さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

薬師寺ジム興行中止 無観客ではやはり...

2020-05-31 11:02:44 | 中部ボクシング



薬師寺ジムが7月に予定していた興行を中止
メインイベンター、森武蔵のキャリアも停滞を余儀なくされることになります。

元世界王者、後援者も多かろう、と見える薬師寺保栄のジム、しかも森というメインイベンターがいても、こういう決断をせねばならないのなら、普通のジムの興行はさらに厳しいでしょうね。
というか、中止になるとかならんとかいう以前に、予定を立てるところにすら、辿り着いていないのでしょうね。

いつまでも完全に無観客、ということはなく、時間が経てば、徐々に観客も入れられるようにはなるでしょうが、経済的な損害、そして人的な面も含めた縮小傾向を食い止めるのは難しいかもしれません。
その先に、プロボクシングがどのような形で存続していくのか、新たな道を見出さねばならない。
それだけは確かなことに思えます。


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和製レナード、いや、それ以上 壮大な夢の入口

2020-05-30 16:14:30 | 辰吉丈一郎



辰吉丈一郎の思い出、三回目です。


岡部繁戦は、当然TVで見たんですが、これが関西では数日遅れの録画放送。
結果は知った上で見ました。
なのに、30年経った今でも、その試合は「驚愕」そのものとして、記憶に焼き付いています。


岡部繁については、この試合まで映像を見たことはありませんでした。
ただ、専門誌の記事で見る限り、日本チャンピオンとして抜きん出て強いという内容や結果があるでなし。
もちろん弱いチャンピオンではないだろうが、さりとてサムエル・デュランより強いはずもない。
従って、不調でありながらもデュランに勝った辰吉が勝つだろう。そんな風に思っていました。

そして、報じられた結果もその通りでした。
想像を超えていたのは、その内容でした。


覚えているのは、一見して辰吉の身体の切れが、それまでの三試合と全然違った、ということでした。
無用な力みが見えず、下肢のバネが効いていて、膝が柔軟。
若干、前傾気味のバランスを、ぎりぎりのところで補正する。
その足捌きは、前後共に軽やかで、まるでキャンバスの上を浮遊しているかのように思えました。

初回は左を下げていたが、2回以降、ほどほどにガードも上がり、両肩は程良くリラックス。
構えた位置からジャブ、コンパクトな右が、適時、岡部を脅かす。

岡部は打てば敏捷に右を返され、下がれば上下に散らすジャブで追われる、という流れで、時折鋭いパンチを見せるも、劣勢は否めず。
4回、徐々に手詰まり感ありありだった岡部が、安易に出した左を、本当に最小限の幅でスリップした辰吉が、それまで右を返していたところ、突然の?左フック。
コンパクトに振り抜かれた一撃で、岡部が後方へ崩れていきました。

このとき、アリやレナードのように右手を回したシーンは有名ですが、私がより鮮明に覚えているのは、この後、それこそレナードばりに厳しい「詰め」の連打で二度目のダウンを奪ったあとの様子です。
中立コーナーに立った辰吉は、客席から投げ込まれた何か(パンフか紙テープか?)が足元に転がったのを見て、試合の邪魔にならないようにと、右足で軽くリング下に蹴落としました。

先ほどのパフォーマンス、猛攻、その直後、熱狂に包まれた場内で、この歳若いボクサーが、誰よりも一番冷静な貌を見せている。
その事実が、何よりも衝撃的、そして感動的でした。
初のタイトルマッチ、メッカ後楽園ホールのリング上で、この恐るべき才能の持ち主が、様々な「余計」を排して、真の強者たりうる境地に、足を踏み入れた。そう感じたのでした。

初めて練習映像を見てほぼ一年、やっぱり、辰吉丈一郎は本物だった。
そう思えた喜びは、その先に見た夢の壮大さは、今も心中から消えていません。

もう、三度目のダウンを奪う様子は、単なる付け足しでした。



このときの辰吉の試合ぶりは、もちろん相手との相性や力関係ゆえだと言えばそれまでですが、心身ともに一番バランスが取れていた、と思います。
慌てずに圧し、力まずに打っていきながら、同時に「強打」出来るパンチは何か、その選択肢を探りつつ、要所を押さえて得点していく。
終始冷静で、緻密で、なおかつ好機を得たら爆発的。

