日本のボクシングを関西のスターが動かしていた、という時期が、過去には何度かあったように思います。
渡辺二郎が孤塁を守っていたころ。赤井英和というスターの存在。
その赤井に憧れた井岡弘樹が若くして王者となり、辰吉丈一郎の登場という「爆発」で、その流れを決定づけた時期。
最近なら「徳山昌守以外、誰も世界では勝てん」頃を経て、長谷川穂積が長期政権の座にあった時期もそうだったように思います。
そして、辰吉の「直撃」を受けた世代が、関西のリングで活躍し、世界へ挑む流れというのは、割と普通のことだったはずです。
もちろん、全体的な「層」の厚さの話をすれば、日本のボクシングが常に「東高西低」であること自体が、揺るいだことはなかったですが。
昨日、こういう記事を見つけました。
関西世界王者の不在を取り上げ、辰吉寿以輝の次戦の話題に絡めた一本です。
辰吉寿以輝の名前を、こういうレベルの話に絡めるのは、現状、そもそも無意味です。
しかしそれ以前に、この記事が空しいものであるのは、関西の地盤沈下が何故起こったか、ということを、まったく直視していない。
触れてもいない、その意志もないから、です。
記事中にもあるように、寺地拳四朗は関西の興行に出る選択をしていない。
井岡一翔は引退を経て東京に拠点を移している。
若き逸材、京口紘人に至っては、そもそも最初から大阪のジムを選びもしない。
こういう、有名どころの目に見える話のみならず、我々の知らぬところで、さまざまに起こっていることどもの背景は、実情はいかなるものなのか。
救世主待望(まあ、本気で書いてるわけではなく「話題」の一環を書いただけでしょうが)ではなく、足元を見つめ直さないといけない、というのははっきりしています。
少なくとも、単に偶然、王者や世界上位の選手がいない時期、という話ではない。
現に「いた」人たちが、出て行ってしまっているのですからね。
若いボクサー、ないしはボクサーを志す若者が、己の立身を考えたとき、関西のボクシング界が魅力に乏しく、信が置けないものと見做されてしまっているとしたら。
その原因を見つめ直し、改善する意志が、どこにもないわけではない...と信じたいところですが。