唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

唯識入門(15)

2020-02-09 13:12:54 | 唯識入門
 今日は、来週からまた初春の陽気になるそうですが、雨模様みたいです。今日明日はまだ冬型ですね、寒いです。
 前回から種子について考えていますが、少し論題から離れてですね、地獄・極楽を死後の世界と捉えると、死後の世界なんて信じられへんという返事が返ってきます。
 地獄・極楽は両極端のように聞こえますが、そうではないですね。地獄は極苦処とも、奈落(金輪際)ともいわれて、暗闇の世界を表しています。
 極楽はどうでしょうか。ネオン輝く繁華街を思い出してください。竜宮ですね。
 共に、自己を振り返る余裕はありません。そこでは言葉が通じない世界だと、よくいわれます。何故言葉が通じないのでしょう。それは自分の思い(自分の物差し)が強いからでしょうね。
 浦島太郎の物語や蜘蛛の糸で語られていることは、自己の物差しですね。自己中心の天秤が、それこそ、自然に出てきてしまうのでしょう。他者をかえりみる余裕が無い世界を表しています。
 人間世界はどうでしょう。地獄極楽の狭間に存在して、苦楽の中で生きることの意味を考えさせられる立ち位置に存在しているのではないですか。
 僕の若い頃、植木等のスーダラ節が流行りました。「わかっちいるけどやめられない」自分は分かったつもりで、分かったつもりを物差しとしているんですね。だから止められないのですが、往々にしてこのような間違いを起してしまいます。
 唯識は提言します。
 「外界は自己の心の投影」「他者は自分を映し出す鏡」「他者は自分の影像」であると。このことが分からんですね。自分では気づきを得ないという闇が覆っているのです。平気で差別をし、批判をしています。そのことを思う時、自分は世界の宰相になりたいのでしょうね。バーチャルでもいいから、自分が宰相として、世界をぶったぎっているのではありませんか。
 我の定義として、「我というは謂く主宰(しゅさい・自ら自己と他者を支配すること)。」であり、主とは自在、宰とは割断(かつだん・決断すること)と意味づけされています。
 支配するのは執ですね。自己を執することが他者をも支配する独裁として表面化しているわけでしょう。それを我というのですね。
 この執が種子の隠された意味になると思います。
 今日は三番目の恒随転(恒に随って転ず)についてです。
 「三には恒随転(ごうずいてん)、謂く要ず長時に一類相続(いちるいそうぞく)して究竟位(くきょうい)に至(いたる)が方(まさ)に種子(しゅうじ)と成る。」と教えています。
 恒随転とは、種子は一類相続して究竟位に至るまで断ずることがない。ここは第二番目の果倶有という異類と対応している所です。一類である。また、相続という点からは、第一番目の生滅と対応しています。種子は刹那滅ですが、刹那生滅を繰り返しながら同じ性質が変わらず相続していくということ。善の種子は善の種子とし、悪の種子は悪の種子として相続していく、非常に厳密ですね。種子生種子は自類相生し引生していくものである。他のものをもってくるわけにはいかないんですね。他者に変わってもらうわけにはいかないんです。
 「此は転識(てんじき)を遮(しゃ)す。転易(てんにゃく)し、間断(けんだん)するを以て種子法(しゅうじほう)與(と)相応せざる故に。此は種子の自類相生(じるいそうじょう)することを顕す。」
 転易とは、うつりかわることです。
 自類相生とは、阿頼耶識の中の種子は一刹那に生じては滅し、滅した次の刹那に自らとおなじ種類(自類)の種子を生じる(相生)ありようが不断に続く。この説は、外道の説く常一なる我(アートマン)と同じではないかと云う非難に対しての唯識側からの答えになり、阿頼耶識は非常非断の連続体であることを表す為に、「自類」という概念を用いています。
 恒随転において、転識を除外する、ということ。阿頼耶識に蓄積される種子は、その性質は変わらず自類相生であることを顕わしているのです。七転識は縁生ですから、条件が変われば、受け取り方も変わってくる、うつりかわり、間断が有るということになり、そのようなものは種子法と相応しない。変化するもの、転易するもの、そして間断があるものは種子ではない、種子は一類相続していくものであるのです。
 概念としては、現実の行動や思索のすべてが種子として揺ぎ無く蓄積されていて、そこから現実の行動が生み出されているということなんです。ここで無因論を破します。
 現行(現実の行動)は結果なんです。結果を生ずる種子は必ず現行と倶有であり、倶時であるわけです。
 非常に大事なことを教えていただいていますが、この刹那滅と恒随転の説明として、第二番目の果倶有(かくう)が説かれています。種子は、「現行(ゲンギョウ)と恒(ツネ)に倶(ク)にあるもの」であることを明らかにしています。
 次回に考えます。
 今日は長くなりました。すみません。眼を通して頂ければ幸いです。南無



 

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