まさに和製レナードではないか、いや、そのキャリアの浅さを考えれば、レナード以上の天才ではないか。
こんな凄いボクサーが、日本に現れるとは。
この男こそ、日本の枠を超えて世界を驚愕させる、次代のスーパースターになる男だ。
そんな風に思ったものです。




====================


この試合については、ひとつだけ、長年、疑問に思っていたことがありました。
何故、岡部繁とその陣営は辰吉の挑戦を受諾したのだろう、ということです。

辰吉は確かこの試合の時点で日本1位ではなかったはずです。2位だったか。
何しろ、挑戦者コーナーのすぐ下の席に、当時日本1位だったサウスポー、松尾隆がいて、鋭い眼光を辰吉に向けていた覚えがあります。
(この松尾は、後に眼疾を患い引退しますが、次の試合で辰吉に挑んでいたら、サウスポーだったことも含め、健闘したんじゃないか、と思うくらい、好選手でした)

何しろ、岡部陣営が辰吉と闘うとしたら、大物ルーキーを倒して声名を高めよう、という理由しかないでしょうが、私にしたら、勝ち目の無いカードに、大事な選手を出す理由としては弱いなあ、という感じでした。

しかしこの試合から10何年も経って、関東のファンの方々とも、色々接することが増えて、友人も出来るようになり、その辺の疑問をぶつけてみたことがあります。
その友人が答えて言うには「それは、辰吉があんなに強いと思われてなかったからですよ。悪いですけど、また大阪から口だけの選手が出てきたな、くらいにしか思われてなかったんです」とのことでした。

あー...そういうことだったのかあ、と。
もちろん、そんな風には思ってなかった、という意見もおありでしょうが、一方で、一定以上の割合で、そういう断じ方がされていただろうことも、容易に想像が出来ます。


聞いてみれば他愛も無いというか、簡単な話でした。
そういう側面からも、あの試合は、痛快な試合だったのでした。
出来ることなら「その場」に居合わせて(当然、結果知らずに)あの試合を見てみたかったなぁ、と改めて思った次第、です。




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8月31日、A-SIGN興行に坂井祥紀登場 ネット時代の新機軸となるか

2020-05-29 12:48:24 | 関東ボクシング




横浜光と八王子中屋ジム共同の興行が、8月31日新宿フェイスで行われます
といっても無観客興行ですが。

注目は、ナチョ・ベリスタインのロマンサジムで活動し、メキシコやアメリカで闘ってきた坂井祥紀が、メインイベンターを務めること。
これだけでも十分、ファンとしては必見という感じですが、それ以外にも、ネット時代ならではの新機軸、新たなビジネス構築なるか、という試みとしても注目です。

詳しくは石井一太郎・横浜光ジム会長の動画で。






YouTubeのライブ配信なんかである「スーパーチャット」なんかは、けっこうな割合で「引かれる」と聞いていますが、他の方法での「投げ銭」や、何らかの特典、グッズなどの関連商品など、色々とやれることはあるはずです。

出来れば業界全体で、スケールメリットを生かした形になればなお良いですが、誰かがこういう方向を打ち出していかないと、すぐにまとまって何かやるというほど、頭の涼しい人たちばかりではない、それも現実なのでしょう。

とりあえず、ファンとして、何らかの形で参加したいなと思っています。
単に、坂井祥紀が日本で試合する、というだけで楽しみですしね。
相手は国内選手になるのでしょうか?その辺も気になりますね。



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足取り重き、119ポンドの逸材

2020-05-28 09:20:02 | 辰吉丈一郎


辰吉丈一郎の思い出、とりとめもなく二回目。


デビュー戦のKO勝ちは、試合単体が録画中継されたわけではなかったはずです。
スポーツニュースや、スポーツバラエティ的な番組では、何度も取り上げられていましたが。

デビュー戦前のジムワーク映像で見た印象は、本当に凄い素材なので、適切な指導を受けて順調に伸びたら、どんなに凄いボクサーになるだろうか、というものでしたが、デビュー戦を見ると、正直言って余計な「粋がり」が目につき鼻につき、という部分もあり、そこはがっかりしたところでした。

