唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

唯識入門

2020-01-02 09:19:00 | 唯識入門
 
 皆さんこんにちは、今日はお正月の風物詩、箱根駅伝が始まっています。さて往路優勝はどこの大学が制するのでしょうか。興味津々です。
 唯識(ゆいしき)というと、何か雲を掴むような話ですが、皆さん、いろは歌をご存知ですね。「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」。漢字を添えますと、
  色は匂えど 散りぬるを (諸行無常)
  わが世誰ぞ 常ならむ  (是生滅法)
  有為の奥山 今日越えて (生滅滅已)
  浅き夢見じ 酔いもせず (寂滅為楽)
 となります。すべてのものは、縁によって生じ、縁によって去っていく。すべてのものは移りお変わっていき、ひとつとして実体的に存在するものは無い。自分という存在を考えてみよう。自分という存在が一人で存在することは不可能である。関係的存在として、関わり合いの中で助けたり、助けられたりして、自分のいのちが保たれている。また、自分のところまで伝わってきたいのちの歴史が自分の背中を押し出してくれている。どれほどの歴史か。本当の自分に出会う旅の終着点として、私という存在が選ばれた。
 ではなぜ、自分という存在に執着するのでしょうね。それさえ理解できない私がいます。おそらく、私がという執着を離れたら、自分が無くなってしまうという恐れがあるからだと思うんですね。自分が無くなったら、すべてを失ってしまうのではないのかという怖れです。
 上のいろは歌が真理を表しているのですが、これが理解できませんと、真理に迷うことが起こってきます。どのように迷うのかですが、亦明日にします。考えてみてください。
 さあ、箱根駅伝を応援しましょう。

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