38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

有機農業、全国大会in広島。

2012年03月10日 | 農と暮らしの日記
3/10-11、日本有機農業研究会の全国大会で広島県神石高原町に行ってきました。
その報告を愛媛有機農産協同組合(ゆうき生協)の毎週のニュースに掲載して頂いたので、同じものをこのブログにも「とりあえずの報告」ということで載せておきます。文中に出てくる一部の方はイニシャルに変えています。



<ゆうき生協ニュース掲載の原稿を転載>
日本有機農業研究会全国大会(3/10~11.広島県神石高原町)に行ってきました。
2012.03.17.西条市・藤田 敏(有機菜園藤田家族)

このたび愛媛有機農業研究会より費用の一部助成を頂き、就農後は初となる有機農業の全国大会に行ってきましたので、個人的な感想を中心に簡単なご報告をいたします。
 前回参加したのは7年前の2005年3月、福島県二本松市です。当時私は37歳。15年勤めた東京の会社をその3月末で退職して神奈川県藤沢市の相原農場(相原成行さん)で研修させて頂くことが決まっていました。福島大会では夜の懇親会にも参加し、当時から日有研の理事を務められていた相原さんが「この人が来月からうちで研修して、来年は愛媛で有機農業しますから、よろしくお願いします」と私のことを紹介してくださった相手が、前年の開催地(今治大会)ということで大挙(?)福島に乗り込んでいた愛媛の皆さんだったのです。Nさん、Hさん、Iさん……。それから7年、皆さんと一緒にマイクロバス相乗りで全国大会に出かけるなんて。海を渡る前に、もうそれだけで感慨ひとしおです。



 さて、会場に到着、神石高原名物という牛メンチカツ1枚で昼食を(あっさり)済ませ、プログラム第一番の記念講演では長崎県の中尾慶子さん(ブログ「命ぐるぐる元気生活」)が高校教諭や4人の親としての食育実践を熱く語ってくださいました。平熱35℃台は当たり前という生徒たちを前に奮闘される様子を聞き、「有機農業は教育だ!子育てだ!」と、最近は畑にまったく来てくれないうちの子どもたちを思い浮かべながら、強く思いました。



 続く分科会は「有機農業の技術~小施肥の視点から」に参加。千葉県の佐久間清和さんは不耕起・草生・無肥料・自家採種で、「耕さないことで土が変わる」「作物は作るというよりできる」「自家採種で畑に合うものになる」「病虫害の発生は畑のバランスをとる作用」など経験に基づく話に説得力がありました。「オクラと空豆の並行作」など不耕起を部分的に試みながらも本格的には取り組めずにいる私ですが、自然農に改めて惹かれる話でした。
 続く埼玉県の関野幸生さんも同じく無肥料・自家採種ながら、こちらは逆に耕起・不草生で、茄子、大根、小松菜など、私には慣行栽培にしか見えないピカピカの畑です。連作障害の代表とも言えるじゃが芋でさえ、春の芋を自家採種して秋に同じ畑に植えて病害なし、それどころか年々増収というので驚き。「採種を続ければ環境に適応するからむしろ連作のほうがよい」「連作がダメなら野生生物は生きられない」、なるほど納得の明快さです。
 後半はMOA自然農法の実践者・重原許一郎さんと同普及員の山本秀治さん(共に広島県)。重原さんは無肥料・自家採種の稲作りを忍耐強く実践してこられ、山本さんは指導者として主に野菜栽培の技術を研究・普及されているようです。病害虫は①菌②抵抗力③環境条件のどれかをよくすれば(3つ揃わなければ)発生しない、そのためには日当たり・風雨・排水性(土の断面構造も)・草の種類などを「よく観察すること」が大切と。先の関野さんも共通して言われていた「畝の高さ・排水性(通気性)の重要性」については水田利用の野菜作には不可避の課題なので、今年は重点的に意識して取り組みたいと思います。
 まとめは有機農業参入促進協議会の西村和夫さん。就農直後の私の圃場も診て頂いたことがあります。「小施肥・無施肥を選ぶ理由は、化石燃料に頼るエネルギー多投農業の限界が明らかだから」「日本は黄砂の養分、稲妻による窒素放出で土壌は豊か」「乳児は初乳で健康が決まる、作物は芽が出たときに出会う微生物で一生が決まる」など威勢のよい西村節に力を得て、「有機農業は技術だ!」と、この分科会を選んだ自分に○印を付けたのでした。