相手との力量差を見て取ったら早速、両手を下げて、アゴを少し出して、余裕を見せる。
ちゃんと指導者が教育してないのか、それとも、どうにも手に負えないものを、これでもまだ抑えている方なのか。

いずれにせよ、これだけ凄い才能を秘めているのに、なんでこういう余計なものが入り込んでくるんやろう。
アリやレナードの「芸風」を悪く解釈しているに過ぎないんだろうが、もっと良いお手本をしっかり見て学ぶべきだ、と思ったものです。



二戦目は、これまた関西地方で試合自体の放送は見られませんでした。
これもニュースか情報番組かで、初回のダウンシーン、2回の逆転KOシーンを見たんだと思います。

初回、タイ王者チューチャード・ウアンサンパンの左ロングフックを食って尻餅、笑いながら立つ。
2回、タイ人の連打、その繋ぎ目を切り裂くように差し込んだ左ボディでKO。

この試合について報じた記事、確か Number のものだったか?専属トレーナー氏のコメントは

「(初回のダウンは)これほどのレベルの選手が、あんなチョンボをしたのが可笑しくて、笑ってしまいました」

という内容のものでした。

一読して、こういう人はすぐに外した方がええな、と思いました。
デビュー戦にも通じますが、これほどの素材、逸材ならばこそ、もっと強い相手と闘う日のことを見据える必要がある。
だが、歳若き本人は仕方ないにせよ、指導者や周囲が、文字通りの「指導」を怠っているのではないか。そういう印象を持ちました。




そして三戦目。
後に思えば相当な試練、難関たる一戦でした。

サムエル・デュランはこの試合の三ヶ月ほど前に、タイのサミン・キャットペッチをKOして、WBCインター王座を獲得したばかり。
このサミンというのは、デビュー戦でインター王座を獲得し、二戦目でデュランに敗れ初黒星、というキャリアの選手。
詳細は不明ですが、ムエタイのスターか、アマチュアの有力選手かどちらかだったのでしょう。
そういう選手を国際式に転向させ、少ない試合数で世界戦に持っていく。タイではよくあるパターンです。

ちなみにデュランは91年の11月にも、ムエタイからの転向選手であるオーレイ・キャットワンウェーをKOしています。
このオーレイは「アンダマンの真珠」と呼ばれたムエタイのスーパースターだったそうですが、この黒星により、国際式のキャリアをたった三戦で断念しています。

いわば、少ない試合数で世界を目指すホープの目論見を打ち砕くのが得意な?デュランを、これまた三戦目で迎え撃つ。
当初、ジム側は三ヶ月前の試合で負けたサミンの方と組むつもりだったのを、辰吉が「勝った方とやりたい」と言ったので、デュランを選んだ、とのことでした。
終わってみれば、辰吉本人も陣営も、おそらく、思う以上に危ない橋を渡った、という一戦になりました。


この試合、契約ウェイトは119ポンドだったと記憶しています。
動きがどうにも重く、果敢に攻めてくるデュランのパンチを外しきれない場面も。
しかし3回、相手の左を外して、次の右が来る前に左アッパー、という天性の一打が決まり、ダウン。
その後、デュランの反撃に晒され、危ない場面もあるが、7回に左右アッパーで倒し、KO勝ち。

全体を見て、たった三戦目の選手にしては、考え得る中で最強の相手をKOした辰吉は凄い、となる反面、最後は明らかにダウン後のパンチを効かせていたことも含め、どうにも印象の悪い試合でした。
はっきり言えば、辰吉の反則負けになっているべき試合でした。

そして、それを抜きにしても、強敵相手に見せたセンスや闘志は凄いが、調整を含めた経験不足も露呈した試合でした。
手を下げ、目を外す選手としては、もう少し身体に切れが欲しい。
119ポンドで組むと、足取りが多少重く見える。足から動いて外すのでなく、上体だけだと外しきれず、打たれる。
そこは心配な点でした。


この試合はフジ系列の関西ローカル、関西テレビで深夜放送されました。
当時、関西テレビは渡辺二郎、ローマン戦、そして六車卓也の試合を放送していた局で、その流れで辰吉の試合も取り扱ったのでしょう。
しかし、次の岡部繁戦における「爆発」以降、辰吉の試合は全て、日本テレビ系列での放送となります。

