石原英康の試合は縁あって何度も何度も見に行きました。
強打と脆さを併せ持つ彼の試合はどれもこれも印象的なものばかりでした。
実際に話したことはないのですが、本当に誠実で優しい人柄だそうです。
試合ぶりや佇まいにもそれが滲み出ていて、好感を持たずにはいられませんでした。
しかし彼の試合を見ていて、それこそ故・佐瀬稔氏じゃないですが、
優しい心の持ち主であることは、ボクサーにとって良いことじゃないのかもなあ、
なんて思うこともしばしばでした。
勝利の女神なんてのがもしいるとすれば、彼女は優しい男にはけっこう冷たいみたいですし...。
そういう酷薄さをもろに目の前で見てしまった試合のひとつが、
岐阜で行われたマルティン・カスティーヨとの第一戦でした。
私はちょっと見方が違いましたが、公式採点では充分勝ち目があったようです。
しかし11R、苦戦をたった一撃で精算したカスティーヨの右一発、
石原は逆転KOを喫して、リングに沈みました。
技巧で上回るカスティーヨを相手に、ボディを打たれることを許容しながら
弱点のアゴを護ることに専念しつつ、強引に前に出て圧力をかけ、左を狙う。
ボクサーとして、自らの技術面での劣勢を最初から認めた、
この、ある意味屈辱的な戦法をあえて選んで、愚直に、懸命に闘った石原の労苦は
報われることはありませんでした。
帰り道、石原の友人でもあるSPANKY☆さんと、FREAKSの重鎮NAOさんの3人で
雨が降りしきる会場前のバス停留所で、しみじみしながらバスを待っていたときの
悲しい沈黙が今も心に残っています。
でも、あまりに残念な敗戦を見て、それでも私は、何かすがすがしい気持ちでした。
優しい男、誠実な男、ひょっとしたらそれゆえに敗れたかもしれない男。
でも、石原英康は自分に出来ることは全部やりきって闘いました。
強さも、弱さも全部わかった上で、自分の闘いを闘い抜いたのです。
人間ひとりに人生はひとつ。
その人なりに生き、その人なりに闘うしかないわけです。
今思うと、あの試合に感じたすがすがしさとは、
石原自身がそういう「答え」をしっかり見せてくれた故だった、と思っています。
今朝、偶然、石原の近況を知らせる記事を見つけました。
彼は変わることなく石原英康であり続けているようです。
これから良い教師になるために奮闘するであろう彼ですが、
私にとっては、彼はボクサーであったころからすでに、
すごく良い教師だったような気がします。