38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

桃の節句、春の陽気。

2012年03月03日 | 農と暮らしの日記
鯵を開いて干した。
神奈川・三浦半島にいるときはよく干物を作ったものだが、就農してからはとんとご無沙汰。

まず、時間の余裕がない。
当たり前だけど会社員と違って「週末の余暇」がない。魚を開いて干すくらい何でもない手間なのだけれど、それより雨の日に取り込んできたトンネルのポリシートを広げて干しとこう、ってことになる。

以前ほど魚を食べなくなったということもある。
当時住んでいた逗子・葉山は相模湾の海の幸が山のようにあって(って変な表現ですね)、野菜とか肉とかを食べるより魚のほうが安いし地産地消だし季節を感じられるし、いま思えば米より魚のほうが主食だったんじゃないかというほどの魚食家族だった。鯵、鰯、鯖、鰹、かます、ほうぼう、飛び魚、金目鯛、などなど。それから、生しらすも。当地も瀬戸内の海の幸が豊富ではあるけれど、調理済み、一匹付けのパック販売が多く、概して高い。一方で野菜はそれこそ売るほどあるから(いまはないです)そちらが優先的に食卓にのぼる。

さらに、気候の問題がある。
南関東の冬は晴れの日が多く冷たい風が吹いてまさに干物にはおあつらえ向きなのに対して、四国の瀬戸内は北向きの土地だから山陰や北陸に似て雲が多い。しかもうちの辺りは平地の市街方面に比べて山沿いだから雲がなかなか晴れない。三浦半島の頃は頭よりも先に体が太陽の光と潮風に「干物日和」を直感して無意識のうちに漁港や魚屋に足が直行しているというその話が本当なら直行すべきは病院に間違いない。

さてそれで、本日の干物である。
ご覧の通りの一般的な開き。考えてみると、こんなふうに丸ごと一尾の鯵を開いて干すというのは神奈川時代にもほとんどしなかった。鯵は干していたけれど、それはいつも、刺身にとったあとの頭と背骨、薄くそぎとった腹骨のところ。これを干さずに素揚げしてすぐ食べてしまうこともあったし、南蛮漬けにしておくおともあった。オイルサーディン風に油で煮たのもおいしかったなぁ、と思い出せばきりがなく、「さてそれで」と仕切り直したのに「本日の干物」の話になっていないではないか。

魚を干す網がわが家にはもうなかった。
三段式の青い干し網をついこのあいだも見かけたなと思って薫に聞いたら、それは野菜を干す専用だから流用禁止なのだそうだ。ま、確かに売り物になる切り干し大根が潮の香りではまずい。というわけで、写真のように「目刺し」方式で。トンネル支柱に使うダンポールで十の目を次々に貫かれ、晩冬の陽光を浴びる鯵のみなさん、ご苦労さまです。

鯵は昨日、スーパーで「本日のお買い得品」になっていた「島根県産・1kg398円」。
12尾入っていて、5尾は昨晩ソテーで食べ、2尾は子どもたちの弁当(鯵フライ)になった。



土曜。「余暇」であるべき週末。
久しぶりに気持ちのよい晴れ、なのに珍しく気温も高め。

午前:温室の管理、じゃが芋の種芋を浴光させるために並べる。
机しごと少し、そのあと臨時の出荷のための単品収穫(セットは休止中)。

午後:トラクタの掃除。
ロータリ周辺の泥を落としたり、エンジン回りのフィルターを掃除したりの簡単な作業だけれど、これがなかなか時間がなくて普段できていない。携帯ラジオを傍らに置き、暖かい日差しを浴びながら泥をどかどか落としていると、なんとなく「週末の余暇」という感じがする。もともと汚れているようには見えない真っ赤なアルファロメオをさらにぴかぴかに磨いている人たちと同じ時間を共有している気分だ。

夜:晩ごはんは桃の節句のお祝い。
本番は旧暦の時のつもりだけれど、いちおう世間一般的な雛祭りも。いつものように薫がお寿司を作り、実家から差し入れの細魚(さより)でお吸い物をして畑でかき集めた菜の花を添えて。



昼のラジオで「民謡をたずねて」をやっていた。
今日の放送はお隣の新居浜市で公開収録されたもの。民謡は子どもの頃、テレビでもよく歌っているのを見たり聴いたりしていた記憶があるけれど、いま民謡を聴く人というのはどれくらいいるのだろう。教室などで歌っている人が多いのだろうか。
コメント
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