この試合放送における、関テレの番組作りは、相当熱が入ったものだったように思います。
冒頭の煽り部分では、人気アナウンサー桑原征平のナレーションが入り、解説は渡辺二郎、六車卓也が並ぶ。
ですが、そのナレーションは幼稚というか、有り体に言って馬鹿みたいな内容で、TV局というものにとっては、どんなに優れた才能であっても「浪速の」ナントカである方が大事で、それ以外は二の次、というものでしかありませんでした。

このあたり、今から思えば、優れた才能を取り巻く環境の貧困、その一端を見ていた(に過ぎない)のだろう、と思います。
そして、それは後に見ることになる様々なものの前触れでもあったのだ、と。


しかし、この次の試合で、そういう危惧は全て吹き飛び、再び、私は壮大な夢の世界へと引き込まれることになります。



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「恩恵」がひとつ失われるか 田中恒成、井岡一翔戦が転級初戦に?

2020-05-27 07:18:20 | 中部ボクシング




スーパーフライ級に転じ、WBO王者井岡一翔に挑む見込みの指名挑戦者、田中恒成についての記事

今月、転級初戦の予定だったが、当然中止。
井岡一翔挑戦は、記事にもあるとおり、これまで転級の度に、調整試合を必ずやってきた(それも、まずまず力のある相手と)のですが、今回はそうはいかない、とのことです。
TBSの放送で、この二人を闘わせるには、大晦日特別予算が必要で、それ以外の日程は難しく、それまでの間に調整試合を挟む余裕がない、ということなのでしょうね。

名古屋ローカルの枠に収まっている現状はともかく、そのローカル性により、CBCの放送で、新たな階級で「慣らし運転」のための試合を経た上でタイトルに挑戦する、という「恩恵」を受けてきた田中にとり、良い話ではありません。
井岡一翔との体格差が大きなものとは見えませんが、それでも先んじてスーパーフライ級で世界上位ばかりと4試合闘い、その回数だけトレーニングを重ねている井岡との差は、大きくは無くとも確かにある、と言えるでしょう。
その差を、スピードとセンス、そして若さで埋められるものかどうか、そこが見どころですね。


これまた記事にあるとおり、畑中会長は、日取り以外は合意している、とコメントしています。
ホンマかいな...といつもならあれこれつべこべ書くところですが(笑)
こういう時でもあり、素直に「やること自体は決まりなんやな」と受け取って、楽しみに待ちたいですね。





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中谷潤人、WBO決定戦は8月1日?

2020-05-25 09:18:28 | 関東ボクシング


ボクシングの興行、試合開催が7月にも再開されるかどうか、というところですが、8月1日に中谷潤人vsジーメル・マグラモ戦開催、という話が進んでいるようです

情報はリングマガジン、WBOツイッターとのことです。
8月1日、ホール。おそらく無観客試合。
TV放送は従来通りならBS日テレ。

日テレは普段の、普通の番組の多くが高視聴率なので、ボクシングはなかなか割り込めません。
あの山中慎介が、防衛回数二桁になってからも、年二回、枠は一時間しか割いてもらえませんでした。
そのおかげで、長谷川穂積のラストファイトも、地上波生中継なし、という事態になりました。
フジならどっちも生中継で見られたのになあ、と、当時、残念に思ったものです。

今回の試合については、自粛期間終了後のスポーツイベントの中で、曲がりなりにも、というときついかもですが、世界タイトルマッチなんですし、それなりに世の注目も集めるであろうから、何とか地上波で生中継、というわけにはいかないものかなあ、と思うのですが、おそらく無理なんでしょうね。
それでも民放BSで見られるなら、まだ有り難いことなのでしょう。

7月中にあるという大橋ジム主催の試合なども、BSフジなどで流してもらえたらなあ、と思うんですが...。


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「優」でも「上」でもなく「違う」逸材 「動くタツヨシ」初見の衝撃

2020-05-24 08:12:30 | 辰吉丈一郎



辰吉丈一郎の名を知ったのは、87年の秋でした。
ボクシング・マガジンのアマチュア記事で、驚異的な才能を持つ若者が現れた、と読みました。
記事の文面が、普段の感じと明らかに違う、と思った記憶があります。
明らかに平静でなく、心が揺さぶられている状態で書かれた文章だ、と。



