「逆縁教興」という命題は曽我量深先生が御講演の題としておつけになられたのでありますが、その内容は真宗大谷派大阪教区でお話しされています広瀬 杲先生のご講義の中で引用されていますので掲載させていただきます。 「それは、昭和三十六年の七月十日という日付になっている曽我先生の講話であります。富山の月愛苑というところでなさった講話でありまして、「逆縁教興」という講題のもとでお話をなさったものです。
今年は曽我先生の十七回忌に当りますから、その「逆縁教興」というお話は八十五、六歳の頃にお話になったことになります。その頃に、富山の月愛苑というところで、不特定な多くの方々を前にして、こういう題でお話をなさったのですが、そのお話の中でかなりはっきりと、弾圧という事柄について話しておられるのです。もちろん講話でありますので、言葉の前後ということがございますから、少々私なりに整理した形で申しますが、基本的には私は手を加えておらないつもりでおります。その話の中でこういうもののおっしゃり方をしておられるのです。
本願のご文を見ると、一切衆生とか、あるいは十方衆生とかいうことがあります。それは自分の身近かな言葉で表すと、十方衆生というものは、つまり庶民ということでしょう。つまり、一般的な庶民。権力とか、社会上の地位とか、財産の力とか、あるいは精神力とか、そういうような力のないもの。長い間、少数の権力者というものから、虐げられておった。それに対して、仏教もまた、それと調子を合わせておるようなものでありまして、聖道門のおみのりというものは、世間の権力者と、結合して、そして庶民を奴隷のようにして、それを搾取して、いつまでも庶民が真剣に自分自身というもの、人生というものについて考える、そういう余地も何にも与えてやらんという、そのようなものが、『大無量寿経』の本願の上におおせられてありますところの十方衆生、十方一切の衆生、あるいは凡夫というようにおおせられるのである。
もっとも仏教からいうならそういう人々の魂、精神、そういうものを養うように、そういう人々が本当の意味で、自覚するようにするものが、仏様の、大悲のご精神であるに違いない。それを仏法の名のもとに、世の中の政治家と結びついていく、こういうことが、いわゆる聖道門の仏教である。そういうカラクリの元に成り立っておるおしえというものは、正しい仏法であるというわけには、いかんわけでしょう。
そういうことがあって、一般の庶民の願い、そういうものを双肩に荷ない、そしてまた、仏の本願というものを荷のうて、法然上人というお方が、日本の国に誕生して、そして選択本願念仏の浄土宗をお立てなされた。これが仏教の歴史においては、二千年の間なかったので、法然上人に至ってはじめて独立した。いわゆる花も実もあるところの浄土宗というものが、はじめて世の中に現れてきた。
こういうような、言葉があるわけです。別に曽我先生がこういうことをおっしゃったからというて、ことさら、それを引き合いに出す必要もないんですが、こういうふうな表現で、本願が呼びかけている十方衆生を確かめ、その確かめにしたがって、そこから展開していって、その本願に立脚した、法然上人における浄土宗の独立ということのもっている意味というものを押さえられた。八十五、六歳、老齢と申していい年齢の先生が一般の人々の前で、はっきり、こういうことを口になさるということのもっている意味は何か。こういう表現をとられたからというて私はただ新しい表現だといっているわけでは決してありません。ただ曽我量深という先生が、異安心に問われたり、教団や大学から排除されたりいたしますけれども、少なくとも、曽我先生はいわゆる伝統の宗学の歴史の中で、事柄を確かめていこうとなさったということがありましょうし、そういう中からだんだんと、事柄をはっきりしていかれたということがあるわけでありましょう。」(『生命の足音』教化センター紀要1p16~18所収)
ここで「興福寺学徒奏達」のもっている意味を考えなくてはならないと思います。なぜ法然上人の浄土宗独立を時の朝廷・帝をつかってまで弾圧をするのかということです。興福寺奏達の以前にも延暦寺の僧が天台座主に浄土宗停止の直訴をしているわけですが、あからさまに時の為政者を擁してまでも弾圧しなければならなかった理由があるわけでしょう。それは仏教伝来の過程で仏教本来の「一切衆生の救済」の本旨を置き去りにしてきたことが白日の下にさらされる危険があったわけでしょうか。日本に伝来された仏教は貴族のアクセサリーであり、ステイタスであったわけです。今でいう「上から目線」ですね。これを法然上人は鋭く批判されたわけです。『選択集』には「念仏は易きが故に一切に通ず。諸行は難きが故に諸機に通ぜず。然らば則ち一切衆生をして平等に往生せしめんが為に、難を捨て易を取りて、本願と為たまえるか。」という目線に立って「計れば、夫れ速やかに生死を離れむと欲はば、ニ種の勝法の中に、且く聖道門を閣いて選びて浄土門に入るべし。浄土門に入らむと欲はば、正雑ニ行の中に、且く諸々の雑行を抛てて選びて正行に帰すべし。正行を修せむと欲はば、正助ニ業の中に、猶し助業を傍らにして選びて正定を専らにすべし。正定の業とは即ち是佛名を称するなり。名を称すれば必ず生ずることを得。佛の本願に依るが故なり」(『選択集』三選の文)閣いて(さしおいて)・抛てて(なげすてて)・傍らにして(かたわらにして)と聖道の仏教の普遍性を「依仏本願故」を教証として批判され、一切衆生の往生の道を指し示されたのです。 (続く)
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