳月」の番組「もやいの海~水俣・杉本家の40年」。この親子たちは僕と僕の親たちの世代より10年ほど上だと思うけれど、ほぼ同じ世代と言ってよい(主役にあたるお母さんの杉本栄子さんは昭和13年生まれ)。

晩ごはんは久しぶりの餃子。
40個焼いたけれど、あっという間。次回からは60個かな。
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桃の節句、春の陽気。

2012年03月03日 | 農と暮らしの日記
鯵を開いて干した。
神奈川・三浦半島にいるときはよく干物を作ったものだが、就農してからはとんとご無沙汰。

まず、時間の余裕がない。
当たり前だけど会社員と違って「週末の余暇」がない。魚を開いて干すくらい何でもない手間なのだけれど、それより雨の日に取り込んできたトンネルのポリシートを広げて干しとこう、ってことになる。

以前ほど魚を食べなくなったということもある。
当時住んでいた逗子・葉山は相模湾の海の幸が山のようにあって(って変な表現ですね)、野菜とか肉とかを食べるより魚のほうが安いし地産地消だし季節を感じられるし、いま思えば米より魚のほうが主食だったんじゃないかというほどの魚食家族だった。鯵、鰯、鯖、鰹、かます、ほうぼう、飛び魚、金目鯛、などなど。それから、生しらすも。当地も瀬戸内の海の幸が豊富ではあるけれど、調理済み、一匹付けのパック販売が多く、概して高い。一方で野菜はそれこそ売るほどあるから(いまはないです)そちらが優先的に食卓にのぼる。

さらに、気候の問題がある。
南関東の冬は晴れの日が多く冷たい風が吹いてまさに干物にはおあつらえ向きなのに対して、四国の瀬戸内は北向きの土地だから山陰や北陸に似て雲が多い。しかもうちの辺りは平地の市街方面に比べて山沿いだから雲がなかなか晴れない。三浦半島の頃は頭よりも先に体が太陽の光と潮風に「干物日和」を直感して無意識のうちに漁港や魚屋に足が直行しているというその話が本当なら直行すべきは病院に間違いない。

さてそれで、本日の干物である。
ご覧の通りの一般的な開き。考えてみると、こんなふうに丸ごと一尾の鯵を開いて干すというのは神奈川時代にもほとんどしなかった。鯵は干していたけれど、それはいつも、刺身にとったあとの頭と背骨、薄くそぎとった腹骨のところ。これを干さずに素揚げしてすぐ食べてしまうこともあったし、南蛮漬けにしておくおともあった。オイルサーディン風に油で煮たのもおいしかったなぁ、と思い出せばきりがなく、「さてそれで」と仕切り直したのに「本日の干物」の話になっていないではないか。

魚を干す網がわが家にはもうなかった。
三段式の青い干し網をついこのあいだも見かけたなと思って薫に聞いたら、それは野菜を干す専用だから流用禁止なのだそうだ。ま、確かに売り物になる切り干し大根が潮の香りではまずい。というわけで、写真のように「目刺し」方式で。トンネル支柱に使うダンポールで十の目を次々に貫かれ、晩冬の陽光を浴びる鯵のみなさん、ご苦労さまです。

鯵は昨日、スーパーで「本日のお買い得品」になっていた「島根県産・1kg398円」。
12尾入っていて、5尾は昨晩ソテーで食べ、2尾は子どもたちの弁当(鯵フライ)になった。



土曜。「余暇」であるべき週末。
久しぶりに気持ちのよい晴れ、なのに珍しく気温も高め。

午前:温室の管理、じゃが芋の種芋を浴光させるために並べる。
机しごと少し、そのあと臨時の出荷のための単品収穫(セットは休止中)。

午後:トラクタの掃除。
ロータリ周辺の泥を落としたり、エンジン回りのフィルターを掃除したりの簡単な作業だけれど、これがなかなか時間がなくて普段できていない。携帯ラジオを傍らに置き、暖かい日差しを浴びながら泥をどかどか落としていると、なんとなく「週末の余暇」という感じがする。もともと汚れているようには見えない真っ赤なアルファロメオをさらにぴかぴかに磨いている人たちと同じ時間を共有している気分だ。

夜:晩ごはんは桃の節句のお祝い。
本番は旧暦の時のつもりだけれど、いちおう世間一般的な雛祭りも。いつものように薫がお寿司を作り、実家から差し入れの細魚(さより)でお吸い物をして畑でかき集めた菜の花を添えて。



昼のラジオで「民謡をたずねて」をやっていた。
今日の放送はお隣の新居浜市で公開収録されたもの。民謡は子どもの頃、テレビでもよく歌っているのを見たり聴いたりしていた記憶があるけれど、いま民謡を聴く人というのはどれくらいいるのだろう。教室などで歌っている人が多いのだろうか。
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