当時は今と違い、メジャースポーツの地位をとうに失っていたボクシングに関する情報は限定されていて、試合結果も翌日の一般紙で見て、内容については次の15日に出る専門二誌で知る、という状態。
この頃、関西在住の身には、国内の試合のTV放送といえば、世界戦くらいしか見る機会がなく、唯一、TV朝日系「エキサイトボクシング」が偶数月のみ流れていた、という時代。
それ以外は、新聞を見落としたり、載っていなかったりしたら、専門誌で結果知って、それが意外なものだったら「えー!」と、そこで驚いていたような始末です。

そんな頃でしたから、今と違って、専門誌を買うと、それこそ目を皿のようにして、隅から隅まで読んでいました。
アマチュアの記事も、試合ぶりを一切見ていない選手のことをイメージするのは難しいながら、それなりに読み込んでいた記憶があります。

そこで見た「辰吉」の名は、とても印象的なものでした。
何しろ「辰吉丈一郎」です。
なんという名前だろう、と思いました。アマチュア選手がリングネームをつけることもないだろうから、これ、本名か。信じられん、と。


マガジン87年12月号、沖縄国体についての、宮崎正博記者の記事には、

「この辰吉は評判通り、とてつもない新星である。ことに左ブローは見事の一言。素直なアップライトスタイルから、相手の動きを見切って実にスムーズにフック、アッパーを顔面、腹に叩き分ける。ボクシングを始めてまだ一年半というのが信じられない強さであった。10月の社会人選手権優勝を含めて、これまで16戦すべてストップ、棄権勝ちという戦績も十分にうなずける。17歳の若さだが、「来年のソウル五輪メダルが目標」というのも、まるっきりの夢物語とは思えないほどの逸材である」

とあります。

正直、何言ってんの、と思いました。
五輪メダルどころか、国際試合出れば負け、アジアの大会でも優勝選手がそうそう出ない時代に、プロジム所属の17歳が、国体で強かったからといって...と。

そして次のマガジン、88年1月号には、全日本選手権に出た辰吉が「右膝の負傷と発熱のため」不調で、一回戦で敗退した、という記述がありました。
今になってTV番組にも取り上げられる、アマチュア時代唯一の敗戦です。






この後しばらく、辰吉の名が目に入ることはありませんでした。
しかし89年に入り、ボクシング専門誌ではなく、出先の喫茶店か何かで、たまたま手に取ったスポーツ新聞の5面くらいに、それなりの大きさの文字で「辰吉」の名を目にしました。
詳細は覚えていませんが、全日本とかいう大きな試合ではなく、いわゆる市民大会?オープン戦的な?試合で、辰吉がボディブローで相手を倒し、プロデビューへ向けて試運転、というような内容の記事でした。

ああ、そういえば、マガジンの記者がえらく褒めてたアマチュアの選手がいたなあ、と思い出しました。
アマチュアのキャリアは切り上げて、19歳でプロ転向か。まあ、良い頃合いかもしれない。そう思っただけでした。

ところがこの頃から、関西のメディアのみならず、それこそ全国的な勢いで、辰吉丈一郎の名が、あらゆるメディアを賑わすようになりました。
デビュー戦も、試合自体のTV放送があったわけではない(はず)ですが、試合前からニュース番組などで取り上げられていましたし、二戦目(東京ドームでのKO勝ち)を待たずして、メジャーな雑誌などでも特集記事が見られるようになりました。
(このあたり、今から思えば、関西の大手であり、帝拳の系列にある大阪帝拳ジムの、隠然たる影響力の大きさを感じるところです)


この頃、動く辰吉、つまり映像で初めて辰吉を見ました。関西のニュース番組か何かで、ジムワークの様子が取り上げられたものです。

一目見て驚きました。まず、その肉体です。
シャドーする背中に、大きな筋肉が盛り上がり、両腕は一目見て明らかに長い。
背中だけ見たら、まるでカルロス・サラテのそれを切り取ってくっつけたみたいだ、と。

