唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

煩悩ーまとめ

2010-01-20 23:29:02 | 心の構造について

 意識の上に顕れる善の心や煩悩の心をみてきました。わたしたちの心には善の心もあるけれども善を覆うように煩悩の心がはたらいているのです。この煩悩は意識の上に顕れていますから認識ができるのですね。荒々しくはたらいているのです。ここに表層の意識と深層の意識の関係がみてとれるのです。意識上では善と煩悩がいつも対立してどちらの比重が重いかによって善にはらき、煩悩にはたらくという構図になります。しかし意識は根本識すなはち第八識に依止していますから、意識上ではわからない無意識の影響を100%受けているのです。そして第八阿頼耶識は純粋識でありますから、表の情報を率直に受け入れるのですね。しかし「ちょっと待って」と水面下で働いている意識があるのです。それがマナスといわれる第七末那識といわれる染汚識で、表層で意識された善や煩悩を自己執着心として阿頼耶識にはたらき、種子として蓄積されることになるのです。ですから阿頼耶識が転識得智しない限り善の心は染汚性をもっていると言わざるを得ないのです。「雑毒の善」であり、そのはたらきは「虚仮の行」といわれる所以なのですね。煩悩には煩悩に付随した随煩悩が語られますが次回に随煩悩の説明をしたいと思います。そして「末那識」について考えていきたいと思います。

          (参考文献ー『二巻鈔』良遍作より・冒頭の言葉)

一切ノ諸法ハ皆我心ニ不離。大海・江河・須彌・鐵圍。ミズシラヌ他方世界淨土菩提。乃
至一實眞如ノ妙理マデ。併ナカラ我心ノ内ニアリ。何況我身ノ頭目・手足・衣服・飮食等ヲヤ。
心ノ外ニ有ト思フハ迷亂也。此迷亂ニ依ガ故ニ。無始ヨリ以來。生死ニ輪迴スル身
ト成レリ。諸法ハ心ニ不離ト知ヌレバ。生死輪迴永絶テ。無上覺王ノ位ニ至ラズト
云事ナシ。サレバ誰モ皆心ノ外ニ有ト思ヘル物ノ形。悉ク是體性都無(たいしょうとむ)ノ法也。心ヲシテ實ト思モ又迷亂也。心ヲ執シテ心ノ外ニ置ガ故也。空ヲ執シテ實ト思モ又迷亂也。心ノ外ニ空ノ相ヲ見ガ故也。所以ニ心ノ外ニ有ト覺ル相ハ。色モ心モ有モ無モ。皆悉ク
實ノ法ニ非ズ。此僻事形ヲ滅シ失ヒテ。不思議ノ智ヲ發シ。内ニ一心ヲ覺ルヲ。唯識
ノ眞實ノ觀ト名ク。(『法相二巻鈔』より)
 唯識無境を見事に語っている文章ですね。何度も何度も音読し何故迷っているのか考えてみてはいかがでしょう。


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