 夜は懇親会、19時から。研修先の相原さんとも再会、名前だけ所属している日有研の青年部の皆さん、この春退職して研修後に有機就農予定のIさん夫妻(妻ご実家は西条!)、また研修中に交流させてもらった東京農大生(当時)K君(新潟で有機稲作)、同じく研修中の相原農場でお会いした旧丹原町出身のOさんなど、出会い・再会の連続でした。
20時半頃からはホテル内のバーに移動して「夜の語らい」。貸切のセルフサービスは大盛況で、私もなぜかカウンター内でお手伝い。主に広島県の若い方々と交流ができました。
さらに、22時頃からは大阪の尾崎零さん(映画「フランドン農学校の尾崎さん」、『自立農力』家の光協会)のお部屋に栃木のSさん(青年部)ら20~30代の若い農業者(と40代の私)や就農希望者ら10人ほどが自然に集合してしまい、新規就農塾のような「語り場」に。深夜1時過ぎに宴たけなわのところ途中退出、ホテルの方に鍵を開けていただいて自分の4人部屋に入ると、予想どおり私の寝る場所はなく、押入れの上段にひとり布団をひきました。「有機農業は出会いだ、だけど孤独だ!」と考える間もないままに熟睡。



 二日目の朝6時、「ありゃ、そんなところに!」とか「あれ~、いつ来たんですか?」など同室のみなさんに驚かれながら目覚めました。4人部屋なのに最後の1人(私のこと)がなかなか帰って来ず(荷物も置いてないし)、「たぶんキャンセルだろ」ということになっていたそうで、深夜帰りをお詫びしつつ、初対面のご挨拶。みなさん広島の方で、そのまま7時過ぎからバイキングで和食と野菜サラダをたっぷり頂きながら情報交換しました。
 8時頃からは種苗交換会へ。10人ほどの方が自家採種の種を提供されており、それぞれ簡単な説明をしたあと提供者優先で欲しい種を持って帰ります。人参、南瓜、小松菜、唐辛子、オクラ、里芋などの野菜や、蕎麦、小豆、粟・黍などの穀類の珍しい種がいっぱいあり、種を提供しない人はカンパで種を譲り受ける仕組みです。私はその種を引き継いでまた提供できる力がついてからにしよう、「有機農業はお互いさまだ!」と今回は見送りました。



 9時からの全体会はまず分科会報告。①食育、②原発事故・放射能汚染と有機農業、③協同運動としての有機農業、④有機農業の技術、⑤環境支払い・有機農業推進施策、⑥有機農産物の流通と販売の6分科会の様子を知り、「全部に出たかった!」と強く思いました。今後はネット中継・動画サイトなど全世界に発信できるようになるとよいと思います。
 続く記念講演は宇根豊さん(百姓・農と自然の思想家、『田の虫図鑑』農文協、『「百姓仕事」が自然をつくる』築地書館)。「人類が滅びた後も夕焼けは存在するか」から「農業に経済成長は必要か」まで宇根ワールドは広がり、まさに「有機農業は哲学だ!」の90分でした。
 昼食は愛媛組でホテルのレストランを予約、神石高原ビーフカレーを頂きました。地産の牛肉たっぷり、サラダ付きの優雅なランチタイムに、農業者であることを忘れそうでした。



 午後はホテル庭園内の茶室で日本有機農業研究会の総会に出席しました。普通会員なので議決権はなく傍聴でしたが、同会の多様な活動の様子や課題を知ることができ大変勉強になりました。Hさんから伊方原発の再稼働反対を同会として要請することについての提案があり承認されたことは、愛媛県民として大変心強く、また有機農業者として大変誇らしく感じました。広島大会は東日本大震災後の大会として意義深い二日間だったと思います。



 最後に、運転を担当してくださったIさん、Aさんはじめ、マイクロバス乗合の生協職員・理事のみなさん、生産者のみなさんには大変お世話になりました。愛媛のみなさんともグラス片手にゆっくり話をする機会が普段はなかなかなく、今回は泊まりだから久々に……と思っていたのに一夜は嵐のような早さで過ぎ去ってしまったのが心残りです。次はぜひ、2泊くらいでさらにゆっくり大会参加し、語り合いたいと思います。また、温室の管理など留守を預かってくれた妻と子どもたちにも感謝。本当にありがとうございました。
コメント
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