そして動きがリズミカルで、柔軟に外し、敏捷に打つ。攻防動作の繋ぎ目が、それまで見たどんな選手よりも「シームレス」に見える。
それこそレナード以上に滑らかではないか、と。後にホセ・ナポレスのビデオを初めて見たとき「辰吉や」と思ったくらいに、です。

なんという凄い才能か。衝撃的でした。圧倒される思いでした。
それまで見た、どんな優れたボクサーとも違う。少なくとも日本国内の、あらゆる好選手とも、チャンピオンとも「違う」。
優れているとも、上回る、というのでもなく「違った」こと。それが何より衝撃的でした。

このボクサーはいったい、これからどれだけ凄い試合を、ボクシングを見せてくれるのだろう。
その将来に、壮大な夢を抱いた最初でした。


その少し後に行われたデビュー戦。
韓国選手相手に、低いガードから目で外して、右ショートを差し込む、という危ないことを平然とやって、早々に倒してのKO勝ち、でした。
新人ボクサーがやるものとしては、あまりに不釣り合いなほど、高度で派手なボクシング。
しかし、それ故に、初めて映像を見たときには感じなかった「危惧」が、心中に生まれたときでもありました。



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先日のマガジン、辰吉生誕50年特集に触発されたこともあり、辰吉丈一郎についての思い出を書いていこう、と思っています。
続けて書くか、不定期になるかは自分でもわかりませんが(笑)、まあその辺は気まぐれに、とりとめもなく、ということで行きます。
ご笑読いただければ幸いです。


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ミドル級戦再延期、観客はやはり無しか 状況はまだまだ厳しい

2020-05-23 13:51:37 | 話題あれこれ




協会とコミッションの協議会
開かれる度に、何か明るい方向性が見えないか、と思うのですが、やはり状況はまだまだ厳しい模様です。

まず、日本ミドル級タイトルマッチが再度延期になったとのことです。
事情はこの記事に詳しいですが、選手の調整は現状、やはり難しいし、それ以外にも、選手に近しい人の罹患があったという話なども。
竹迫司登の、国本陸への気遣いが見えるコメントは、心洗われる思いですが、辛い話であることに変わりはありません。


そして、少し前に出た、3分の1の観客を入れて興行を、という話も、現状では難しいとのこと。
神奈川でクラスターが発生し、首都圏全体を見ると、関西や他の地方などと比べ、数字的に判断が難しい、という現状のようですが、仮に月曜、緊急事態宣言が部分的に解除されても、スポーツジムの営業や、100人以上のイベントは許可されない模様です。

仮に、せめて100人でも客入れて、という可能性があるとしても、全席指定1万円が、額面通りに実売で100枚売れて、100万円。
もちろん大きな金額ではありますが、果たして...というところですね。


良いニュースとしては、選手の抗体検査実施ということで、目処が立って、実際に可能なら、一歩前進ではあるでしょうね。
例えば、大橋ジムの興行はタイトルマッチに絞って行うということですし、おそらく選手の数も少ないわけですが。
これが選手以外のスタッフも対象となれば、果たして可能な話なのか、等々、ちょっとわからないところもあります。


業界は今のところ、社会全体の現状認識を厳しく行っていると、傍目には見えるので、それが救いではあります。
その上で、どんな形であれ、とにかく試合を挙行して、突破口を拓きたい、という気持ちなのでしょうが...まだまだ、忍耐を求められる段階でしょうね。

ドイツのブンデスリーガは、先週末に無観客試合で再開されて、スポーツ界全体としても明るい話題ではある反面、通常のレベルを超えた人数の怪我人が出た、という厳しい現実もあります。
やはり、コンディション調整など、難しいところなのでしょう。

ましてや、ことがボクシングともなると...やはり、色々心配です。
この先のことまでは、あまりつべこべ書かずにおきますが。




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晩夏

2020-05-21 07:04:42 | 辰吉丈一郎


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試合開始の時点で辰吉の足のバネが切れているのを見た時、心中僅かに残っていた勝利への期待は完全に消えた。
それ以後起こった事はほとんど全て事前の悪い想像と違わなかったと言っていい。

かつて辰吉丈一郎はボクサーとして豊壌の実りに満ちた天才だった。
しかしこの日の彼はすでに草木一本残っていない焼け野原だった。

3Rに何の確信も根拠もないのに早くも勝負をかけて打って出る姿を見て悲しみで胸が満ちた。
その有効打に乏しく短い攻勢を最後に目を覆いたくなるような劣勢が続き、7Rにやっと試合は終わった。

