おはようございます。一週間早いですね。今日は穏やかな天候に恵まれています。お出かけ日和ですね。
さて、今日は種子についてです。
種子(しゅうじ)って何?という疑問がでてまいりますが、種子こそ現在の自分を規定している根幹を成すものなんですね。
『論』では種子となるものを六つの方面から考究しています。すべてを紹介するのはかえって煩雑だと思いますので、大事なところだけを紹介したいと思います。
種子を積極的に規定しているのが、種子の六義の中での第一番目の刹那滅(せつなめつ)と第三番目の恒随転(ごうずいてん)になります。
有為法から種子を明らかにしています。有為法は生滅変化するもので必滅の用あるものです。
刹那滅というのは、つまり、生ずると即座に滅する、間が無い(間断することが無い)けれども、その中で勝功力(しょうくりき・強い力)があるものが種子である。一刹那に生滅しながら私の人格を形成し、支えていくのが種子である、と云われているのです。
種子生現行であって、種子と現行の間に断がないということですね。種子が有って現行が生起するということではなく、種子即現行即種子etcなのです。滅と生と滅と生との行間に命の躍動感があるのでしょう。いつも新しい命をいただいている、種子も現行も恒にリフレッシュされている躍動感なんですね。
種子の第一の意味は、刹那滅であることを説いていますが、それに於いて何が除外されるのかといいますと、「常法」を除外する、常法は、転変することが無いからである。転変することのないものは、ものを生ずるという能生(のうしょう)の働きが無いからである、というわけです。
転変することのないものは、真如ですね。無為法です。無為法を以て種子とすることはできないと説いているわけです。
刹那滅という時は、そこに能生の用(ゆう・働き)が有って、そこで縁起が成り立っているわけです。それを阿頼耶識縁起(あらやしきえんぎ)といいます。
つまりね、「本識の中に親しく自果を生ずる功能差別なり」と種子の定義がされていましたが、現行が因とすれば果は種子であって、時には因と果を同時に受け持っていると云う意味があり、生滅というところに種子の意義がるということなんです。
次回は恒随転について説明します。
さて、今日は種子についてです。
種子(しゅうじ)って何?という疑問がでてまいりますが、種子こそ現在の自分を規定している根幹を成すものなんですね。
『論』では種子となるものを六つの方面から考究しています。すべてを紹介するのはかえって煩雑だと思いますので、大事なところだけを紹介したいと思います。
種子を積極的に規定しているのが、種子の六義の中での第一番目の刹那滅(せつなめつ)と第三番目の恒随転(ごうずいてん)になります。
有為法から種子を明らかにしています。有為法は生滅変化するもので必滅の用あるものです。
刹那滅というのは、つまり、生ずると即座に滅する、間が無い(間断することが無い)けれども、その中で勝功力(しょうくりき・強い力)があるものが種子である。一刹那に生滅しながら私の人格を形成し、支えていくのが種子である、と云われているのです。
種子生現行であって、種子と現行の間に断がないということですね。種子が有って現行が生起するということではなく、種子即現行即種子etcなのです。滅と生と滅と生との行間に命の躍動感があるのでしょう。いつも新しい命をいただいている、種子も現行も恒にリフレッシュされている躍動感なんですね。
種子の第一の意味は、刹那滅であることを説いていますが、それに於いて何が除外されるのかといいますと、「常法」を除外する、常法は、転変することが無いからである。転変することのないものは、ものを生ずるという能生(のうしょう)の働きが無いからである、というわけです。
転変することのないものは、真如ですね。無為法です。無為法を以て種子とすることはできないと説いているわけです。
刹那滅という時は、そこに能生の用(ゆう・働き)が有って、そこで縁起が成り立っているわけです。それを阿頼耶識縁起(あらやしきえんぎ)といいます。
つまりね、「本識の中に親しく自果を生ずる功能差別なり」と種子の定義がされていましたが、現行が因とすれば果は種子であって、時には因と果を同時に受け持っていると云う意味があり、生滅というところに種子の意義がるということなんです。
次回は恒随転について説明します。