我が身のことだけを思うなら、辰吉は昨年の敗戦を最後に引退すべきだったのだ。僕は否応なしにそう気づかされた。
しかしそうすることが当然だと言わんばかりに闘われたこの再戦は、ただ単に辰吉一人の雪辱のためでなく、辰吉に何らかの思いを抱く全ての人間に対する最後の惜別の為に闘われたのではないかと感じた。
辰吉の意志は勿論別だろうし、あくまでこちらが勝手にそう感じただけの話だが。


かつて最後の4割打者テッド・ウィリアムスが何のセレモニーもなく無言で引退し、それに対して人々が不満を述べた時、ジョン・アップダイクは「神々はいちいち手紙の返事など書かないものだ」と言ったらしい。

ならば辰吉は神ではなく人間だった。良くも悪くも徹底的に人間だった。


試合が終わってもリングサイドは騒然としていた。
泣きながら辰吉の名を叫ぶ者がいれば、ビデオカメラを辰吉に向け「撮れた撮れた」と喜ぶ場違いな芸術家もいた。
それを横目で眺めつつ僕は別のことを思っていた。この日セミファイナルに出た若きフェザー級、洲鎌栄一のように、勇敢に闘い続けていくであろうボクサー達を、これからも応援していこう、と。

人の思いは様々である。
そしてこれほど多くの思いを引き寄せて闘えるボクサーは、二度と出ないとは言わないが滅多には出ないだろう。
その様々な思いの中心に、いつも辰吉がいた。
ありがとう辰吉。あなたは偉大だった。



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それほど頻繁に観戦に出かけられたわけではない時期だったこともありますが、色々と思い出のある観戦でした。

かなりの出費をしてリングサイドの席を取りました。5列目か6列目くらいでした。
アンダーに全日本新人王、洲鎌栄一の試合があって、その前だったか後だったか...試合の合間に、急に周りが騒々しくなりました。
どうしたんだろう、と思って周りを見、振り返ると、私の斜め後方に松本人志さんが着席していました。

笑顔は一切無く、思い詰めたような表情でした。それこそ一声も発せず、黙りこくっていました。
隣にはマネージャーらしき男性が一人だけ、付き添っていました。
何人かの観客が、サインや握手を求めてやってきましたが、マネージャー氏が「ひとりにすると際限なくなるので、お断りさせていただいてるんです。すみません」と丁重に断っていました。


そういえば、辰吉と親交があるという話だったなあ、忙しいやろうに、わざわざ大阪まで...と思って、前に向き直り、そのまましばらくアンダーの試合を見ていたのだったか、次の試合開始を待っていたのだったか...突然、私の肩越しに、後方から何か物が飛んできて、顔をかすめて足元に落ちました。
なんだと思って見ると、固く絞った小さいタオル状の布。いわゆる「おしぼり」でした。

振り返ると、後方の通路で、何人かの男女が、松本さんにカメラを向けて、笑いながら写真を撮っていました。
松本さんも一瞬、驚いて振り返ったのでしょう。そこを狙って写真を撮るために、おしぼりを松本さんに向けて投げつけたら、僅かに逸れて、光栄なことに、それが私に当たった、というわけでした。

世の中には、何とも独創的な発想の持ち主がいるものだ、と呆れかえっていると、松本さんが申し訳なさそうに、私に小声で「すみません」と詫びました。
同席していたマネージャー氏も「すみません、ご迷惑を...」と詫びるので「いえ、そちらは何もしていないんですから」と笑って返しました。

まあ、世の中には色んな人がいてはるわ、という話です。


そうこうするうちに、メインイベントが始まり、改めて書くまでも無く、目を覆いたくなるような辰吉の劣勢が続きました。
我々の席は、バックスクリーンを背にする位置だったので、ラウンドの合間に映るスロー映像を見るため、何度か、インターバル中に後ろを振り返りました。

するとその度、松本さんの姿が目に入りました。
両手で頭を抱え、文字通り、二つに折った身体を震わせていました。


ああ、この人はホンマに辰吉のことが好きなんやなあ。
有名人同士の、通り一遍の関わりではなくて、ホンマの友達なんや。

辰吉丈一郎が体現するものに、心底から惹かれ、それ故に、それが打ち砕かれる光景を見て、冷静でなどいられない。
その気持ちが、痛いほど伝わってきました。よくわかる、という気持ちでもありました。


試合が終わったあとの様子は、記事にも少しだけ書いたとおりです。
リングサイドは喧噪に包まれていました。
それから逃れるように、松本さんはマネージャー氏に促され、試合終了後、即座に席を立ちました。

辰吉丈一郎のボクシングそのものに魅了された者も、その個性に惹かれた者も、友人関係を築いた者も、「闘い」の苛烈さの前には、ただ平等に無力である。
それを目の当たりにした、数多の思いを、心を、私はあのとき、その内の一人として、見ていたのだと思います。


しばらく経って、帰路に着きました。
辰吉丈一郎がどうやってリングを去ったか、つい先刻、見たばかりのはずの、その後ろ姿を思いだすことが出来ませんでした。
今も、何故か記憶に残っていません。不思議です。




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夢は形を変えてゆく

2020-05-20 09:53:45 | 辰吉丈一郎



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本人がほのめかしたところによると、辰吉はウィラポンとの再戦に勝ち負けに関わらず引退するとかしないとか、とにかく大変な決意で臨むらしい。
いかにボクサーとして様々な特殊事情を抱えつつ存在する辰吉といえど、こういう進退のかけ方はやはり普通ではない。
彼がこうした極限の心理状態に背中を押され、過去に幾度か見せた悲劇的玉砕がまた繰り返されるのではないか、と悪い予感がする。

辰吉の力量も、以前のように特別視することはできない。
歴戦のダメージ。
10代の頃と同じ階級で闘うこと。
周知の眼疾。
加えて噂された走り込み不足の原因がそれ以外の故障だとしたら(膝か腰あたり?)今回の試合の勝算も乏しいと思わざるをえない。

しかし、キャリア初期の華々しい勝利、その代償である眼疾、そして敗北、強いられた引退誓約、海外での再起、それらの繰り返し、王座返り咲き、またも転落という苛烈なキャリアを経て、現在、彼の心がどうあろうと、ウィラポンを殴り倒す手伝いが出来るわけでもない第三者に何も言えることなどないだろう。
また、このような覚悟で闘ってきたからこそ、かつての天才を失いながらも三度の王座獲得を成したのだし、また四度目があるのかもしれない、とも思う。


遠い昔のような気がするが、かつて、誰もが辰吉に壮大な夢を見ていた頃があった。
専門誌には、ラスベガスのリングでネルソンやフェネック相手に四階級制覇を目指せ、という投稿が載った。
香川照之氏は「我々は遂にベガスの昼間の興行に出しても恥ずかしくない選手を手に入れた」と書いた。
好選手に対し辛口となるのが常のジョー小泉氏も、オリバレスやナポレスの名を引き合いに出した。

それが間違いだったと言いたいわけではない。
まっとうに見た夢が必ず実現するとは限らない、というだけの話だ。

彼は我々が勝手に思い描いたような夢を実現することはできなかった。
しかし彼が見せてくれたボクシング、そして激動のキャリアは、ある意味ではネルソンを倒して四冠制覇する事以上に、貴重で濃密なものであり、時に感じた怒りや悲しみ、失望や絶望をも含めて、僕は充分に素晴らしい夢を見せてもらったと思っている。


もちろん、8月29日の大阪ドームが新たな辰吉伝説の始まりにならないとは限らない。
だが、この試合をこの眼で見たいと思う心の奥底は、もう、そういうことではなくなってしまっているのだ...。



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これは1999年の6月頃に書いたものです。
再戦決定の報を知り、いてもたってもいられずチケットを予約したのを覚えています。

今読み返すと、なんというか...あらかた「覚悟」は決まっていたんやなあ、と。
もうちょっと希望的観測があっても良さそうなものですが。


記事のタイトルは、お察しの通り?尾崎豊「時」の一節を拝借したものです。
こんなことを明かすのはお恥ずかしい限りですが...若さ故の過ちというのかなんというのか。







コメント (2)
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